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駒大苫小牧-済美 2004年夏の甲子園決勝

夏は北海道勢初の決勝進出

準々決勝で横浜(神奈川)を6-1で破り、北海道勢76年ぶりの夏ベスト4。胸の高鳴りが抑えられませんでしたが、準決勝の相手は東海大甲府(山梨)。
友人には「準決勝に勝って、決勝で負けるんじゃないかな」と話したのを覚えています。

冷静に戦力を分析しますと。
東海大甲府は2年生の好投手・村中恭兵(のちにヤクルト)がいたチームなのですが、故障のためベンチ外。それでも前年夏の甲子園で、春の優勝校・広陵(広島)を3失点に抑えた3投手が残っていたのですが、投手陣よりも絶好調の打撃陣こそ警戒すべき相手でした。
なお、山梨県勢も北海道と同様、夏の最高成績はベスト4。したがって、どちらも勝てば初の決勝進出という歴史的快挙でした。

駒大苫小牧は背番号15の2年生右腕・松橋拓也を先発マウンドに送ります。ダルビッシュ有や涌井秀章と並ぶ大会最速タイの147キロを計測して観客の度肝を抜きました。
札幌円山球場での最速が142キロと聞いてましたので、私も度肝を抜かれました。

終盤に東海大甲府の猛反撃を受けるものの、10-8で勝利。夏は北海道勢として初めての決勝進出となりました(春は1963年に北海が準優勝)。
これを受け、駒大苫小牧は全校応援の実施を決定。北海道勢としては異例中の異例のことです。
(その後2013年、遠軽が全校応援を実施しています)
この時の全校応援で、なんと4,000万円もの費用がかかったと言われています。駒大苫小牧は、苫小牧市や駒澤大学に支援を要請しています。

ヤクルトの若松勉監督は、
「横浜とか、すごいところを倒したのだから、優勝旗を持ち帰ってほしい」
と期待を寄せました。

対戦相手の済美(愛媛)はセンバツの優勝校。もともとは女子高でしたが、2002年に男女共学化になったのと同時に野球部が創部され、この時のメンバーは1期生。
宇和島東(愛媛)時代にセンバツ優勝経験のある上甲正典監督が指揮をとるとはいえ、創部からわずか2年で甲子園優勝など、簡単にできることではありません。

3年生の主砲・鵜久森淳志(のちに日本ハム・ヤクルト)、キャプテンだった高橋勇丞(のちに阪神)、2年生エースの福井優也(のちに広島・楽天など)らを擁する好チームです。
・・・が、センバツでも3番打者として大活躍した高橋は、寮則に違反したということでベンチから外されてしまいました。
夏の甲子園でも順調に勝ち上がったものの、勝負強い3番打者がいなくなった影響を感じた方も少なくないでしょう。

福井は熱中症に見舞われるなど、大会序盤は本調子には程遠い内容でした(それでも3回戦の岩国戦では6安打完封しているのですが)。
しかし準々決勝の中京大中京(愛知)戦では1失点、準決勝の千葉経大付戦でも2失点と調子を上げています。4試合連続完投中ではありましたが、準決勝の試合を見る限りではそれほど疲労を感じさせない内容でした。

駒大苫小牧が勝てば、北海道勢として史上初めての甲子園優勝。
済美が勝てば、創部以来甲子園で無敗のまま春夏連覇。
どちらも初めての記録であり、甲子園の歴史を塗り替えることになります。

エース岩田が降板

駒大苫小牧の先発はエース左腕の岩田聖司。立ち上がりから制球が乱れる場面が多く、明らかに本調子ではありませんでした。
のちに明らかになることですが、実は岩田はマメを潰してしまっており、液体ばんそうこうで固めたものの破れてしまい、痛みに耐えながらのマウンドだったのです。

いきなり1死2塁のピンチを迎えた岩田、打席には高橋に代わり夏は3番に入っている水本武。センバツでは背番号14でしたが、夏は背番号3でファーストのレギュラー。準決勝までの4試合で、13打数3安打2打点という数字が残っています。
打率で言うと.231。
愛媛県大会では11打数5安打、1本塁打、打率.455という数字を残しているので、実力があるのは間違いないでしょう。
しかし「センバツの高橋の大活躍に比べれば」という観点で見れば、どうしても見劣りがしてしまいます。水本が悪いのではなく、高橋がすごかったのでした。

その水本が四球でつなぎ、1死1、3塁で打席には注目のスラッガー・4番鵜久森。ここは外角の変化球で空振り三振に打ち取ります。
しかし2年生の5番西田佳弘が外角低めの難しい球を捉え、ライトオーバーのタイムリー二塁打で2点を先制!
これは打った西田を褒めるしかありません。

済美は2年生エース・福井優也がここまで全4試合、36イニングを完投しています。
大会序盤で発症した熱中症の影響からは脱したかもしれませんが、その代わり中0日、連投でのマウンドは「お疲れモード」に見えました。

1回裏の駒大苫小牧、1死2塁で打席に迎えたのは準決勝の東海大甲府戦から3番に復帰したサイクル男・林裕也。
甘く入った変化球を捉え、右中間を破るタイムリー三塁打ですぐに1点を返しました。

しかしマメを潰していた岩田の調子があまりにも悪く、2回表も済美打線につかまります。7番田坂僚馬に四球を与えてバントで送り、9番福井に134キロの外角直球を捉えられライト前ヒットで1死1、3塁。
ここで駒大苫小牧は1回目の守備のタイムを使い、背番号11の鈴木康仁、背番号15の松橋拓也がブルペンで投球練習を始めました。

ここから1番甘井謙吾に四球を与え、2番小松紘之に犠牲フライ、さらに3番水本にはストレートの四球を与えてしまいます。
いつもの岩田の投球とは違うことは、誰の目にも明らか。
ここで早くも岩田がベンチに下がり、背番号11の3年生左腕・鈴木がマウンドへ。しかも打席には4番鵜久森。

鈴木は前年夏の甲子園の登板を経験しており秋はエースでしたが、故障のため長期離脱し、春は登板なし。夏の南北海道大会準決勝でようやく復帰した投手です。
3回戦の日大三戦では3回途中からロングリリーフし、秋以来ほぼ1年ぶりとなる100球以上の投球となりました。
スタミナ面に不安が残っているのみならず、前日の東海大甲府戦で4イニングを投げた疲労も残っており、こちらも全く本調子ではありません。

鵜久森に押し出し四球、さらに5番西田にも押し出し死球で1-5と済美のリードはこの試合最大の4点に広がります。
駒大苫小牧は早くも2回目の守備のタイムを使わざるを得ませんでした。

テレビ観戦していた私も、
「これが決勝戦なのか・・・」
と顔面蒼白になったのを覚えています。
続く6番野間源生をセカンドゴロに打ち取り、なんとかピンチを脱しました。

岩田はマメが破れ、左手を血だらけにしながらベンチに戻ってきました。そこで初めて、香田誉士史監督とナインたちは岩田の不調の理由を知ることになります。
これを知って燃えないわけがありません。
「絶対に打って取り返してやるからな」
ナインは岩田に語りかけ、攻撃に向かいました。

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