アダルトチルドレンが人生を振り返ってみた
はじめまして、「通りすがりのハリネズミ」です。
今日は色々思うことがあって、自分の人生をまとめてみたので、よかったら読んでみてください。
この記事を読む前に「アダルトチルドレン」について知らない方は一度調べてから読んでくださると嬉しいです。
国語が苦手なので、よく分からない文章があるとは思いますが、そこはご了承ください。
小学1年生のときに父親が死んで、初めて不登校になった小学2年生の時からすでに私の人生は狂い始めていたのかなと思う。私は「担任の先生からいじめ(差別)を受けている」と母親に訴え、公立小学校から私立小学校に転向したのだが、実際受けたいじめの記憶はほとんど残っていないため、真偽は定かではない。ただ、「他の子みんなあの先生のことが嫌いだって言ってた」と盛った話を母にしたことは覚えている。
私立小学校に入学してからは楽しい小学校生活を送っていたが、すでにアダルトチルドレンの症状が出ていた。唐突に友達のことが嫌いになり、無視し始める。その友達を孤立させるといじめになると思って、自分が孤立することで友達との距離を置こうとした。この癖は今に至るまで治っておらず、基本的に友達関係は続かない。
私立小学校を卒業し、公立中学校に入学した私は社会の厳しさに直面する。私立小学校では一応受け入れてもらえていた私の性格は公立中学校では悪目立ちした。中学1年生の時、私の携帯に私に対する悪口が大量に書かれたメールが突然届いた。この時、「私は人から嫌われる人間なんだ」と知った。それまで誰にも何も言われてこなかった自分を全く信用することができなくなった。「この発言をするのは良くないかもしれない」「この行動は浮いてしまうかもしれない」「私は容姿が酷く劣っているのかもしれない」などと常にネガティブに考えるようになった。それと同時に、人から攻撃を受けないような地位を確立しようともした。学校の先生を味方につけ、勉強も頑張った。結果的に中学3年間でいじめられたと認識したのはそのメール1件だけで、休みがちではあったものの、一応卒業することができた。
この時身に付けた平和に生きる術があった。それは人のことを真似することである。同級生だけでなく、テレビに出ている芸能人まで、人に評価されている人間の行動を真似するようになった。「こうすれば人から批判されないんだ」と思った。この頃から、人に迷惑をかけないように生きることを最優先し、自分の意思が自分でも分からなくなってしまった。
高校に入学した。高校は県内で1番偏差値の高い公立高校だった。空気感は通っていた私立小学校と似ていて、一般的には変わっている行動でもみんな受け入れてくれた。しかし、中学を卒業する頃から過呼吸を起こしたりと、完全におかしくなってしまっていた私は色々と問題を起こすことになる。人に何かを言われることに対して過敏になっていた私は、人と意見が衝突すると過呼吸を起こし、「今の行動は悪目立ちしたんじゃないか」と不安になると過呼吸を起こし、誰かが叱られてるのを聞くと「自分に言われてるんじゃないか」と感じて過呼吸を起こした。また、全国でも有数の自称進学校だったので、先生もかなり厳しく、授業中声を荒げることが毎日ある状態だったので、自分が怒られないように努力するのに必死だった。
高校3年生の時、生徒にかなり嫌われていた癖のある先生が担任になった。結果的に10月ごろ、私は学校に行きたくないと言い始め、不登校になり、卒業式にも出なかったのだが、なぜこんな大事になったのか自分でも分かっていない。親や学校には「先生がおかしい」と言ったのだが、果たして本当にそうだったのか。実際は、先生達に怒られないようにするためだけにしていた授業の予習をしたくなくなったからではないのか、受験のストレスに耐えられなくなったのではないか、いつ先生達がキレるか分からない状況で怒られないようにする努力をするのに疲れたのではないか。多分、これら全てが要因だと思うが、私はなぜかその先生1人のせいにしてしまった。
不登校になって2ヶ月くらい、鬱になったように笑わず話さずボーッとした生活を送り、その後はゲームをしたり、好きな数学の問題を解いたりと、みんなが受験のために必死に勉強している期間、私はほとんど勉強しなかった。しかし、先生に怒られないようにと2年半毎日授業の予習を完璧にしていた蓄積のおかげで、有名私立大学に合格し、現役で入学することができた。地方に住んでいた私は親元を離れ上京し、一人暮らしを始める。半年ぶりの授業、半年ぶりの同級生との会話、「私はここで花を咲かせるんだ」と必死だった。学業については、大学4年生になるときの成績順位が3番だったという結果から分かるように、かなり頑張ったし、成果も出た。しかし、問題は人間関係だった。
