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岩崎弥太郎への誤解とその真価

1.目に見えない文明開化

 明治維新、蒸気船や蒸気機関車が轟音と黒煙と共に動き出すのを見たら、人々はこれが文明開化だと直ちに理解できたことでしょう。電信はそれに比べると分かりにくいのですが、一部の目敏い商人は各地の情報を瞬時に知る利点をすぐに把握して高い電信料金を厭わずに利用しましたし、空中に張られた謎の針金が音声を伝えるようになれば、仕組みは不明でも多くの人が新時代の到来を納得しました。

 トップ画像は「東京名所新橋ステンション蒸気車之図」三代目歌川広重。Wikipediaより。

 しかし、会社という仕組みを創造した岩崎弥太郎による「開化」は理解されませんでした。それは、封建的な身分と職業の結びつきから離脱し、自らの意志で集まった成員が営利企業体を構成する、という経済活動上の革新であり、分かりやすく外から見えるものではなかったのです。傍目には、初期「三菱」はよくある海運業者の一つに過ぎませんでした。

2.悪意に満ちた疑い

 創業時、弥太郎の部下になったのは、主に土佐藩の下級武士でした。弥太郎は、プライドの高い元武士が客より偉そうにしがちだったことから、法被はっぴを着せて店頭に立たせました。こうなるとますます他の海運業者と区別が付きません。なのに、この新興海運業者は迅速に成功を収め、弥太郎は巨富を築き上げます。弥太郎が経済活動のイノベーションを起こしたとは誰も認識していませんから、何か裏がある、汚いことをしているに違いないと邪推され、大した根拠もないのに信じられることになりました。

 元武士に商人のなりをさせるような弥太郎のやり方について、これから商業の時代が来るのを見越し武士を商人化したとする解釈があります。しかし、江戸期以来の商人が必要なら、元武士を雇う必要はありません。弥太郎は、土佐商会時代の外商との取引を通じて、新しい時代に適応し継続できる企業(going-consern)を作るのに、昔ながらの商人では役に立たないと分かっていました。法被は、根っからの商人ではない者に商売をさせるための方便でした。

 海援隊が和歌山藩から得た以呂波いろは丸沈没の補償金を、長崎土佐商会の会計を預かっていた弥太郎が横取りしたという荒唐無稽の出鱈目から、土佐藩の藩札と太政官札との交換の際にずるをして儲けたというあり得そうな話まで、弥太郎が富豪になれたのは公金を不法にせしめたからという噂は絶えることがありませんでした。さらに、死後に出された伝記によって、悪い噂は事実であるかのように流布されたのです。

3.岩崎弥太郎は政商だったのか?

 弥太郎は一時的に大金を稼ごうとしたのではなく、継続的に富を生み出す会社企業を作ろうとしたのでした。しかし、例えば「金色夜叉」の作者尾崎紅葉は、英語の原書を読みこなすインテリでしたが、弥太郎をモデルにしたと言われる「三人妻」の主人公は、商家の丁稚修業から出世して冒険商人となり、大金を稼ぐと事業を部下に任せて後は好き放題に生きるという、前時代的な立身出世物語の主人公として造形されました。これは当時の大衆の「大富豪岩崎弥太郎」への理解と遠いものではありません。

 弥太郎はまた、権力と野合した明治期の政商の代表格としてもしばしば語られます。しかし、土佐藩から任された何隻かで海運業者として船出した時、弥太郎に明治政府とのつながりなどありませんでした。弥太郎は初期三菱を、時代にはるかに先駆けた会社企業として運営するという才覚と能力で、弱小ベンチャーから、政府に目をかけられるほどの有力企業へと育て上げ、結果として政商となったのでした。

4.弥太郎の真価は見逃された

 弥太郎が政商であった時期は、実際には拍子抜けするほど短いのです。その早い晩年は(享年52)、政府の後援を受けた海運企業との激しい争いに明け暮れました。弥太郎は自由民権運動が盛んな頃、権力と結びついた悪玉として敵役に仕立てられ(急先鋒は他ならぬ土佐藩出身の運動家たちでした)、そのイメージが後々まで影響を及ぼし、弥太郎ならどんな悪口を言っても許されるという状況が生まれました。何と言うことでしょう! 21世紀にもなって制作されたNHK大河ドラマで、一から十まで嘘の卑屈な弥太郎が坂本龍馬の引き立て役として登場させられたのでした。 

 弥太郎は別に清廉潔白の人物ではなく、生涯になした「悪事」をずらずら並べ立てることも可能です(当時の政財界人の中で際立つほどではありませんが)。ただ、弥太郎の場合、弁護してくれる人が余りに少ないのです。これは彼の露悪趣味による自業自得の面があります。しかし、様々な誤解を含む悪評のせいで、なぜ彼が事業に成功したのかという弥太郎の真価がまともに研究されて来なかったことは、歴史の正しい認識という点で大きな問題と言えます。弥太郎への誤解について、次回も続けます。


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