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「北の国から」を見返してるの巻
スカパー!で放送していたのを録画した大好きな「北の国から」を見返しています。
スカパー!はとっくに解約してるけど、チューナーのハードディスクに「北の国から」が録画してあって、それを見るためだけにチューナーを処分せずに置いています。
国民的超長寿ドラマですから多くの人が見たであろう作品ですが、最後のスペシャル版が放送されてからもう20年も経っていますから、細かい内容についてはよく覚えてない人も多いんじゃないでしょうか。
大自然の中での家族の絆、心温まる物語、みたいなイメージで語られることも多いんですが、このドラマの魅力はそういうところじゃないんですね。
リアル感、身につまされる感のレベルが高すぎるんです。
問題が解決しないで進むというリアル
これでもかってくらい色々な問題が発生するんですが、その辺の平凡なドラマだったら、なんだかんだで登場人物が問題を解決して・・・となるところを「北の国から」においては、問題は基本的に解決されずに終わるんです。
時間が解決してくれるのを待つとか、解決は無理だと諦めてしまうか。大滝秀治演ずる清吉のオジイのセリフでも「ワシらは諦めることに慣れてしまっている」というのがありますが、スッキリと解決されるパターンは皆無と言ってよく、それがリアル感と共感を生んでいます。
誰もが身につまされるつらい展開
例えば、純と正吉がストーブの火の不始末で、五郎が作った丸太小屋を全焼させてしまったという大事件。
小屋が焼失したことも大きなことですが、純の目線で描かれるシーンでは子供の頃に経験したことのあるつらい気持ちを突っつかれる気分になるんです。
純はお巡りさんの前で、ストーブの火の不始末があったことを何とか隠そうとウソをついたのですが、正吉は正直に自分の不始末を告白します。
その展開に純は焦ること焦ること。時間が戻ってくれれば自分だって正直に言うのに・・・という身につまされる感。子供の頃を思い起こすと、こんな気持ちになったことって確かにあったよなあ。
結局純と正吉は気まずいまま、正吉が親元へ帰ってしまうというつらい展開。こういう救いのなさって現実そのもので、誰しも経験のある気持ちじゃないですか。
どいつもこいつも浮気ばっかり
こんな具合で色んな事件や問題が発生するんですが、問題の多くは男女の問題だったりします。そして原因は、みんな浮気ばっかりしてるからっていう。
物語の発端は令子(五郎の元妻)の浮気ですし、草太兄ちゃんはどうしようもないくらい助平、中畑のおじさんすらも浮気。こいつらどうしようもないなあ、自業自得もいいところだと感じつつも、すごいリアル感です。
「北の国から」には男女の問題のトラブルメーカーがいて、毎度話をややこしくしてくれます。
雪子おばさんはそもそも自分勝手に麓郷にやってきてトラブルの種をまき散らします。草太兄ちゃんとの件はどっちもどっちで、何をしとるんだという感じです。このパターンを連続ドラマシリーズからスペシャル版に入ってからもずっと繰り返しています。
こごみさんも悪気なく話をややこしくしてくれます。そして極めつけは蛍。子供の頃はあんなに素直で真面目でかわいかったのに、ドえらい女になってしまいました。
過疎の村の人たちのモラル観はどうなってるんだと思わされてしまいます(苦笑)
条件反射で泣いてしまう登場人物
何度も見返している私としては、出てくるだけで泣けてくる登場人物がいます。
まずは正吉の母ちゃんの緑。スペシャル版に入ってくると正吉も泣ける人物のひとりですが、母ちゃんが出てくるともうダメです。勝手に五郎に借金かぶせて逃げるとか、ろくでもない母ちゃんなんですが、正吉との親子関係は泣けて泣けて。