入学前から入学予定の学生とTwitter上でコミュニケーションをとり、入学時には同級生のフォロワーが100人以上いる状態だった。この頃からかなりツイートしていて、ツイ廃として同級生の間では少し有名になっていた。入学して、Twitterでコミュニケーションを取っていた人たちと実際にあって、入学したての時の熱が冷めた頃、1つ目の事件が起きた。入学して一緒に行動を共にしていた2人の友達のうち1人のことが突然嫌いになり、口を聞かなくなった。アダルトチルドレンの症状である。友達をLINEでもTwitterでもブロックし、現実でも決して口をきくことはなかった。こうして私は大学でも1人になった。
5月から弁当屋さんでバイトを始めていた。2つ目の事件はここで起きる。この弁当屋さん、おばちゃんチーフが店を仕切っており、このチーフがとても他人の悪口を言う人だった。私は悪口を言われたくない一心で、色々と気を配り、1ヶ月もしないうちにかなりチーフに気に入られた。チーフの話を全て聞き、親から地元の特産品を送ってもらってはチーフに渡していた。全てうまくいっているように思えた時、私はチーフにあることを意見してしまい、チーフに悪口を言われる対象になってしまった。意見した次のバイトの日、私は泣きながら働き、結局過呼吸を起こしてしまい、次の日に退職届を提出した。
「私はやっぱり社会で生きていけないんだ」と深く落ち込んだが、まだ新生活頑張るぞという意識が残っていたので、すぐに新しいバイトを探し、ファストフード店で働き始めたのだが、このバイトは今でも続けており、それなりの地位になっている。弁当屋さんのバイトをやめたのが8月の終わりのことだ。
3つ目の事件はTwitterで起きる。そもそも、私の発言は炎上しやすいようで、「GPA3.5で自慢するってどうなんだ」などと過激な発言をして、度々炎上していた。自分は炎上しているなどと気付かず、「このツイートいいねがなぜかいっぱいつくな」という風に思っていたら、知り合いに「あれはどうなの?」と言われて初めて気づくという状態だった。私は自分で全部やろうとする人間なので、たいして仲良くもない人を頼ってまで単位を得ようとする人間がとても嫌いだった。要するに、「授業ノートちょうだい」などという連絡が大量に来るテスト期間は苦痛でしかなかった。そんな時私はTwitterで「マジで腹立つ。壁に穴開けたいくらい腹立つ。布団に顔を埋めて叫んだ。」という内容のツイートをした。すると、私のことをフォローしていないはずの私が苛立った原因の人から、「ごめんなさい」というLINEが来たのだ。私のフォロワーの中にその子の友達がいて、「こんなことツイートされてるよ」とその子に連絡されていたようだ。よくよく話を聞いてみると、私は一部の学科女子から大層嫌われていて、よく私の悪口を言っていたようだった。とても驚いた。私のツイートを見ているだけの人達から嫌われるほど私のツイートは不快だったのかと気付いた。いつの間にかフォロワー全員を敵に回していた。私はTwitterのアカウントを消し、Twitterを辞めた。
「じゃあ、あなたは大学4年間1人ぼっちの生活だったんだね」と言われるとそうでもない。こんな私でも仲良くしてくれる友達が2人だけできた。1人は同じファストフード店でバイトしてることをきっかけに仲良くなった子で、もう1人は「自分で全部する」という思考や真面目な性格が似ていて仲良くなった子だ。私はTwitterの件で、私のTwitterのフォロワー全員に嫌われていたのだが、この2人はフォロワーではなかったので、先入観なく接してくれた。2人とも個性を受け入れてくれて、人のことをあまり気にしないタイプだったので、私は一緒にいて精神的に楽だった。この2人は私の人生の中で1番友達関係が続いてる人で、これからも仲良くしてもらいたいと思っている。
