GHQが行った検閲について
戦後、GHQのCCD(民間検閲局)は日本人の全ての出版物、そして個人の手紙を検閲しました。
出版物に関して最初は事前検閲でした。
発行される前の雑誌や新聞、放送される前のラジオ原稿等が検閲にかけられ、不都合な描写があれば、削除又は変更されました。
検閲の存在自体を隠そうとしていたGHQは、削除した文章は必ず代わりの文章で埋め、新聞等の記事はアメリカの自動洗濯機の広告等を載せたりすることで、検閲が行われていることを知られないようにしました。
GHQは日本を占領するときに、軍国主義から解放し、民主主義を敷くという大義名分がありました。
民主主義とは表現の自由を根幹としています。ですから表現の自由を阻害する検閲をしていることはできるだけ隠したかったのだと思います。
その後、日本の新聞社や出版社はGHQの検閲で差し止めにならないよう自主規制という名の社内検閲を始めます。
その習慣がGHQが去った後も残ってしまったという方もいます。
しかし、当時の日本人は検閲が行われていたことは知っていたようです。
人の口に蓋はできません。以前も書きましたが進駐軍には日本語ができる人材が圧倒的に不足していました。
そこでCCDは検閲官として、英語のできる日本人を多数雇い入れていました。
検閲官を募集する為に「欧文タイプライター募集」という名目で新聞広告を出しています。(昭和21年6月10日の西日本新聞に広告が掲載されています)
広告には検閲官人事課という文字が書かれています。
また、当時検閲を終えた手紙は、鋏で切った後をセロハンテープで貼っていました。
当時物資が不足していた日本では、セロハンテープは流通しておらず、そういうとこからも、アメリカ軍が検閲をやっているとわかったそうです。
実際に検閲に気づいていた市民の手紙も残されているようです。
「十日に出したはずの手紙に、また御返事をいただいておりません。一月に撮った写真を同封したのですが、どうなったか知りたいと思います。博多の進駐軍検閲係は悪名高いので、お手紙を出したあとで心配しております。それだけに御返事が一層待たれます。写真は途中でなくなってしまったものかもしれません」
「近頃では以前より広範囲の郵便の検閲がおこなわれているようですね。腹立たしいことです。言論の自由や思想の自由が声高に叫ばれていますが、現実には言論も思想も戦時中以上に制限されているのです」
(江藤淳『閉ざされた言語空間』より)
こうした検閲、言論や思想封鎖の効果が現れるのは、何十年という時間が経ってからです。
このGHQについての検閲に対しては、若い人ほど「あの時代は仕方なかったのでは」と感じる人が多いようです。