見出し画像

北海-東邦 2008年夏の甲子園1回戦

2003~07年まで5年連続で甲子園に出場、うち優勝2回、準優勝1回。
駒大苫小牧に香田誉士史監督を送り込んだ駒澤大学の太田誠監督(当時)は、「駒大苫小牧の偉業は巨人のV9にも匹敵する」と大絶賛しました。

2007年夏をもって香田監督は退任しましたが、実はこのとき香田氏は後任の茂木雄介監督のために東奔西走し、過去最高の選手たちを翌年春に入学させることに成功しています。
「駒苫時代」はまだまだ続くと思われましたが、2008年の春季全道大会2回戦で北海に0-11の大敗を喫しました。
香田監督が指揮を執り始めたばかりで、まだチームが弱かった頃ですら経験のない、屈辱の5回コールド負けでした(7回コールド負けなら何度か経験があります)。

しかしそれは春の話。本番は夏じゃないか。
そう考えた方は多いでしょうし、私もそう思っていたのですが、夏の南北海道大会準々決勝でも両校は再び対戦し、またしても駒大苫小牧が0-9で7回コールド負けを喫しました。
ベンチ入りメンバーの半分が2年生という駒大苫小牧でしたが、「勝負の年は来年なので」で済ませるにはあまりにも痛烈な1安打完封負けでした。

王者・駒大苫小牧を2度もコールドで破った北海が今回の主役です。

1994年の夏ベスト8に導いた大西昌美監督から引き継いで、平川敦氏が監督に就任したのは1997年秋のこと。
1999年夏の南北海道大会では、大本命と言われた駒大岩見沢を決勝で1-0で破り、早くも甲子園に導いています。
甲子園では牛田成樹(のちにDeNA)を擁する徳島商に1-5で敗れ、初戦敗退でした。

謙虚な人柄の平川監督は、
「大西先生が指導した選手たちが残っていたから(甲子園に)行けたんです。大西先生の財産がなくなると、どうしていいか分からなかった」
と振り返っています。

事実、ここから名門・北海は甲子園から遠ざかり、その間に強烈な駒大苫小牧旋風が北海道内のみならず、甲子園を席巻することになります。
しかしその間に平川監督は、途方に暮れてまごまごしていたのではなく、全国の指導者に頭を下げて教えを乞うていたのです。
同学年で親しい関係の香田監督が率いる駒大苫小牧の神宮大会に帯同して、その戦いぶりを勉強したこともありました。

2008年は、平川監督就任後初めて道外遠征を行い、充実した時間を過ごしました。
こうして平川監督が少しずつ指導に自信がつき始めた頃に、香田監督がいなくなった駒大苫小牧と連続対戦し、完膚なきまでに叩きのめす結果となりました。

端的に言えば、北海が勝ったのは「北海が強くなって駒大苫小牧が弱くなったから」と、こうまとめることができます。
片方だけが原因でないのは間違いないでしょう。

9年ぶりに甲子園出場を決めた北海。
最速144キロを誇る本格派右腕・鍵谷陽平(のちに日本ハム・巨人)が、夏は1人で南北海道大会を投げ抜きました。
それに加えて打線も強力で、十分に甲子園でも上位を目指せる戦力でした。

対戦相手は名門・東邦(西愛知)。
この東邦も監督交代が行われたという点では、北海と共通しています。

1989年センバツ決勝で上宮(大阪)を破って東邦を優勝に導いた阪口慶三監督でしたが、その年夏の甲子園で初戦敗退。
その後は1992年夏の甲子園でベスト8入りを果たした以外は、いずれも初戦敗退か1勝に終わってしまいます。
その中には、2001年センバツ開幕戦で東海大四(北海道)に敗れて初戦敗退した試合も含まれています。この試合については以下のページに書いておりますので、どうぞご覧ください。

学校側としては、優勝以降の成績が低迷していると感じられたのでしょう。
一方の阪口監督は、
「甲子園出場を決めても労いの言葉をかけてもらえなくなった」
と不満を漏らしました。
実際はもっと決定的な出来事があったのかもしれませんが、ともあれ60歳になった2004年夏をもって阪口監督は退任し、教え子の森田泰弘コーチが新監督に就任しました。

森田監督はさっそく翌2005年センバツで、木下達生(のちに日本ハム・中日・ヤクルト)らを率いてベスト8の好成績を残します。
東邦の春8強は、優勝した1989年以来16年ぶりでした。

やがて阪口監督が指導した選手たちは全員卒業しますが、わりとすぐに、2008年夏の甲子園出場を決めました。
そこは北海の平川監督と異なる点ですが、もちろん甲子園優勝経験のある名将からバトンを受け継ぎ、並々ならぬ苦労があったことでしょう。

私が聞いていた東邦の評判は、強力打線だけれども投手力に難あり、というものでした。
YouTubeでピッチャーの映像が簡単に見られる時代ではありませんでしたので、それ以上のことはよく分かりません。
でもその前評判が事実であれば、投手も打線も良い北海なら勝てるのではないか。私はそう考えていましたが、私の楽観論は瞬く間に粉砕されてしまいます。


1回表の東邦、1番主将・山田祐輔が初球の144キロ直球を右中間スタンドに運び先頭打者ホームラン! 開始数秒でいきなり東邦が先制点を挙げました。
この山田は2020年4月から、母校・東邦の監督を務めています。

初球に自信のある直球を選んだ北海バッテリーの選択は決して間違っていませんが、この一発はあくまであくまで序章にすぎません。
この試合で146キロをマークした直球の調子が悪かったわけではなく、ましてや「初球にホームランを打たれて精神的にショックを受けてズルズル崩れた」というようなことでもありません。
甲子園でマークした146キロは、今大会3位タイの球速です。
せっかく一級品の直球を持っているのに、それを生かしきれなかったのです。試合が進むにつれて、徐々に明らかになっていきます。

ここから先は

8,540字 / 4画像
この記事のみ ¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?