もうひとりはつららさんです。繰り返し見てるもんですから、もう初登場シーンから毎回泣いてます。こちらはとにかくかわいそうすぎるっていう。ハイジのフランクフルト編を見て泣くのと同じです。
ハイジの方はセバスチャンとか味方がいてくれるからまだいいですが、つららさんはただひとり理不尽に耐えて耐えて、耐えきれなくなって夜の街へ消えていってしまうという救いのなさ。
そしてこの件に関しては草太兄ちゃんが全面的に悪いってんですから、感情の持っていきかたがわからなくなって気づいたら泣いてます。
名シーン
名シーンとしてもしかして最も有名かもしれないのがラーメン屋での「子供がまだ食ってるでしょうが」ですが、ここに関しては単なる迷惑な客なんで、このシーン自体にはそんなにグっと来ないです。
純が自分の卑怯な行為を反省し告白し、五郎は丸太小屋が焼けて以来、昔のような情熱を失ってしまっていることに気づかされてそれを子供の前で話すということ、これにグっと来るわけです。
でも、それを閉店間際のラーメン屋でやるなよというところがおおいにあるんです。家でやれと。どっちかってとラーメン屋のおばちゃんの方に感情移入してしまいます。
それよりもグッと来るシーンはたくさんあるんです。
まずは川の水をパイプで引く自家製の水道を五郎さんが見事作り上げて、水が通った瞬間に家族三人ではしゃぐシーン。純と蛍が五郎に対する尊敬をハッキリと抱き、家族の絆が深まるという屈指の名シーンです。
令子の葬式で東京へ帰ってきた純と蛍の靴のシーンもいい。五郎が買ってくれたのよりも明らかに高級な靴を買ってくれた吉野にあるのは、亡くなった恋人の子供たちに対する100%の善意。
一度は捨ててしまった靴だけど、五郎がなけなしのお金をはたいて買ってくれた、どこへ行くにもいつも履いていた靴、それをやっぱり捨てたくないと思い直してゴミ捨て場に拾いに行く純と蛍。
そこへ通りかかった警官、ぶっきらぼうだけど一緒に探してやるという心からの優しさ。この一連に出てくるのは人の善意が100%なんです。このシーンを見て以来平田満を見るだけで泣いてしまう身体になってしまいました。
ちなみに、あまりにいいシーンを演じてた俳優という意味で平田満と同様に、古尾谷雅人も見るだけで泣いてしまう身体になってしまったことは言うまでもりませんが、それどころか2万円を見ても泣いてしまいます。
あまりに複雑な感情をかきたてられてしまうシーンはとしては、東京で純がタマ子を妊娠させてしまった時に、タマ子の叔父の元へ謝りに来てくれた五郎の一連のシーンがあげられます。
タマ子の叔父が菅原文太であるという点で純としては非常に最悪な状況なわけで、そこへせめてもの助け舟として上京してくれた五郎。しかしその五郎が菓子折り代わりに差し出したのがカボチャ5個という最悪の展開。
そのくだりの純の感情の何とも言えなさと言ったら。不器用ながら精いっぱいの誠意を見せようとする父に対する感謝と申し訳なさ、そしてあのパワフルだった父が優しくというより弱くなってしまったように見えてしまう悲しさ。
昔だったら張り飛ばされていたに違いないのに、必要以上に優しく「謝っちゃおう、父さん謝るのは得意だ」なんて言われちゃった気持ち。この辺は、子供の純と大人の純を同じ吉岡秀隆が演じているという長寿ドラマだからこそ伝わってくる複雑な感情の機微という名シーンです。
色々あるけど、諦め許しあって生きていくというリアル感
こうして名シーンを振り返ってみてもキリがないくらいなんですが、このドラマの真骨頂は時には冷たく感じるほどのリアル感にあると思います。
色々問題が発生したり、迷惑をかけたりかけられたり、それでもきれいに解決というよりも、諦めたり、許しあったりして日々過ごしている。
そこに必要以上に感動させようと余計なものを放り込まないからこそ、余計感動させられるんです。最近、余計なもの放り込んでる映画やドラマって多いですよね。「北の国から」の爪の垢を煎じて飲んでほしいくらいです。