◇7 一貫性がない人間(躁鬱)
解離や分裂を本気で疑っているわけではないけれど、やっぱり私には一貫性がないと思います。
私のことを表面的にしか知らない人から見れば、私は、まともで、それなりに明るい人なのではないかと思います。
彼らは、私の自己呈示に騙されています。上っ面の、躁の人格だけを見て、私のことを過大評価します。
私には、最悪な状態でない限り、うわべを取り繕う技術がある。
だからみんな、私の抱える「どうしても社会に適合できない感覚」を軽視しているのです。
躁の人格は、母親から受け継いだ強くて明るい遺伝子に由来していて、理性に主導されています。
私は躁の自分がけっこう好きで、「ずっとこうだったら、どんなに人生楽しかっただろうなあ」と、常々思っています。
そういう空想をすることがよくあるのです。
順風満帆な人生を送る兄に近い、理想の自己像です。
反対に、ストレスを感じると、鬱の人格が出てきます。精神疾患の遺伝が濃い父方から受け継いだものです。歳をとるにつれ、こちらに支配されている感じがあります。
自分はどうしようもなく馬鹿で、救いようがないほど不細工で、豚みたいに太っている。これからもずっと一人で、最後は誰にも看取られずに死んでいくのだろう。
だったら、生きている価値はない。
鬱の人格は、こういったブルーな感情に主導されています。
はっきりと鬱が表出したのは、両親の口論を深夜まで聞かされ続け、過呼吸を起こして倒れた小学校中学年のときです。
実際にはそうでなかったけれど、幼かった私は、家庭内の諍いの理由が自分にあるような気がしていました。
私が兄みたいに、「頭が良くて、誰にでも優しくて、親の手のかからない『いい子』」だったら、彼らが互いを罵りあうことはないと思っていたのです。
思い出すだけで喉の奥がぐっと絞まってくる、苦しくて仕方のない記憶です。
いまだに、どこにも逃げる場がなく、ひたすら愛する人たちの怒鳴り声を聞かされていた長い夜に閉じ込められている感じがします。
躁の人格は、鬱の人格をひどく嫌っています。何もしないで食べているだけなんて、なんて怠け者なんだろうと思っています。
鬱になるたびぶくぶく太っていく身体を、とんでもなく醜く感じます。小さなことで外出できなくなって、バイトすらまともに続いたためしがないのは、成熟していない残念な大人がすることのように思えて、猛烈に恥ずかしく感じます。
こういう風に、頭の中で躁の私が正論を振りかざしてくるから、さらに鬱はしんどいのです。
健常な人はみな、過去の自己と現在の自己を連綿としたものとして捉えているように思います。きっとあなたも、過去に何かで失敗したことがあったとしても、全部ひっくるめてそれが自己だとして受け入れているのではないでしょうか。
私は、そこが違います。私の頭は、普通の人がしないような失敗をしたときの自分を、「本当の私ではなかった」と解釈します。
調子が良いときは、「鬱のときの奇行でまた損をしてしまった!」と思い、寝込んでいるときは、「また躁のときに広げた風呂敷のせいで無駄に傷ついてしまった!」と考えるのです。
「あれは本物の私じゃなかった、だからいまの私は悪くないよね」みたいな感じです。また、他責的思考です。「分裂した自己」だと思えば、自責、かもしれませんが。
でも、そういう逃げ方をしていると、過去と現在をつなぐ橋の中に、他者に語ることのできない、必死で隠さなければならないような穴がぼこぼこ空いてきて、ひと続きの自己像みたいなものが持てなくなってくるのです。
例えば、表面上は「ごく一般的な人」という自己呈示に成功しているから、本当はばりばり現役の精神障害者である自分のことを他者に語るのが難しい、といったことです。
「仕事は何してるの?」
「趣味は?」
「学生時代どんなことしてたの?」
「ふだん友達や彼氏とどこ行って遊ぶの?」
といったお決まりの質問への答えに窮し、その場をしのぐために変な嘘をついて、仮の自分を演じてしまいます。
あとになって、そういう自分がとてつもなく虚しく感じます。何であんなつまらない嘘ついたんだろう?と思うのです。
もし、他者ときちんと関係を持とうとするならば、「自分が何者であるか」を相手に明らかにする必要があるように思います。
ですが、私はどうしても、それができません。本当のことが言えないのです。
なぜなら、一貫性のない、穴ぼこだらけの人生のことを語れば、好意的な反応は返ってこなくなり、暗に遠ざけられることを、経験から知っているからです。もう、人が離れていくあの悲しい感覚は味わいたくない。だから、他者と関わることを回避してしまう。これが、一貫性がないことによる一番の弊害です。
みんなが生きているだけで普通に持っている「一貫性」というものに、私はいたく憧れています。
一貫性のある人になれたら、きっと少しだけ生きやすくなる。でも、どうやったらそれが手に入るか分からない。今は、そういう状態です。