大学1年生の時に問題を起こして以来、私のことを受け入れてくれなさそうな人間とは関わらないというスタンスをとることで、とりあえず大きな問題は起こさなくなった。しかし、大学4年生になって卒業を控えた今、また大きな問題を起こしてしまった。それは「指導教官との対立」だ。私の指導教官は学科でも有名な癖のある教員だ。私はこの教官の研究室に今のところ大学院まで行く予定なのだが、教員に暴言を吐く口論をするほど私は彼が嫌いだ。そもそも、そんなに仲が悪いのになぜ私がその研究室を選んだのかというと、この教官は自称教育者で、低学年向けのゼミを開き、低学年でも研究できる環境を作ってくれているのだが、私も1年生の時からそのゼミに参加しており、自分の研究を続けたいということで大学院の進学までを決めた。4年生になり、正式にその教官のゼミのメンバーとなり、教官と関わる機会が多くなっていくにつれ、私の中で違和感が大きくなっていた。私はその教官にとても気に入られていたため、研究発表会に連れて行ってもらったり、科研費の書類作成を手伝わせてもらったりと、お供することが増えた。しかし、その教官と一緒にいること自体私にとってはストレスだった。その教官も人の悪口をよくいう人で、「気に入ってもらっている状況を維持しなければ見捨てられてしまう」という意識が常に自分の中にあり、その教官といるときは常に神経を尖らせている状態だった。その一方で、一緒にいるうちに「この教官に気に入られておくことに意味はあるのか、この教官は尊敬に値するほど有能なのか?」という考えも芽生え始めていた。そんなストレスと不信感を感じ続けた結果、「私はこの人間とコミュニケーションをとりたくない」と思ってしまった。こんな事を言っているが、おそらく教官との距離が近くなり過ぎた結果アダルトチルドレンの症状が出てしまっただけなのだろう。これが昨年の10月頃の話だ。私は研究をボイコットした。教官とつながりのある研究する事自体にストレスを感じるようになり、研究をしたくなくなってしまった。「大人なんだから、人の好き嫌いくらい我慢しろ」と思うだろう。しかし、これがアダルトチルドレンの症状なんだと思う。
時が過ぎ今年の1月、私は教官に呼び出された。「大学院進学をやめて就職した方がいいと思う」と言われた。「あなたは自分の興味のあることと研究を両立できる人間だと思っていたのに」とも言われた。私はこの一言に苛立ちを覚えた。「私は研究を両立できなかったわけじゃなくて、研究をしたくなかったんだ。お前が全部悪いんだ」という事を直接ぶつけた。本当はアダルトチルドレンである私の性質の問題で、教官は悪くないのに、全てお前が悪いから、お前の態度をまず改めろという話をしてしまった。話が脱線するが、私は自分が正当であるかのように事実をつなぎ合わせるのが得意だと思っている。本当はアダルトチルドレンである私が悪いのに、あなたがこうだから私がこうなってしまった。責任とってくれますか?という風にする傾向がある(その人ではなく、私にアダルトチルドレンが原因だと気付いたのはつい最近だが)。話を戻そう。この教官は元々口が悪く、他の卒研生もかなり精神的にダメージを負っていた。私はそれを利用し、研究をしなかった自分の非を隠し、研究をできない状況に追い込んだ教官を責めた。教官は「態度を改めるよ」と言ってくれた。
私は大学院に進学するのか、就職するのか決めなければいけなくなった。しかし、自分の非を相手のせいにしてしまった事実、やっぱり自分は普通ではない迷惑をかける人間だとという事実を受け止め切ることができず、完全に正常な思考と意欲を失っていた。泣いているわけではないのに涙が流れ続け、「人に迷惑をかけずに生きていくことができない、死ぬしかない」としか考えられなくなっていた。今までは、自殺すると損害賠償が発生して親に迷惑がかかるから自殺はやめようと思っていたのに、この時は「安いアパートで自殺すれば安い損害賠償で済む、最後はアルコール一気飲みで死のう。死ぬなら弟の国立の受験が終わった後死のう。」と思っていた。死ぬ準備のために家の掃除を始めた。その時「死ぬ前に親の許可を取っておかないと、親が立ち直れなくなるな」と思って、母に電話をかけて、「もう死ぬしかないと思う」と伝えた。すると母は「あなたが死ぬ時は一緒にお母さんも死ぬから、1人で死ぬなんて言わないで」と泣きながら言った。私は「私のせいで人が死ぬのは嫌だした母が死んだら弟にも迷惑をかけてしまう、じゃあ死ねない」と思った。結局、自殺は思いとどまった。しかし、植物状態の私に就活か研究かなんて選ぶことができなかった。就職する意欲も研究する意欲もなく、でも人に迷惑をかけて引きこもり生活なんてしたくなかった。死ぬという選択肢を消されて私はどうすればいいんだろうと思っていた。
