岩崎弥太郎の歴史上の「貢献」
これまで岩崎弥太郎とその日記について、何度か投稿しました。しかし、ふと気づくと、弥太郎の維新期の歴史の中で果たした役割について一度も触れていませんでした。彼の日記を紹介しようという動機は、元々、日記が面白いからであって、「弥太郎が歴史上の重要人物だから」ではなかったので、当然といえば当然なのですが。
しかし、それでは少し不親切な気がして来ました。弥太郎が歴史に確かな足跡を残したことを知れば、彼の日記を読むいささかの動機づけになるはずですから――弥太郎は、歴史上人気のある人物とはとても言えません。
岩崎弥太郎の最大の功績は、海運という明治維新期の最重要とも言える事業において、外国勢力を日本の内航海運から駆逐したことでした。当時、海運事業は現代から考えるよりはるかに大きな役割を担っていました。まず第一に、鉄道網も自動車もない時代に、大量の貨物を迅速に運ぶ唯一の手段だったこと。
第二に、人の移動における利便性。蒸気船の速度は、徒歩で移動する陸路とは比べものになりません。ところで、人が移動することは、政治や商業など様々な情報が伝達されることでもあります。海運の歴史において情報伝達の機能は見逃されがちですが、実は幕末期以降、日本の政治や経済を動かす見えにくいけれど重要なファクターでした。海運の重要性の第三点です。
情報の伝達において、速度が重要であることは言うまでもありません。蒸気船による海上交通は、幕末維新期において他の情報伝達手段(飛脚とか)の追随を許さない「超高速通信回線」だったのです。この重要な事業を行うには、大型蒸気船や近代的な航海技術が不可欠でした。世界を股にかけ、極東の日本にまでやって来た欧米の海運会社に、近代文明に目覚めたばかりの日本人が対抗するのが非常に困難だったことは、容易に想像がつくでしょう。
明治維新で国内外の交通が自由になると、外国勢力は海外航路は言うまでもなく、日本の内航海運まで独占しようとしました。それを阻止したのが、岩崎弥太郎の三菱だったのです。弥太郎は長崎の「青春時代」から大坂赴任時代にかけて、外国商人との苛烈な取引に従事し、いわば実地訓練で貪欲な欧米企業のあり方を学びました。やがて、土佐商会が藩営から弥太郎個人のものとされた時、そのちっぽけな「商社」には、日本で最初の会社企業となるのに不可欠の二つの要素が備わっていました。
一つは、元になった土佐商会においては、旧態依然の商人ではなく土佐藩士という知識層が中核になっていたこと。二つ目は、土佐藩士たちに弥太郎の「個人企業」に藩から移籍するかどうか選択させたことでした。会社は、高い教育を受けた階層が、利益追求を目的とする組織に自発的に集まるところから始まります。
欧米企業に対抗するにはこうした会社企業が必要とされており、それを弥太郎はいち早く作り上げたのでした。他にそんな会社は日本にはありませんでした。一方で、当時は全国規模で蒸気船を運航するには欧米人の手を借りなくてはならなかったので、三菱は多くの外国人を雇う「国際企業」でもありました。彼らをうまく使うためにも、会社の組織の力と信用は必要だったのです。
ところで、欧米人がはるばる地球の裏側の日本まで来たのは、別に日本人と仲良くするためではなく、かつて黄金の国と言われた謎の国で儲け、あわよくば植民地として支配するためでした。弥太郎が、長崎の青春時代から大阪赴任時代にかけて彼らに学んだのは、西洋式の会社というシステムだけでなく、地球をも横断する飽くなき欲望という西洋人のアニマルスピリットでもありました。それは、近代資本主義をドライブする欲望のエンジンでした。
アニマルスピリットなしに、アニマルスピリットに抗することはできません。ここでは当時の外国と日本の海運会社の競争関係を単純化していますが、最終的に、アニマルスピリットを自らのものとした弥太郎の三菱が彼らに引導を渡した(日本の内航海運から手を引かせた)のは事実です。ところで、弥太郎のアニマルスピリットは、往々にして国内にも向けられました。このため、弥太郎はその貢献によってではなく、悪評によって記憶されることになりました。前に述べたように、「風評被害」も多いのですが……。
合同と社会貢献を前面に立てる渋沢栄一は、日本の会社の祖であり、資本主義の父であるとよく語られます。が、明治維新期、日本で西洋伝来の会社を作る試みは合同することが目的化して、組織力や利益追求という本質が理解されなかったため、失敗が積み重なります。形だけの会社には欲望というエンジンが備わっていませんでした。
会社は社会に役立つことが存在意義である、というのはその通りです。しかし同時に会社は利益追求なしには生き延びられません。明治期の「合同会社」という空疎な器に、欲望というエンジンが必要であることを外から教えたのが弥太郎でした。これをしも貢献と言えるかどうか……。現代なら、やりたい放題のハイテクの申し子イーロン・マスクが、世界に対して貢献しているのか否か、という問いに似ているかもしれません。