
北海-天理 2011年センバツ2回戦
2010年の春の全道大会開幕戦、私は札幌円山球場で観戦していました。
札幌第一の先発は、前年夏の甲子園で登板経験のある3年生エース・須田貴一。
一方の北海は、札幌支部No.1の呼び声も高い3年生右腕・横井雄哉を温存し、2年生左腕の笠松一真が先発。
北海道の場合は、シードはあるもののやや特殊です。
春季大会で全道大会に進出した場合はたしかに夏のシード権を得ることはできますが、あくまで夏の支部予選でシード校同士が同じブロックに入るのを避けられるというもの。
(厳密にいうと、第1シード同士は絶対に同じブロックに入りませんが、第2シード同士が同じブロックに入る可能性はあります)
南北海道大会および北北海道大会では抽選し直しなので、春に得たシード権は何の意味も持たなくなります。
他県で言えば、「大会序盤では強豪校と当たる確率が低くなるけど、ベスト16で再抽選になる」というようなものです。
ということで札幌第一と北海は、夏は絶対に札幌支部予選で同じブロックに入りませんが、南北海道大会では初戦で当たる可能性もあります。
札幌第一はチームとしての成熟を重視し、北海はライバルに対して手の内を隠すことを優先したと言えるでしょう。
どちらが正しいとも言えません。
さて試合は、北海先発の笠松が2回までに4点を失い、その後2年生の本格派右腕コンビ・工藤洸、太田裕也とつなぎます。
6-2で札幌第一がリードして9回を迎えて楽勝・・・と思いきや、須田の直球がポコスカ打たれてなんと同点、さらに延長11回には須田はとうとう降板となってしまいました。
11回裏になってようやくエースの横井が登板して、9-8で北海が勝ちました。
負けてもいいからライバルに手の内を隠すことを優先したと思われる北海ですが、この試合で「まさかの勝利」をもぎ取ると、あれよあれよという間に優勝してしまいました。
平川敦監督にとっても、想定外だったのではないでしょうか。
夏も当然優勝候補となりましたが、札幌支部予選決勝の札幌光星戦で落とし穴が待っていました。
なんとエースの横井が胃腸炎のため、登板どころかベンチに入ることすらできなかったのです。
やむなく2年生トリオの太田、笠松、工藤とリレーしましたが、打線が再三チャンスを作りながらつながりを欠き、1-7で敗戦。
春の王者が南北海道大会にすら進めませんでした。たまにある出来事ではあるのですが。
秋は当然、この2年生トリオが主役になる・・・かと思いきや、エースナンバーを背負ったのは1年生右腕の玉熊将一でした。
サイドに近いスリークォーターで、小さなテイクバックからテンポよく投げ込んでくるやや変則的な右腕。球速は1年秋の時点で最速136キロ、スライダー・カーブ・シンカー・チェンジアップと変化球も多彩で制球力もある投手です。
秋の札幌支部予選で見たときはさほど良いとは思わなかったのですが、全道大会ではわずかな間に進化していました。
全道大会準々決勝の北海道栄戦を観戦し、玉熊は1失点で完投しています。この時点で私は札幌支部予選の時よりも評価を上げて「変化球でカウントをもっと取れれば、十分に全国で通用する」とメモに書きました。
そして中2日空けて準決勝の札幌第一戦を迎えたわけですが、玉熊はその北海道栄戦でバントを試みた際に右人差し指を痛めてしまい、無理すれば投げられたようですが登板を回避します。
あれあれ、夏にもこんな光景を見たような・・・デジャブ?
ということで、我らが(?)2年生トリオの出番です。工藤・笠松・太田とつなぎ、さらにサードを守る多間泰介までマウンドに送り込んで、10-9でなんとかサヨナラ勝ちを収めました。
ちなみにこの多間は、のちの2016年の甲子園準優勝メンバーである多間隼介の兄です。
決勝では玉熊が完投し、北照に6-2で勝って16年ぶりに秋の全道大会優勝となりました。
神宮大会では日大三(東京)に1-7で敗れ初戦敗退でした。
玉熊がやはり変化球の制球に苦しみ、9回途中まで投げて被安打8、四死球6を与えて6失点でした(救援の平田成が1失点)。
5回までは2安打2失点に抑えていたとはいえ、ボール先行の苦しい内容で球数がかさんでしまい、終盤に日大三につかまってしまったように見えました。
ただ、玉熊としてはこの試合を含め、秋にけっこう苦しんだことで、ピッチングの極意をつかんだのではないかと思います。
センバツで再び見たときは、全く別人のように制球力のあるピッチャーに生まれ変わっていました。
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