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ポピュリズムがイズムに変わるとき
さて本日は石戸諭さんの新著『「嫌われ者」の正体』の書評的なエッセイ.そして兵庫県知事選のお話です.
同書では,「嫌われている」のに「人気があるor目が離せない」人物として,玉川徹氏,西野亮廣氏,ガーシー氏,吉村洋文氏,山本太郎氏が取り上げられます.また,人物だけではなく2022年の統一教会,N党ムーブメントや維新の会にも言及が及ぶ.
その大きな特徴は,いずれの人物・組織についても褒めたり批判することを目的にしていないところ.もちろん筆者自身の評価はあれど,それはそれ
.やや距離を置いた記述が中心です.人物そのものに焦点をあてて「なぜかくまでに注目されるのか」記述している.これは『百田尚樹現象』からの一貫した石戸ルポの特徴でもある(中立性故にファンにもアンチにも敵認定されやすく……なかなか辛そうな道を選んでいるなぁと思う).
一例として,玉川徹氏の章に注目してみよう.誤解している人が多いですが,玉川氏は報道の人ではないです.テレビ朝日報道局でのキャリアは(ほぼ)ない.入社した手のころからワイドショーを軸にしてきた生え抜きのワイドショーマンです.
反権威を軸に,感情をゆさぶる断片的な情報で視聴者の心をつかむ.玉川氏が一躍注目されるきっかけとなった公務員宿舎問題からコロナ問題まで,同書では,その内容や煽りの是非ではなく――なぜそれがウケたのかという点に注目しながら記述されている.
本書を読む前から薄々感じてはいたのですが,玉川さんテレ朝の社員じゃなかったら名うてのネットインフルエンサーになってたと思うんだよね.左系で突撃取材とかやるYoutuberとか^^
このあたりの説明が,私が同書を「ビジネス書として読むと面白いかも」と評する所以で.各章それぞれが,
自分に与えられたチャネルの特性を踏まえ,そこにいる顧客の感情に訴える短いメッセージを通じて,自身への注目を高めるという活動
の成功例の紹介にもなっているわけだから.これってセルフ・ブランディング系のビジネス書にいかにもありそうな構成だよね(多分筆者の意図と全然違う読み方なのでごめんよmm).
唯一人物をとりあげていない「2022年の統一教会」も「自分(たち)を大きく見せる方法」として参考にすることもできる.もっとも,統一教会は自分たちを大きく見せることに成功しすぎた結果,社会にとっての巨悪として糾弾されるようになるわけだけどね.
同書で取り上げられる人物・現象を括る言葉が「ポピュリズム」です.ここも百田本以来の筆者の取材テーマ.今日の日本で「ポピュリズム」とか「ポピュリスト」というと悪口になってしまうけど,少し評価中立的に定義をしておくと
ポピュリズム→体系的な価値観・思想に依存せず,大衆(の一定のグループ)の潜在的疑問・不満に答えること
とまとめられるんじゃないかな.玉川徹氏,山本太郎氏,NHK党、初期の大阪維新――政治スタンスはまちまちだが,上の点においてポピュリズム的な手法を用いる点は共通している.この手法を政治以外の文脈で活用すると西野亮廣氏のビジネスモデルとなるわけ.
余談ながら,私は,反原発活動で注目され始めた頃から山本太郎氏に気をつけろ!天才だから!……と語ってきました.でもそのたびに帰ってくるのは氏やその支持者への軽蔑・侮蔑だった(今でもかも).でもね.「山本太郎という現象」から目を背けることは民主主義から目を背けること何じゃないかと思ってるんだ.
ポピュリズムを大衆迎合と訳したり,悪口として使うのは正当な評価ではない.大衆の潜在的な,それ故に明確に言語化されない疑問・不満を明確に言語化すること,理解して受け容れられるパッケージとして示すってのは政治や言論の重要な機能だよね(そして商品開発の基本でもある^^).
マルクス主義から導かれる「"正しい"要求」ではなく,地元名士or政財官界の長年の習慣に基づく「"現実的"な判断」でもない.ポピュリズムと括られる諸要求(の一部は)まだ体系化されない人々の意思のあらわれでもある.これを全面否定すると硬直的な教条主義や単なる守旧主義になってしまう.
むしろ安倍首相が覚醒させた何か,現在国民民主党にあつまる注目といった部分に「"ポピュリズム"が言論と法的・制度的裏づけを通じて"○○主義"に体系化される瞬間」が隠されているのではないだろうか.両者の政治スタンスは保守と中道リベラルと,かなり異なります(経済政策は比較的似ている).この差があるにもかかわらず,安倍首相やその後継者支持から国民民主支持に移行した人が少なくない.このあたりに移行期を感じるのです.
おまけ
さて兵庫県知事選であります.今次の選挙戦の結果をSNSの勝利/オールドメディアの敗北だけでまとめてしまうのは少々違和感がある.
斉藤元彦知事は3年前の知事選で自民党本部・維新の支持を得て当選しています.自民党兵庫県連主流派が元副知事を推す中での保守分裂選挙を制した知事で,就任後も行財政改革や湾岸エリア開発による企業誘致などをすすめてきた首長です.
県財政赤字の削減と企業誘致・・・って県政の常道ですよね.ワンイシューや明確なメッセージで有権者をひきつけるという感じもない.今回の出直し選挙戦でも自身に投げかけられた疑惑を鋭く論破するという立ち回りには見えない.要は『「嫌われ者」の正体』におけるポピュリズム的な手法を駆使したイメージは薄い.単純化すると派手に目立つ候補者というかんじではないわけです.
個人的な感想としては,
・百条委員会の結果を待たずあわてて不信任決議
・オールドメディアがこの不可思議な決定を全く批判しない
・さらに県議会全面支持と受け止められる情報発信を続けた
...これはSNS関係なしに「こりゃなんか怪しくないか?」という疑念がわいてくるところでしょう.この手のマジョリティの漠然とした疑問をトリックスターは見逃さない.すかさずこの「民意」を拾ったのが立花孝志氏なのではないだろうか.
正直,県議会が何故こんなにも焦ったのかわかりません.斉藤氏への疑惑が確かなものならば,なおさら一通りの調査結果を得てからの不信任の方が正当性がある.なぜそんなにも焦ったのかは本当に疑問でならないのです.
疑惑の真実はどこにあるかはさておき,今次の結果はSNSに煽られたというよりも「くすぶる疑問」があったからこそ,SNSやトリックスターがそれをとらえて「乗っかった」というイメージが強いんですよね.
その意味で,斉藤元彦現象?は斉藤元彦氏はトリックスターなのかと考えるよりも...立花孝志氏という「嫌われ者」がなぜこの問題に注力したかという視点で観察すると現代政治にとっての重要な知見につながるんじゃないだろうか(知らんけど).
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