踊る娼妓
大正時代、西洋文化の浸透が始まると、カフェや社交ダンスが流行りました。
遊郭は流行に敏感です。
福岡の遊郭、新柳町でも店のつくりを洋風にしたり、それまでは着物姿であった娼妓を洋装させる店も出てきます。
いろは楼という妓楼はコンクリート作りにステンドグラスを飾り、娼妓は全員ワンピース姿にして人気を博しました。
当時の最新家電である蓄音機を置いて、ジャズを流す店もあったそうです。
東京や大阪ではダンスホールができダンスを踊る場所がありましたが、福岡では人前で男と女が手をつないで踊るなど、もってのほかということでダンスは許可されませんでした。
カフェで女給と踊っても逮捕されたそうです。
そこで、福岡のダンス愛好家達がどうしたかというとわ踊るために遊郭に出かけたのです。
遊郭で手を繋ぐのがけしからんと、踊るのを禁じるわけにもいかず、警察は黙認しました。
ダンス好きは登楼して娼妓を相手に踊ったのです。
娼妓たちもダンスの面白さに魅せられ、ダンス客を歓迎しました。
中にはダンスホールを作った妓楼もあったそうです。
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