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シン・なんとなくのススメ

noteに書いてる なんとなくのススメは
なんとなく感じるってことが大事だよーって思って始めたのだけど

なぜ、なんとなく感じる、ってことが大事だなーって思って
それをこうして誰かに読まれるように書いているか?

という、

そもそものお話。
 
 
私は、10年前に
みたまを知った。
 

ひとの体や感情とは別に在るイノチのことだ。
 
生きづらく
息づらく
文字通り息がしづらいらくらいに生きづらくなった10年前

入江富美子さんの「へそ道」を教えてくれた人がいて
和歌山の合宿に行った。
 
生まれて初めて受けた「講座」
ノートにメモをとるということすら知らなかった。

生まれて初めてする「ワーク」
受講生同士で対話するもの
自分のなかを見つめ
書き出す
 

その合宿で私が得て帰ったのは
こうすれば生きやすくなるというスキルや方法ではなく
 
 
 私は愛されていた
 
 
という事実だった。
 
それは不意にやってきた。
 
あのワークをして
こうでこうでこうだから、出てきた、
という類いのものじゃなかった。
 
 
誰かが
私に
私の知らないところから

 ふぅ
 
っと息を吹いて
私の何かを揺らして
隠れて寝ていた私を起した

そんな感じだ。
 
 
起きた私はギャン泣きだった。

嬉しくて嬉しくて嬉しくて
 
ほっとした。
 

 
生きづらかった私の中に
こんな安堵があるなんて
想像もできなかった。
 


それから10年経った今も

たとえば、
その安堵を指さして

たとえば、
どこからか吹いてきた風を指さして
 
それを吹かせた何かを指さして

これがみたまです
と言えない。
 
 
きっとそれは、その人がその人の中で
なんとなくを感じるものだから
 

あの頃の私のような
あの頃の私ほど辛くもない
あの頃の私よりずっと苦しい
まったくなんの辛さもない

だれかの感性に向かって

これからは
私が感じる、そのなんとなく自体を
言葉にしていこうと思う。 
 

以上、
シン・なんとなくのススメ。
 
新しいタイトル、なんにしようかな。
 

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