高校時代の友達を通して、無自覚な自分に出会う
今日は高校時代の友達と話す機会があった。
近況報告をしているうちに、自然と高校時代の話になった。すると自分さえ覚えていない自分の発言エピソードが出るわ出るわ。特に恋愛系の話は自分の記憶では都合のいいように書き換えられていて、大笑いしてしまった。まぁ詳しい内容は恥ずかしいので割愛させていただく。
でもその時に、当時の自分が「こういう風に行動したいと思っている」と決意した(らしい)発言や「こういう考えは好き、ああいう考えは嫌い」という発言をした(らしい)ことを聞くことができた。
過去の自分なりに頑張って考えていたことがあったんだなぁと、すでに自分の記憶からは消えている事実を知って不思議な気持ちになった。
反対に私が友達に対して、当時の友達の発言で背中を押されて行動できたことを話すと「そんなこと言ったの私?!」と、向こうも数年ぶりに過ぎし日の自分に出会ったようで、笑ってしまった。
noteを毎日書くと、自覚のある自分が見つかる。
過去を密に過ごした仲間と話すと、無自覚な自分に出会える。
大人になって過ごす環境がそれぞれ変わってくると話が合わなくなってしまうのでつまらないとか、過去のことばかり話すのはよくない(過去の栄光に執着しているということで、さらなる成長ために未来を見て過ごしていないから、ということらしい)という話を前にどこかで耳にしていた。それなので、過去の話をすることに少しネガティブなイメージが自分の中でついてしまってモヤモヤしていた。
でも今日、高校時代の友達と話してわかった。
無自覚な自分に出会えるって素敵なことだ。
自分だけじゃできないし、その時の自分を知っている人がいないとできない。
過去が最高の人ではいたくないし、過去の自慢話ばかりする人にもなりたくない。
でも、たまに会って、過去のひょんな記憶を探り出して互いに無自覚な自分と出会う時間を共有するのはいいもんだな。これは続けていきたい。