ボーカリスト槇原敬之に学ぶJ-POPの秀逸曲#1 カバー曲をいいなと思う時
カバー曲――という音楽ジャンル(?)を侮れないな、と思ったのは、德永英明の「寒い夜だから…」を聴いた時であった(『VOCALIST 6』(2015年)収録)。
「寒い夜だから…」と言えばtrfである。1993年の作品だ。作詞・作曲は小室哲哉。
trfと言えば、ボーカルの背後でギラギラしたダンサーが踊りまくる姿が目に浮かぶ。
ところが、これを「壊れかけのRadio」(1990年)の德永英明が唄うとこうなる。
しっとりとしてしまう。
弱い雨に濡れたように。
そして、悪くない。
カバー作品によって原曲の隠れた魅力が掘り起こされることもあるのだな、と思ったのである。
なるほど、アルバムのタイトルに偽りはない。
ボーカリスト、德永英明。
自分にはもう一人、気になるボーカリストがいる。
槇原敬之だ。
槇原と言えば「どんなときも。」(1991年)の印象が強すぎて、ザ・シンガーソングライターの認識でいたのだが、実はこの人は歌唱が上手いのだ。
これまでにカバー・アルバムを3つも出している。
『Listen To The Music』(1998年)、『Listen To The Music 2』(2005年)、『Listen To The Music 3』(2014年)。
私はこれまで日本のポピュラー音楽をあまり聴いてこなかった。
だから槇原のアルバムを聴くことによって、初めてその存在を知った曲もある。
この記事では、槇原のカバー曲の中から、私の琴線に触れた作品を紹介しよう。
ところで、カバー曲に感銘を受けるのは、どういう場合だろうか。
オリジナルの場合はシンプルだ。
いいと思うか、思わないか。それだけである。
カバー曲の場合も、まずは「いい!」と思うことが前提になるが、もう少し複雑だ。
次のように場合分けされよう。
先ほどのtrfは、1-②のパターンに当てはまろう。
なお、2-③のパターンに終わることも考えられる。
この場合、そのカバー曲を聴くことは今後二度とないかもしれないが、聴き手はカバー曲のおかげで原曲を知ったのだから、カバー曲の存在意義はあったのである。
以上の分類を意識しながら聴いていこう。