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布引丸事件その後~辛亥革命への道⑬

フィリピン独立軍への支部に駆け付けた宮崎滔天と陳白は、そこの代表であるアポシポリーに面会を求めた。

彼は支部にいた同士を退け、部屋に鍵をかけてから宮崎達と対面すると、おもむろに一封の電報を取り出した。

「この電報にはわからない言葉が二ヶ所ほどあるのだ」

「それは、なんという言葉ですか?」

宮崎滔天がそう尋ねるとアポシはこう言った。

「ハヤシセイブン、タカノヨシトラ。これがわからん」

「それは我々の同士、林政文、高野義虎のことだ!」

「もう一か所はここだ。ヌノビキマルと書いてある」

「それは船の名前で、日本の布引丸だ!」

そう解説すると、アポシは顔面蒼白になり泣き出してしまった。

「林と高野の二人はどうなったのです?」

宮崎が聞くとアポシは泣きながら答えた。

「彼らも布引丸とともに海の藻屑となりました」

こうして、フィリピン独立軍へ渡るはずだった弾薬は海へと消えた。宮崎達は責任をとって自刃すると言うアポシを押し止めると、このまま終わらせるわけにはいかないと説得した。

その後、再び中村弥六によって弾薬の調達は開始された。しかし集まった時には既に遅く、弾薬が揃った頃には、フィリピン独立軍は破れ、大将のアギナルドは捕虜となっていた。

フィリピン独立運動はとうぶん再起が見込めないと判断したアポシは、集めた弾薬を無償で孫文らへ譲渡した。

支那革命党を助け、彼らが成功した後にその力を借りてフィリピンを独立させるしかないと決心したのだった。

フィリピンはこうしてアメリカの占領下に入る。その後、大東亜戦争時に日本軍に占領され、独立を果たすのは1946年まで待つこととなる。

布引丸の沈没がなかったとしても、物量で優るアメリカにフィリピンが勝てたとは思えないが、孫文の率いる革命党がフィリピンに上陸していれば、歴史は少し違っていたのかもしれない。

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