自然に堕ちるための、自然に生きるための、自由。
(あくまで詩です。)
わたしは男の為だけに拘りのないランジェリーを付けて衣服を纏い、拘りのない化粧と拘りのない香水を付ける時間がけっこう好きだ。その時の私は、複雑に入り組んだ世界、複雑なだけでつまらないこの陳腐な世界に住まう、ただ単純明快で自然な女。山頂の雪が解け、時間を掛けて沢山の水脈を降りて降りて、麓の太い川へと流れ出るような、自然の摂理としての動きで私はルージュを塗って耳飾りを付ける。それはまるで、生きる為の知恵を仕込んだ理屈と偏屈がぎゅうぎゅうに詰まったこの頭から解き放たれるような時間。私は自然の営みと同じように、理由なくただそこに居て馴染み、注視されることもない存在になりたい。
時間はわたしにとって大概が強敵である。しかし本来、時間はわたしを焦らす為のものではなく、わたしが横たわる為の丈夫で柔らかな物であるべきだ。そう、わたしは死人のように生きていきたい。死人のように時間に横たわりながら生きること、生に拘らずに生きることは、これ以上ない快楽をもたらす。死を待たない死人こそ、生に拘らない人間であり、誰もが得られる訳でないこの至高の快楽を享受できるのである。快楽に勤しむことは自然だ。自然とは堕落なのだろうか、そしたらそれでいい、私は山と川と海と共にずっとずっと堕ちていきたい。焦らされるように幾つもの山脈を辿り、降ちてきた、どこまでも純に色一つない水が海へと解き放たれた後の、この上ない自由の中を私は漂っていたいのだ。だからこそ、この自由が犯されそうになる度に私は酷く疲弊する。世間ではいつでも自由と自由が自由を奪い合い争い合っている。この熱量だけの争いを、私はこれからも醒めた目で見続けなければならないのだろうか。それなら私は、それほどまでに自由が不足し続けるなら私は、自由を生産するためだけの機械になったって良い。自由を得る戦いの為になら、自由を手放す覚悟だってある。それほどまでに私の自由を邪魔するものは許されない。ジェンダーをレスするな。もっと臨機応変になれ。様々な物事にジェンダーを介入させないことがどれほど自由を増やそうとも、それとはまた別物として、己のもちあわせたこの性だけの、特別で大切な自由があるのだから。
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