王道と覇道~辛亥革命を終えて
辛亥革命により清王朝は倒れた。
しかし、孫文の後に大統領になった袁世凱の真の目的は、自らが皇帝になり新たな王朝をたてることだった。
議会政党を作り、袁世凱の独裁に対抗しようとしていた宗教仁が暗殺されると、孫文は第二革命を訴え袁世凱に対抗する。
そんな中、孫文は1神戸高等女学校講堂にて、歴史に残る講演を行った。
それが「王道と覇道」だ。
要約した一文を掲載する。
東洋の文化は王道の文化であり、西洋の文化は覇道の文化です。
王道を唱えることは、仁義、道徳を主張することであり、覇道をとなえることは、利益と権力を主張することです。
仁義、道徳を唱えることは、愛と正義によって人々を感化することであり、利益と権力を唱えることは、鉄砲や大砲によって人々を圧迫することです。
あなた方日本人は、西洋の覇道の文化を取り入れていると同時に、アジアの王道文化の本
質も持ち合わせています。
これから、日本が世界の文化の未来に対して、西洋の覇道の手先となるのか、東洋の王道の防壁となるかは、あなた方日本国民一人一人がよく考え、慎重に選ぶことにかかっているのです。
日本軍にはこの王道と覇道が交じり合っていた。
西欧の植民地支配は現地人を奴隷化する、覇道の支配だ。
現地人に教育などしない。知恵をつけて叛乱などおこされると困るからだ。
西洋の覇道文化では、先住民を絶滅させることさえ辞さないし、そんな例は多数ある。
それに対して、日本の植民地支配は現地にインフラを整備し教育も行うという同化政策だった。
実際、本土以上の予算をかけて朝鮮や満州などのインフラ整備を行っている。
これには良い面と悪い面があった。
その評価は、もしかしたら統治者や指導者の人格に起因しているのかもしれない。
台湾や東南アジアなどでは、日本軍が作った上下水道や交通網が社会発展に寄与しており、それに感謝する言葉もある。
そのため、現在でも親日家が多い。台湾では日本語を喋れるお年寄りが多いのは日本語教育を受けたからだ、
当時、教育がまだ貴重だった時代に占領した現地人にまで教育を行っていたのだ。
同じことは朝鮮半島でも行われたが、同化政策は「同じ日本人として扱う」ことを《強要》されたと捉えられた。
これは朝鮮人達のプライドが許さなかった。
朝鮮半島の儒教文化では、文化の歴史的に中国が「親」だとしたら朝鮮は「兄」であり日本は「弟」という認識だったからだ。
それは、覇道で行う支配よりも屈辱的だと思われた。
孫文は日本に王道文化の担い手となることを望んだ。
その考えに賛同し、アジアは一つという大アジア主義を唱えていたのが玄洋社だった。