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あいけい
2024年7月17日 19:45
2008年センバツの開幕戦に登場した駒大岩見沢ですが、21世紀枠の成章(愛知)に2-3で敗れ初戦敗退でした。相手のエースが小川泰弘(のちにヤクルト)だったということを考えれば、仕方のない敗戦だったとも言えましょう。大会後、長らく駒大岩見沢を率いてきた佐々木啓司監督が退き、教え子の高橋真次氏が監督に就任します。高橋新監督は選手時代、1992年センバツに出場しています。秋からセンバツにかけ
2024年7月15日 15:42
「きゅうたいれえ!?」足早に帰宅した私は、思わず叫んでしまいました。ブラウン管の中で繰り広げられていた光景は、とても現実とは思えませんでした。プロ注目と言われた左投手はもうマウンドにはおらず、知らない右投手が投げており、スコアは9-0。いったい何が起こったのか―――
2024年7月15日 15:28
2013年に日刊スポーツで「ヒグマ伝説」という、閉校する駒大岩見沢の足跡を振り返る連載がおこなわれており、その際に佐々木啓司監督が同校の過去の試合の中から名勝負10試合を選びました(道内5試合、甲子園5試合)。この1993年センバツからは、初戦(2回戦)の大府戦とこの準々決勝・八幡商戦を選んでいます。駒大岩見沢は前年(1992年)のセンバツにも出場しましたが、育英(兵庫)に0-8で完敗。この時
2024年7月16日 14:20
以下の記事に書いた通り、駒大岩見沢は須藤力投手の急逝という悲劇に見舞われました。「須藤のために」を合言葉に、チームは結束し、センバツ初戦では好投手・宮川修や赤星憲広(のちに阪神)らを擁する優勝候補の大府(愛知)に3-2で勝利します。続く3回戦は、前年神宮大会で3試合43得点の猛打で優勝した、こちらも優勝候補の世田谷学園(東京)が相手となりました。東京都大会でも準々決勝以降の3試合で29得点