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遊郭のイベント
大正元年、移転した新柳町は、お客を呼ぶためのイベントとして明月大法会を開きました。
明月とは博多三名娼と呼ばれた昔の柳町の有名人です。
このイベントは9月18日から5日間行われ、模擬寺院を建てて明月を祀り、僧侶を招いて供養し、芸妓の踊りなども奉納しました。
この時代、遊郭では積極的にイベントが行われています。
開通した電車とタイアップし、夏には納涼電車が走り納涼場が開かれたり。
野外演奏場で音楽会や博多にわか、踊りが行われたり。
広場では草競馬、自転車競走が行われることもあったそうです。
大正2年には娼妓の数は569名まで増加しています。
大正3年には第一次世界大戦が始まり、戦争による好景気は新柳町を潤しました。
特に陸軍の大演習が久留米で行われた期間は登楼客も多く、夕刻には全ての娼妓が売り切れるという事もあったそうです。
戦争成金や石炭成金が金を落とし、毎晩のごとく枕切れ(娼妓が全員売れること)の大繁盛だったそうです。
当然、花代も値上がりしていきます。
大正4年には台付4円だったのが、大正9年には7円80銭(茶代30銭、玉代6円、酒肴1円50銭)にもなっています。
そんな遊郭に政府は目をつけます。
戦費調達のため遊興税という税金が課せられるようになり、さらに金額は高騰します。
そんな中、大正9年からの不況も重なり客足は激減していきます。
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