革命同盟会分裂の危機~辛亥革命への道㉘
度重なる革命蜂起の失敗で死者が増え始め、革命同盟会内部は動揺していた。
光復会の章炳鱗(しょう へいりん)などは孫文を公然と批判しはじめる。
そうした同盟会分裂の危機に立ち上がった男がいた。
文豪として名を知られる汪兆銘(おう ちょうめい)である。
彼は日本に留学中、孫文の演説を聞いて感動し、革命党に身を寄せていた。
彼は同盟会分裂の危機を防ぎ、革命運動を再燃させるためには要人暗殺しかないと考え、自ら北京に乗り込んで摂政王を殺そうと考えた。
これには孫文や黄興も無謀だと反対したが、この願いが許されなければ海に身を投げて死ぬまでと言いだしたので仕方なくこれを認めた。
汪兆銘は6,7人で北京へ乗り込むとダミーの寝具店を開き、そこへ多数の銃器を隠した。
王宮へ爆弾を取り付け、後は爆破するのみという段階で、一匹の犬に嗅ぎつけられて計画が発覚してしまう。
そして同士の黄樹中と一緒に捕らえられてしまった。
二人はともに、この一件に関したは自分一人の計画にすぎず、他は関係ないと言い張ったので、二人とも首謀者ということで処刑されることになった。
ところが、法廷にて陰謀を企てた理由を問われた汪兆銘は、筆をとってたちどころに数千語の文章を草してその答えとした。
その光景に汪兆銘の才能を惜しんだ民生部尚書の粛親王によって処刑から減免され身禁固刑に処された。
汪兆銘は後に許され、孫文が臨時大統領へ就任されたさいの宣言書の文案を起草することになる。
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