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MMP #4(中編)|AYAさんと「こうあるべき」に向き合う


いつかまた同じ場所に集まることができるようになったときのための「下ごしらえ」をしていく企画、「MONTHLY MAKING PREPARATIONS」

第四回は、漫画でわかるLGBTQ+ / パレットーク 編集長のAYAさんをゲストにお招きしました。『器』の中でも中心的に扱われているジェンダーやセクシュアリティの問題についてお話を伺いながら、わたしたちの「死にたみ」の背景にある「こうあるべき」に向き合いました。自分や他者の「Life」を尊重しながら生きていく方法を、対話を重ねながら探っていきます。

※ この座談会は、2020年8月15日に、オンライン通話にて行われました。
※ この記事は、(中編)です。

「MONTHLY MAKING PREPARATIONS」に関連する記事の売上やサポート(投げ銭)は、今年10月に予定している『器』の公演資金として、大切に使わせていただきます。


▼ 参加者

ゲスト
AYA

いいへんじ
中島梓織
松浦みる
小澤南穂子

いいへんじのおとなりさん
水谷八也(早稲田大学文学学術院教授)
清田隆之(恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表)

スタッフ
大嵜逸生
増田悠梨
▼ 全体の目次
この記事は(中編)です。

(前編)
① 今回のゲストはAYAさんです!
② 気になること1:LGBTQとメンタルヘルスの関係
③ 気になること2:「○○らしさ」を超えるためには
④ 気になること3:安心安全な場所の作り方
⑤ 気になること4:生きづらさを抱える相手に向き合うときは
⑥ 気になること5:発信するときに心がけること

(中編)

⑦ 中途半端であることの重要性
⑧ 「Life」って日本語でどう訳す?
⑨ 相手に向き合うときの葛藤
⑩ ドアを開けておいてあげる

(後編)
⑪ Q:「自分で認める」ことがこわいです。
⑫ Q:「わかりやすさ」に対する葛藤があります。
⑬ Q:相性がいいと思えるメディアの在り方は?
⑭ Q:当事者/非当事者の線引についてどう考えますか?
⑮ これで十分だと思わずに、考えることをやめない!



中途半端であることの重要性

中島
では、次にですね、水谷先生と清田さんから、私たちの話を聞いていて気になったことがあれば、お話しいただけたらと思います。


中島
じゃあまず、水谷先生から、お願いします。

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水谷
はい、前回の星野概念さんのときと同じで、めちゃめちゃおもしろくて、あの、めちゃめちゃおもしろくて(笑) 星野さんのときには、いくつか質問があったんだけれども、今日は、質問っていうよりかは、言ってることにいちいち「そうだそうだ!」っていう思いのほうが強くて。AYAさんの言葉の中で、あっこれ今日のヒットだな、と思ったのは、「バント」ですね。

AYA
(笑)

水谷
バントはね、いいですよ。なるほど、と思いました。

野球にも、いろんな種類の野球があるというか、たとえば、アメリカの大リーグだったりすると、パワーとパワーの勝負だから「バントなんて男らしくない!」っていう感じがあるわけだけども。アメリカの大リーガーの基準からすると、バントって、非常に中途半端な作戦だと思うんですよ。

でも、僕はかなり昔から、中途半端であることの重要性っていうのをずっと考えていて。中途半端であるということは、決めないということなんですよね。黒か白かって決めないんですよ。その中間であることの意味っていうのが、かつてよりかは、いまのほうが、だんだん認識されやすくなってると思うんですけれども。

黒か白かって決めちゃうのは、楽なんですよね。ある一方に、依拠してしまえばいいわけだから。でも、社会で生きてく中では、1+1=2みたいな数学的な明快な解答が出ることってほとんどないわけですよね。ということは、これが正解かもしれないけど、他にも正解があるかもしれない、っていう、どっちか決めないでいるときの、胆力っていうか、エネルギーっていうか。それが、現代の我々に決定的に欠けていて、なんとか世の中を変えていきたいっていうときに、とても重要なポイントかな、と思うんですよね。

清田代表とは、「見当識と素材を取り戻すための自主ゼミ」っていう、自主ゼミをやっていて、そこでも、結局、過程が重要だっていうことを考えてるんですね、常に。中島さんとも、しょっちゅう、そういうことを話してるんだけども。中島さんとの共通のキーワードのひとつが「おしゃべり」なんですよね。つまり、結論を出さない、っていうか、出るときはもちろん出るけれども、あえて出すということはしなくて、先延ばしにする、っていうことですね。先延ばしにする、っていう言い方をすると、なんだかマイナスなイメージがするんだけども、でも実は、そうすることによって見えてくるものが、たくさんあると思うんですよね。逆に言えば、結論を出してしまうことによって切り捨てられていく部分がたくさんある。普段、そういうことを常に考えてるんですけど、今日も、AYAさんの「送りバント」っていう言葉を聞いて、そんなことを思っていました。

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LGBTQのことを考えるときもそうだけれども、結局、白か黒か決めてしまうこと、カテゴライズしてしまうこと、それって、「線引き」の問題ですよね。その線っていうのは、ほんとうに必要なのかどうなのか、っていうような問題にも、結びついてくるな、ということを思いました。


水谷
あと、もうひとつ思ったのが、前回、星野さんのときにも、教育のことが話題に出ましたよね。私も教育の現場にいるので、他人事ではないわけですけど。それに、AYAさんとうちの娘は同じ歳なので、いま、娘に語り掛けてるみたいな感じなんですけど(笑)

うちの娘は、ミッション系の幼稚園に通っていたんですね。私は、ミッション系の幼稚園でほんとうによかった、と思っていて、それはなぜかというと、そこには確実に哲学があるんですよ。その哲学の根底にあるのは、もちろんキリスト教なんだけれども、その次に来るのが、個人個人、全員、一人一人を人間として、「個人」として認める、っていう考え方が根底にあるんですよね。娘が通っていた幼稚園には、ダウン症の子がいたりだとか、自閉症の子がいたりだとか、したんだけれども、その子たちを排除することなく、あの子はあの子、っていう対応を、幼稚園の先生たちもしていて。ミッション系の幼稚園での教育っていうのは、いろんなことを考える上で、ヒントになるんじゃないかな、ってことを思いましたね。いま、日本人は、宗教に対してとても臆病になっているので、一歩引いちゃったりするんだけども、そこで見られる哲学っていうのは、重要なのかなって思いました。

さっきのAYAさんの話の中で、すごくおもしろかったのは、教育学部の先生たちは、もちろん、研究はしているわけだけれど、どうしても、こういう場合にはこうすればいいっていう答えを出しちゃうってとこ。ガイドラインっていうのかな。どうしても、How Toになっちゃうんですよね。僕は、教育は最終的にはHow Toでなくて、Whyを求めるんだと思ってるんですよ。コロナ禍にあって、特にそうなんですけど、人文学が非常に重大な意味を持ってくるな、って、お二人のお話を伺いながら考えていました。



「Life」って日本語でどう訳す?

水谷
ちょっとひとりでべらべらしゃべりすぎちゃってもあれなので、もうひとつだけ。僕は、もともと、英米の演劇が専門なんですけれども、これまで自分が心惹かれてきた戯曲の中からキーワードを拾い出してみてるんです、最近。ときどき、翻訳もやるんですけど、翻訳をするときにとても困る言葉のひとつが、「Life」なんですよね。最近は、この言葉について、よく考えています。

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