日本資本主義の父と母
1.どちらが父? 母?
前回、渋沢栄一と岩崎弥太郎は日本の近代資本主義を前進させる両輪だったと記しました。栄一はしばしば「資本主義の父」と称されますが、私は以前から近代日本の資本主義の父は弥太郎で、栄一は母ではないかと考えていました。
近代日本に生まれた資本主義という(あんまり可愛くない)赤子を育てるのに必要な家庭環境を整え、慈しんで育てて独り立ちさせたのが母渋沢栄一、家の外で荒々しく立ち回って生きる糧を稼ぐ道を切り開いたのが父岩崎弥太郎、と私は考えたわけです。やさしい母栄一が家族をはじめ多くの人に愛される一方、独りよがりで外敵が多く世間の評判が悪い父弥太郎……割合ピッタリ来る比喩だと思いませんか?
2.意外なところからの傍証
仏文学者鹿島茂氏は、渋沢栄一の浩瀚な評伝を著しています。鹿島氏は、栄一が江戸幕府から1867年のパリ万国博覧会に派遣された際、「人為的な促成栽培システム」によって産業を興そうとするサン・シモン主義に接し、これを日本に導入して近代資本主義を開花させる契機としたと記しています。
私が注目したのは、万博会場でナポレオン三世の行った演説と、栄一の座談記録に記された演説の内容が「相当に違っている」と鹿島氏が分析していることでした。鹿島氏によれば、栄一はナポレオン三世の演説を日記には正確に記録していましたが、後年語った『青淵回顧録』では次のような内容に変わっていたのです。
この部分を読んで、私は直ちに隅田川会談について栄一が語った内容を想起しました。そこで、会談時にはまだ栄一の中で固まっていなかった「合本制」について、栄一と弥太郎が議論を交わしたことになっていたのです。鹿島氏は、栄一が過去の出来事について語る際、後に得た経験や思考と重ね合わせて再構成したと述べているわけです。こうした語り方が栄一の癖であったことを示す具体例と言えるでしょう。
3.渋沢栄一は超時空聖人?
鹿島氏は、同書で栄一と弥太郎の隅田川会談についても記しています。両者が「合本制」をめぐって議論した際、弥太郎が「事業……は一人の才能ある人間が経営も資本も独占して行うべき」と述べたのに対し、栄一が「資本と経営は分離するのが原則でしょう」と反論したと鹿島氏は書いています。会談が行われたとされる明治十年代前半、「資本」「経営」といった言葉はまだ一般的でないため、二人が会話の中で用いたとは考えにくく、まして「資本(所有)と経営の分離」という概念は、二十世紀のアメリカにおいて発展したものです。
渋沢栄一は、時空を飛び越える超人だったのでしょうか!? ……もちろん、鹿島氏はこうした時代錯誤を承知の上で、隅田川会談で何が語られたか明瞭にするために言葉を選んだのだと思われます。ただ、私としては、鹿島氏が「渋沢栄一に、実際には言っていないことを言わせてしまっている」ことを書き留めて、栄一の思い出話に基づく隅田川会談の逸話は、実は客観的に証すことのできる歴史的な事実ではないのだ、と何度目かの注意喚起をしたいわけです。「学のある人」は時に巧妙に話を飛躍させて読者を煙に巻きます。
4.「サン・シモン主義」を受け入れる土台
鹿島氏の本には文献リストがない一方で索引を掲載し、研究者による評伝的な筆致でありながら、伝記作家の書く「偉人伝」のような雰囲気もまとっています。「まえがき」に、鹿島氏はこう記しています。
鹿島氏は、栄一の「サン・シモン主義」的な貢献に焦点を当てるため、あえて簡明に強く書いているようで、思わず突っ込みたくなります。たとえば鹿島氏は「万人の万人による」闘いの例として、ソ連崩壊後の強欲な新興資本家たちをあげていますが、ウクライナ戦争でもその非道ぶりを露呈したソ連=ロシアと、「忠君愛国」的な「公」が重視されていた維新後の日本と、両者の「エートス(職業倫理)」を同列に論じるのは無理がありそうです。
また、栄一には「サン・シモン主義」を受け入れる土台があったと鹿島氏は記していますが、「栄一のサン・シモン主義」が成功したのは、日本にそれを受け入れる土台があったからと言えないでしょうか(そもそも日本人は「万人の万人による闘い」が嫌い)。たとえば、私欲の権化と見られやすい弥太郎にしても、実は「国に報いるために義務を尽くす」と何度も宣言していて、これは別に虚言ではありません。殊勝な本心と金儲けへの欲望とが弥太郎の中で一体となっていたのです。
5.設計図と欲望と利益
また、「離陸」という比喩に乗っかって言えば、栄一が描いたのは近代日本資本主義という機体の見事な設計図であり、その機体には欲望というエンジンと利益というエネルギーが備えられなければ離陸することはできなかったはずなのです。欲望と利益に関し、日本国民に「実地教育=頑張ったらこんなに儲かった!」を行って嫌われたのが「資本主義の父」弥太郎でした。
同書中、栄一のフランス滞在時、「資本主義の家庭教師」だったフリュリ=エラールが何者かを探究する部分は、度を超した愛書家を自認する氏の面目が躍如としていて引き込まれました。他でも、氏の筆致に思わず納得してしまいそうになることが何度もあり、「栄一・弥太郎両輪説論者」である私としては、これではならじと「反論」を書き記した次第です。
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