わたしを受け入れること / ファンを作る
「友達に好かれること」を「常に自分のどんな行動をも認め受け入れ、また敬意を払ってくれること」と定義づけるのならば、私は、私の友達からどれくらい好かれているのだろうか。そして私はそんな「友達」という他人に好かれずして、いかに自分のファンを作るというのだろう。
友達と一口に語っても、いろんな種類の、ステージの、友達がいるはずだ。しかし、どんなことにでも驚き喜び、また突拍子もないことだとしても認めてくれる友達は、誰しもそこまで多くはないと思う。
例に漏れず、私もそんなに多くはない。十人いたらいいと思う。
私は友達に恵まれてきた方だと思う。勿論、数的意味ではなく対自分との関係において。他人と意見を分かち合ったり、論じ合うことが昔から楽しかった。家族でそれは出来なかった。自分以外の人間と共感する体験は何故こんなにも気持ちを膨よかにするのだろう。
自分に共感してもらうこと、人に好かれることほど幸せなことはないと私は思う。それは異性としてという意味でも、友人としてという意味でもどちらでも構わないのだが、いずれにせよふわっと軽くて暖かく、どんな辛いことが起こっても私はすぐにご機嫌になってしまう。心理学や脳科学を学んだ訳ではないので詳しいことは全くわからないけれども、この幸せな気持ちはきっと健康にもいいと思う。
私は自分の絵やことばを通して私のファンを沢山作ることをしたい。
昨今オンラインサロンがブームとなっているが、これもある程度の著名人(オーナー)に共鳴し(→ファン)、様々な人が集まって楽しいことや画期的なことを行なっている。別に乗っかりたいというわけではないのだけれど、あの状況が非常に羨ましい。楽しそうだ。大人の部活やサークルとか良い。私ももうちょっと自分の活動に余白があれば、参加して見たいし、運営をやってみたい。
今のわたしにできることとできるエネルギーには限りがある。残念ながら昔ほどのフットワークの軽さがないけれど、まず私はもっと、私とその周りの人たちを幸せにしたい。じぶんの力を通して幸せな気分になれるだなんて、それがまた幸せだ。
その手段が自分の手で生み出した創作物であったり、言葉であったり、共にする時間であってほしいと願う。
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