太宰治と私
私は太宰治が大好きだ。
志が低すぎるかもしれないが、太宰治の書いた作品をテーマにした卒業論文が書きたくて大学に入った。
残念ながら、大学の授業で太宰治のことについて学ぶ機会はなかったが、卒業論文を執筆するなかで、知らなかった太宰治をたくさん知ることができた。
完成には3ヶ月くらいを費やし、毎日毎日太宰治に関する本や参考文献とノートパソコンを持ち歩いた。
女子大生にありがちな(私の周りだけかもしれないが)母親のブランド物のバッグを我が物顔で持ち歩く、ということを私もしていたわけだが、
完成する少し前、ノートパソコンと本を7冊、毎日持ち歩いていたところ、母のヴィトンのバッグの持ち手がちぎれてしまった。
「ヴィトンのバッグってちぎれるんだな」と思った。
母が若い時に買ったものだし、劣化していたバッグに入れる量の持ち物ではなかった。申し訳ないとは思いつつ、持ち手を結んで最後まで使った。
そんな犠牲を払い書き上げた卒業論文は、とてもいい出来だった。
書き上げて一番最初に母に読んでもらい、感想をもとめようとしたところ、母が泣いていた。
びっくりした。
母は太宰治に興味もないし、卒業論文の内容も涙を流すような感動的な物でもなかった。けれど、母は泣いていた。
嬉しかった。
自分の書いた言葉で人の感情が見えたことが嬉しかったし、太宰治にもそう思ったことがあっただろうかと思った。
社会人になった今でも、私は太宰治が大好きだ。本を読む頻度は少なくなってしまったが、本棚は太宰治の作品、太宰治に関する本が大半を占めている。
太宰治のなにが好きなのかは別途書こうと思う。
社会人になり、学生時代とは比べものにならない責任やプレッシャーと戦う中で、自分の好きなものや好きなことを忘れつつある自分に気がついた。全部忘れてしまわないように、太宰治をはじめとした自分の好きなことやものを記録していこうと思う。
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