永遠ほど詰まらないものはない【詩】

日常生活なんて詰まらないほうがいい。滞りなく、するすると巡り続けるほうがいい。円滑な循環の上に成り立つ生活のその有り難さを忘れてしまうくらいにさらさらと流れゆくほうがいい。 そう、だからトイレも洗面台もキッチンも、それらを巡る水は、詰まる所などさらさら存在しない水脈のなかを滞りなく流れ続けるのがいい。生活の最上級の快適さとは、永遠に円滑な水の循環のことである。 それゆえに、この世にあるモノからモノへの流れを担う「脈」は、山脈は、人脈は、脈拍は、途切れることなく、誰かに刃で切られるようなこともなく続いていくほうがいい。しかし快適な生活の営み、生命の営みの土台となる様々な「脈」にも天敵が居る。脈々と続く永遠の「脈」を阻害する者とは、時折り発生する、脈絡のない「天災」である。自然災害による激しい河川の氾濫。普段の穏やかな表情は見る影もなく、海岸線を無視して迫り襲う津波。それらの天災に、人々は手を取り合い人脈のそのおおきな輪をもって強く立ち向かおうとする。しかし、本当の自然、本物の自然がその素顔を現し本気を出した時には、人間はもはや全くと言っていいほど太刀打ちできない。「天災」は千本の鋭い刃を自由自在に使いこなし、脈々と歴史を紡いできた細い脈から太い脈まで無数の「脈」を一瞬の戸惑いなくブチブチぶった斬って擦り潰す。また「天災」はおおきなおおきな爆弾を川底の下、海底の下の深い深い地層に埋めて爆発させ、循環を繰り返してきた「脈」のその概念までをも粉々に土へと還す。 

人々は見たことのない激しい表情をみせた自然に驚き、恐れ慄く。これまで自分たちの生活を、自らの生命を支え、頼り切ってきた「脈」が崩壊していく様子に驚き、怒り狂い、そして絶望する。人々を欺くように大破壊を犯した天災は、まるで彼らに被害を与えてまでなにごとかを表現し伝えたいように、踊り狂う。被害者たちは、これまでその全貌を目に入れることのなかった己の血を、全ての人間の身体じゅうを永遠に廻ってきた血液を、我々をこの時代にまで導いてくれた赤い赤い液体を現前にし、そのあまりの鮮烈な赫に感嘆する。そして最後には、天災の被害が魅せた加害的表現、加害的芸術に感銘までをも受けてしまうのだ。


天災。地震、台風、雷、津波。
天災はやはり我々の天敵か。それとも何か革新をもたらすものなのか。
彼等はいつも口を揃えて言う。
「永遠ほどつまらないものはない。」

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