昭和の小学生の遊び 野球編その2
ちょっと前に子供の頃の少年野球のテキストを投稿し、それなりに反響をいただいたところで、コメントをきっかけに思い出したことがあったのでその2を書くことにしました。
ユニフォームをオシャレに着こなす小学生
子供の頃に限らず今でもファッションセンスに難ありの私ですが、少年野球のユニフォームの着こなしには気を配っていました。
というのも、我がチームは弱小ながらユニフォームが非常にカッコ良かったんです。当時そう思ってたというだけじゃなくて、今思い起こしてみてもかなりイケてました。
グレーと濃紺のユニフォームで、胸ロゴのフォントも含めてこんな感じのイメージでした。
袖とズボンに濃紺と白のラインが入っており、胸マークや背番号も安っぽい貼り付けじゃなくて立体的なアレでした。呼び名がわかんないけど。胸にも番号が入っているプロっぽい仕様です。さらに帽子のマークもちゃんとした刺繍。
これだけイケてるユニフォームですから、着こなしにも気を配ってました。帽子のツバは丁寧にカーブをつけます。松坂世代の高校野球選手みたいな極端なカーブじゃなくて、あくまで自然で程よいカーブ。
アンダーシャツは真夏でも長袖。これは着こなしというよりもお母さんが買ってきたのが長袖だっただけとも言えますが。
重要なのはズボンとストッキングです。ズボンの長さはひざ下の3分の1くらい、長さを合わせるために内側に丁寧に折り込んでいました。短すぎてもダメ、長すぎると当時の巨人の王助監督(監督)みたいになっちゃう。
ストッキングは最近のプロ野球選手がクラッシックスタイルで見せているタイプじゃなくて、前後が丸く空いてるやつ、当時はそれしかなかったと思います。呼称がわかんないけど。
アンダーソックスの白いところが見える面積が広いもの、中くらいのもの、狭いものがあって、当時の小学生選手の間では広ければ広いほどカッコいいとされていました。画像の川口のやつみたいな、もはやヒモみたいなやつ。
ただ、個人的には長嶋監督タイプの中くらいのやつが一番カッコいいと思ってました。ただし、お母さんが買ってきたのが掛布タイプでした。でも今思うと一番カッコいいのは掛布タイプかなあ。
透明ヘルメット
別に金魚鉢みたいなやつを頭にかぶってたって話じゃなくて、「透明ランナー」における「透明」の使い方です。
ウチのチームにはヘルメットが当初2個しかなかったんです。ですから、走者が2人出ると、走者は次の打者にヘルメットを渡さなくてはならなかったんです。
ここで問題があって、2番を打っていた遊撃手と、4番か5番を打っていた私の2人は、異様に頭がデカい子供だったんです。
2つのヘルメットのうち1個はちょっと大きめで、なるべくそっちをかぶって打席に立ちたいのですが、2番と4番or5番ですから、遊撃手くんと私が同時にヘルメットをかぶらねばならぬというケースがよくあったんです。
打順が先の2番遊撃手くんが出塁すると、私はだいたい小さいヘルメットをかぶって打席に入るハメになるわけです。ほとんどオマリーです。
ただ、市内の少年野球チームの取り決めで安全対策から走者も必ずヘルメットをかぶるよう義務付けられて、我がチームでもヘルメットを2個追加購入しました。
気になるそのサイズは?残念ながら小ぶりでした。見かねた父兄が、新しく買った2個のうち1個の内側のスポンジを抜いてくれてスッポリかぶれるように加工してくれました。オマリー感はかなり軽減されました。ただ、それって安全性的にどうなんだろう。
ちなみに、新しく購入したヘルメットにはマークが入ってなかったので、私がプラカラーの白で筆塗りで書きました。けっこう上手に書けて評判良かったです。
個性あふれるグラウンド
試合は市内の小学校のグラウンドで行うんですが、我がチームが参加していたリーグ戦で主に使っていたのは、第二小学校、第四小学校、第六小学校、第九小学校のグラウンドでした。それぞれにグラウンドルールがあって、今思うとその違いも面白かったです。
一番多く試合をした四小は、レフト側は抜けたら二塁打、ライト側はフリー。(フェンスもないので、ライトを抜けばランニングホームランの大チャンス)通算で2本だけ打ったホームランは、ここで記録した2打席連続ホームランでした。砂の色が濃くて、球も見やすくて好きなグラウンドでした。
二小はレフト側に柵がありました。絶妙に柵越えが狙えそうな距離だったんですけど、結局誰一人柵越えは達成できませんでした。二小で試合をすると全員柵越えを狙うのでものすごい大振りになり、みんなして三振してました。
九小は広い上にオールフリーでランニングホームランが出やすい球場だったんですが、砂の色がオレンジっぽい白で、快晴の日は球が見づらいし、夏は超暑いし、なにより我々の住んでた町から遠かったので、試合に行くまでの自転車こぎで相当ダメージを受けてました。勝てるわけがないです。
捕手としての苦労話と楽しみ話
弱い少年野球チームの捕手ですから、投手をリードするとかそういうレベルじゃないです。とにかく球を捕るだけ。だってコースに構えたってそこに来ないんだもの。
ウチのチームには2人の投手がいて、エース投手の方は速いけどノーコン。2番手の方はエースほど速くないけどストライクは入るという感じでした。
どちらの投手の方が抑えられるとかはどうでもよくって、私はエースの方の球を受ける方が好きでした。球が速いからとかじゃなくて、2番手の方はキャプテンで、球質が重たいというかスピードの割に球が強くて、受ける手が痛ぇから。
多分、キャプテンの方が制球が良い分成績は良かったと思いますが、そんなことよりも手が痛くないことの方が重要です。監督がキャプテンを登板させると、私はひそかに嫌だなあと思ってました。ゴメン、キャプテン。
手が痛いのはまあ我慢するとして、我慢ならないのはワンバンが体に当たることです。ヒザをついて体で止めるのが正しいんでしょうが、ウチのチームで使ってたプロテクターがペラペラで、しかもエースがノーコンで球速いっていうんだから、すげえ痛いんです。
1回だけ球が玉に当たって悶絶ということがありました。しかもインプレー中じゃなくて試合前の投球練習を受けてる時に。当たり所がマシだったようで、たいしたことはありませんでしたが、戦意喪失どころの騒ぎじゃなくて、これからの人生のことまで考えてしまうあの絶望的な感じ。
当初はそんなこともあって捕手はいやだなと思ってましたが、守備で球にたくさん触れるのでだんだん面白くなってきて、卒業する頃には捕手で良かったなと思うようになりました。外野とか二塁手って少年野球だとあんまり球飛んでこないですしね。