紫陽花に頭突きかまされて。
あじさいに頭突きかまされて
涙の意味さえ忘れた
久しぶりに、野狐禅の「あじさい」を聴いた。
一昨日、関東地方も梅雨に入ったらしい。
ちなみに、梅雨入り初日の、一昨日の夕方の雨は、どしゃ降りだった。
紫陽花は、そんな梅雨の始まりをどう受け止めたのだろうか?
私なら、「こんなつもりじゃなかった」と、思っていたに違いない。
梅雨は、やっぱり「しとしと」がいい。
だが実をいうと、私は梅雨は苦手であり、梅雨が晴れた翌日のすっきりとした青空を見た瞬間、セミたちが「せーの」で一斉に鳴き始める瞬間が好きだったりする。
つまり、梅雨からの解放感が好きなのだ。
そういえば、小学生の頃、置き傘という制度があって、あらかじめ、学校に傘を1本ずつ置いておいて、傘を忘れた日に、その置き傘を差して帰る事ができた。
ただ、一度使ったら、また学校に置いておかないと、次回困るため、あえて雨が降りそうな朝に、傘を二つ、スキーのストックのように持ち、スキーを妄想しながら通学路を歩くのが好きだった記憶がある。
しかし、傘を2本持つことに、特別感を抱くことのできたあの頃の私は、もういない 笑。
ちなみに、毎年、夏休みのプールに行くときは、
通学路が流れるプールだったら。
水道からジュースが出たら。
を妄想しながら、汗だくになって歩いていた。
確かに、通学路が流れるプールなら、涼しいかもしれないが、カーブだらけだし、水道からジュースがでたら、うれしいかもしれないが、垂れ流すには勿体ないし、うがいも手洗いも出来ない。
というのが、大人になってからの悲しい気づきである 笑。
最後に、昨夜は、蛙がうるさいくらいに鳴いていた。
梅雨を歓迎していたのだろうか。
しかし、蛙の鳴き声を聴いていると、近くの田んぼに一体どれほど多くの蛙がひそんでいるのか想像をしてしまって、ゾワゾワしてしまう。
梅雨の合間の晴天の日の通学路で、いつも見かけていた、干からびた蛙たちは、仲間たちの鳴き声から逃れるため、田んぼからの脱走をくわだてていたのだろうか?
今日も雨が降っている。
「しとしと」と降っている。
やっぱり、梅雨が来たんだなぁ。
蛙たちは、まだ眠っているのだろう。
「夜鳴いてるから、朝起きれないんだよ」と、言ってやったら、「夜行性だから仕方ない」と蛙たちに怒られるのだろうなぁ、きっと 笑。
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