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「生きる」と「学ぶ」が交差する空間 〜コミュニティースクールの可能性〜

36カ国目ウガンダで最初に訪問したJinjaでは、ボランティアについて考えさせられた。

逃げるように、訪問したのは コミュニティースクールと呼ばれる学校。ここには約1000名の生徒が在籍し、そのうちの200名ほどの男女が寮生活を送りながら、学んでいる。生徒たちは学費を払えないほど貧しい生活をする子が多く、その中にはHIVや病気で親を亡くした孤児も含まれている。そのような子たちのためにはほぼ無料で寮生活を送り、日々の食事の心配がないことは、彼らの大きな助けになっている。

興味深いのは、先生や生徒の親も学校の敷地内で生活をしていることだ。先生は学校内で生活をしながら、日中は教壇に立つ。生徒の親は、寮生の食事を作ったり、寮の手伝いをしながら暮らしている。なので、生徒の弟や妹も学校の敷地内で遊び、生徒の親たちが見守る。僕が授業で音楽を流していると、小さい子どもたちが教室に遊びに来ることもあった。女性の先生たちは自分の小さな子どもを連れてきて、他の大人に面倒を見てもらいながら授業を行う。

敷地内には、畑があり、フルーツや野菜、彼らの主食となるメイズ(甘くないトウモロコシ)が育てられている。牛や鶏、七面鳥や山羊も敷地内を自由に闊歩している。これらは、クリスマスなど特別な日に、食用肉として貧しい家に寄付される。

学校内で牛が放し飼いされている

給食はお母さんたちが作る。朝から仕込みを始めて1000人分の給食を用意するから大変だ。米だと多く炊けないので、毎日ウガリと豆。子どもたちは「たまには米を食べたい」と言いながらも、美味しそうに食べる。寮生の食事もお母さんたちの担当だ。

休み時間には、お母さんたちの手作りのお菓子が売られる。可愛いドーナツのようなお菓子。日本円で一つ4円で、子どもたちは小銭を握りしめて、ドーナツの列に並ぶ。この他にもトウモロコシの粒を揚げて塩を振ったもの、かりんとうのようなお菓子も売られていた。

1000人分の料理は薪調理

今日は、授業の空き時間で暇になった先生たちが、グランドナッツ(ピーナッツは地上になるが、グランドナッツは土の中になる。味はピーナッツとほとんど変わらなく、ピーナッツではなくジーナッツと呼ばれている)の天日干しをしていた。授業を終えた子どもたちが、一緒になって手伝い、ジーナッツをおやつ代わりにつまみ食いする。

先生と生徒だけではなく、親も赤ん坊も動物もごちゃ混ぜの学校を初めて訪れた時は、混沌としているように思えたが、よくよく観察すると、誰にとっても心地よい空間となっている(最後に食べられてしまう動物たちはそう思ってないかもしれないけれど…)。

先生や生徒だけではなく、他の大人や子どもも学校にいると、その場は科目を学ぶだけ場ではなく、仕事を学び、手作りのものを食べ、多様な年代や立場の人と交流する場になる。つまり、社会で生きるということ。社会と隔離された学校の魅力もあるが、みんながごちゃ混ぜで学校に入り込んでいる学校は魅力的だった。

もし自分が将来フリースクールのような場を作るのであれば、手伝ってくれる大人や彼らの小さな子どもがいて、田んぼや畑があり、昼食はそこで採れたものを調理したものがいい。大人がいて、いつでも交流でき、働くことも同時に学べる場がいい。ウガンダのコミュニティースクールから多くのヒントをもらった気がする。

小さな子どもたちが学校内を歩いているのが普通の光景


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