個性
30年くらい前からでしょうか、日本国内の大きな駅って、どこも「駅ビル」があって、駅前広場があって、「みんな同じやん」と思いました。
今はそれがさらに進んで、コンビニ、カフェ、ドラッグストア、駅を離れても「区別がつかない」レベルになってきたな、と。
これが京都で、
これも京都、
大阪梅田駅
小田原
「同じ」とは言わないです。
あと、「街に個性がない!」と怒っている訳ではありません。
むしろ逆で「どこに行っても買い物のしかたとか共通で便利ちゃう?」
「個性」って、安易に使うべきでない言葉、であると思います。
人間の考えることなんて、誰しも似たような結論になることが多いし、人が喜ぶことも、人が困ることも、誰だってどこだって似たようなものではないでしょうか。
むしろ無理矢理に「個性」などと言い始めて「プロ」に頼んで「変ちくりんなもの」を造られてしまったり。後始末で「個性」を「言い訳」にしたり。
それに、誰しも「普通」に暮らしているつもりが、何かしら「癖」があって、街にもある程度そういうものがあるようで、決して「全く同じ」にはならない。街はともかくとして、人間は、「日本人限定」という狭いシバリをかけてさえ「バラツキありすぎ」。「変な奴が多い」ともいう。人のこと言えないですけど。そういうのは「それは個性ではない」んでしょう、多分。
けれど、物心ついて数十年、それなりに色々な人とかかわることがあったけれど「変なところが何一つない人」って、誰かいたかな?
「個性的でありたいのであって変な奴になりた訳ではない」それ無理ちゃう?
私だってそうです。「個性的であろう」なんて企んだって、単なる「変な奴」にしかならない。「特筆すべきところのない奴」で、別に構わない。
でも、これくらいの「異色」はあってもいいかも。大雄山線唯一の「ペンキ塗りの電車」。1編成目3両だけペンキ塗り。2~7編成はステンレス。
「異色の編成を造ろう」としたのではなく「まず1編成造ってみたけど、ステンレスの方が長い目で見てペンキ塗らなくていいの、よくない?」みたいな事情で、そうなったのではないかな、とは思いますけれど。
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