近代都市におけるアジールと「ロックンロール」 ~『参加型社会宣言』を読んで~
田原真人さん主催、「『参加型社会宣言』のいきあたりばっちり読書会」の参加にあたり、こちらに読書感想文を書くことにしました。
これを読んでくださっている方は、「東京3大貧民窟」と聞いて、それらを3つとも言えるでしょうか?上野、四谷、浜松町がその答えです。もちろん、その町の全部ではなく、その一部、もしくはその周辺地区がそれに相当します。
時は明治、日々激しさを増す日露の戦役、これから戦地に送られるという兵士は、生きて再び本土の地を踏むことが想像できず、飯が喉に通らず、酒ばかり飲んでいました。そのため、駐屯地の近くには毎日多くの残飯が出たそうです。それで、陸軍の残飯を目当てにした人たちは四谷に、同じく海軍は浜松町にと、その場所にスラムが形成されていったのでした。
鮫河橋(さめがはし)と呼ばれた四谷の貧民窟は戦後、若葉地区と名を変えました。著者はその若葉地区で生まれ、幼年期から少年期を過ごしました。P.87~P.90あたりに著者の生い立ちや、イデオロギーや宗教のつくる「人工的なコミュニティ」についての記述があります。その地域の持つ社会的な意味合いを、少し戦前にさかのぼって整理してみたいと思います。
まず、貧民窟は権力の影響が及ばない一種の「アジール」でした。昭和の時代、軍による統制が強くなってきたころ、無政府主義者や自由主義者にとって、逮捕から逃れ、身を潜めるには最適の場所でした。当時、仏教宗派の中でも日蓮宗などは国粋主義と結びつき、中国など大陸に僧形のスパイを大量に送り続けていました。右翼組織、大陸浪人などとも連動し、軍の下部組織として組織化されていました。満州事変を引き起こした石原莞爾や童話作家の宮沢賢治の共通の師、田中智学などは、二・二・六事件を起こした陸軍皇道派にも強い影響力を発揮しました。彼らは、行き過ぎた資本主義や政党政治を否定し、再度明治の親政に戻すために昭和維新を掲げました。彼らのアジェンダの中核をなしたのが、国民の貧富の差の解消です。つまり、貧民救済を名目にアジールに乗り込み、無政府主義者らの摘発に目を光らせていたことは充分に想像がつくのです。これが、信濃町、鮫河橋を舞台に繰り広げられた日本共産党と創価学会のそれぞれの前身組織の関係性(P.88)になります。
これを画に書いたらもうちょっとわかりやすくなるかもしれません。一つの円があって、その中に、国家権力の及ばないアジールがあり、無政府主義的なカオスがありました。そして、その外周には国家権力という秩序がありました。つまり、その円は、両者をぎりぎりに隔てる「カオスの縁」に相当します。そこには国家社会主義といったロマンチズムと毎日の困窮した生活というリアリズムに隔てられているようで、実は非資本主義的な共同体社会というつながりがあるようにも見えます。この内と外とに分かれた環境を、著者は宗教とイデオロギーによる「人工的なコミュニティ」と呼びました。しかし、うっすらとですが、その「カオスの縁」には別の社会一形態が姿を現してきたようにも感じたのです。
それを裏付けるかのように、実際に著者は、その「人工的なコミュニティ」から離れ、別の宗門で共同体の原体験をしています。これを私は、「社会の身体化」と呼びたいと思います。例えば、組織形態における「ティール」が、フレデリック・ラルー氏のエコ・ビレッジ・コミュニティでの原体験がもとになっているがゆえに、頭で理解しようとしても理解が及ばないといったことと、とても似ているのです。
※「宗教は、本来、日常生活では出会いない人たちと出会い、共通の生活スタイルの中で連帯感を生みだすものだ」(P.89)
ただ、その「人工的なコミュニティ」も、昭和から平成へという時代の移ろいの中で、すでに政治的イデオロギーは失ったように思えます。今の若葉地区で「人工的なコミュニティ」の片りんを探し出すことは難しいはずです。
つまり、宗教もイデオロギーもなくなり、カオスも秩序も消滅してしまったそのあとには、茫洋たる世界だけが存在しているのです。著者が「時代の玉ねぎ」と呼ぶ、先祖から脈々と受け継いできたもの、そして、その土地が育んできたものをどう扱えばよいのか、私は3つの選択肢があると思いました。
一つは、例えばサラリーマンなどになって社会に順応することで、形態からその記憶を忘れ去ろうとすることです。もっとも、努力しなくても、ただ生活しているだけで、なにごともなく歳をとって行くことができるから一番楽だと思います。
その次は、反社会的といったら狭すぎるので、なんらかの意味で非社会的であり、非リベラルな生活を営むことでそれを体現する方法があります。例えば特定の「職人」になれば、脈々と受け継がれてきた「時代の玉ねぎ」と生活を同調させながら生きて行けるはずです。誤解して欲しくないのは、「職人」が社会的でないと言っているのではなく、薄っぺらな社会に比べたら、「職人」の背負っている「歴史」の方がはるかに厚みがあるということです。
そして、最後が、社会に順応しながら、個人の中に「社会」を持つこと(P.103)です。つまり、個人の中に「時代の玉ねぎ」を持つことによって社会参加することです。宗教やイデオロギーといった人工物に頼らない社会参加のことを指します。これが著者のいう「参加型社会」の実践に相当するのではないでしょうか。
「人工的なコミュニティ」の作るカオスの縁が消滅し、著者にとって、そこに出現したのが「ロックンロール」であったとすれば、すべてに収まりがつきます。著者にとって、「社会」とは、「ロックンロール」と等価であると断言して、そんな遠く外れてはいないのではないでしょうか。