Power over、Power with、そして、Power asへ
書籍『ヒューマノクラシー』の章立てに沿って、官僚主義的なエピソードや、本の記載内容の背景などを紹介しています。
私は、上の文の「無関心や利己主義や恐れを突破する」という一文を目にしたとき、クリスティアーネ・ソイス・シェッラーの、『愛、パワー&パーパス : 人と組織の進化力を紡ぐ新たな物語』の中で出てくる「Power as」のことを思い出してしまいました。
よくNVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)や、ティール組織の文脈において、「Power over」や「Power with」という言葉が使われます。「Power over」というのはまさにこの官僚的な状態、権力がヒエラルキーの上方で固定化されており、組織全体はその力によって制圧された状態を指します。「Power with」というのは、権力が全体に分散し、メンバー同士の関係性やパーパスによって駆動する、いわゆる「ティール」の状態を指します。
著者のクリスティアーネは、「Power with」の状態を、必ずしも最良の状態とは見ていません。「Power over」に対して、つまり、再度、力を取り戻そうとするトップの権力に対してはあまりに無力に見えるからです。そして、クリスティアーネは愛とパワーを源とした、生命本来の姿としての「Power as」を提唱しました。その人本人がパワーそのものとなり、駆動の源となった状態を指します。それこそが、「無関心や利己主義や恐れを突破する」力であり、「人としてなすべきこと」に向かう力なのです。
『ヒューマノクラシー』の著者、ゲイリー・ハメルは、皆が「Power as」となり、変革のリーダーになることを望んでいます。
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最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。