今までの文を読んでもらえれば分かると思うのだが、私は死ぬことよりも何よりも人に迷惑をかける行為が1番嫌いである。人に迷惑をかけて生きるくらいなら死んだほうがマシだと今でも思っている。教官に呼び出され、私はうつのようになってしまったのだが、呼び出された2日後にバイトを入れていて、「これに行かないと、誰かに迷惑をかける」と思い、無心でバイト先に向かった。そして、お世話になっているマネージャーに「教官に就職を勧められたので、3月に辞めるかもしれない」と伝えた。するとマネージャーは「あなたはちゃんと就活すれば良いところに入れるのに、そんな教官の一言で就職先を適当に選ぶのはおかしくない?行けばいいじゃない、大学院」と言ってくれた。人手を確保するための言葉だったとしても、泣くほど嬉しかった。バイト中はみんなに心配をかけないようにいつも通り振る舞うように努力した。すると家に帰る頃にはかなり思考が回復していて、「大学院行こう」と決意することができた。
それからは「自分で決めたんだから、ちゃんとしよう」と思い、研究に再び取り掛かった。苛立ちながらも、毎日教官と議論するように心がけた。「これで無事大学院まで行って卒業できました」となりそうだが、最後にまた事件を起こしてしまった。
それが今朝の口論である。今日は卒業研究の成績発表の日で、朝私が成績を確認すると「B」をつけられていた。苛立ちが抑えられなかった。毎年うちの研究室はしっかりと卒業研究を行っているのだが、今年は「卒業研究しなくてもいい」という方針に突然教官が変えた。私は研究はボイコットしていたものの、そのように教官が言っているのならゼミだけちゃんとやればSがつくのだろうと思って、ゼミの準備だけはちゃんとしていた。それなのにBか。教官は私の作った成績の評価基準でもあるゼミ資料を見ずにゼミの発表を聞いていたので、てっきり「問答無用でSだからかな」と思っていたのにBか。私は苛立ちを抑えられず、朝教官を訪ねた。私は今まで人の前で出したことのないくらい感情を露わにして教官にキレた。結果的に「卒業研究で新規の発見をした人、もしくはそれ相応の努力をした人にしかSをあげないというのがうちの研究室の例年の基準で、今年もそれに則るからあなたはB」ということだったのだが、それに全く納得できなかった私はアホだのバカだの頭おかしいだの数々の暴言を教官に浴びせた。もうすぐで殴りかかりそうな勢いだったと思う。
私の教官が全て正しいとは思っていないので、今日の私の発言の全てが間違っているとも思わないが、それよりも自分の感情の出し方に驚いた。私は元々人に反抗しない、自分の感情を内に秘めておくタイプだったが、今回のように最近私の中で何かが変わりつつあるなと感じている。正直、今は自分が怖い。自分が変わってしまう前に、人に迷惑をかけてしまう前に早く死にたいと思っている。せめて人に迷惑をかけないように、私の全ての人脈を断ち切りたいが、そうすると心配してくれる人もいるだろうし、やっぱりこれはアダルトチルドレンのせいなのだとしたら、アダルトチルドレンを克服するために耐えるしかないのかと考えている。
色々と現在までのことを話したが、結論として私はアダルトチルドレンで、今アダルトチルドレンを克服したいと思っている。アダルトチルドレンを知ってから思ったのだが、私の両親は2人ともおそらくアダルトチルドレンだ。よく自分たちがどれだけ親から愛されていなかったのかというような話を聞いていたからだ。私は親から愛されてなかったわけではないが、父が早くに他界し、幼い弟に付きっきりの母に甘えることもできず、十分に愛情を感じることができなくて、しかも母の気を引くためか、母の過度な期待のせいか分からないが、いい子を演じようとしていた自覚もある。私は母がどれだけ頑張って私達を育ててくれたか知っているので、両親のせいにはしたくないが、おそらく両親のせいでアダルトチルドレンになった。でも、未だにアダルトチルドレンだと思うということは親には言えてないし、一生言えないと思う。しかし、こんな私でも相手にしてくれる友人、評価してくれるバイトの先輩がいる。そのことは「どうせ心の中ではこう思ってるんだろう」というネガティブな考えはせず、前向きに受け止めていきたいと思ってるし、そう評価してくれてる人達のためにより良い人間になりたいと思う。
アダルトチルドレンは生まれてきたときの性質ではなくて、育ってきた環境によるものなので、克服することができると知った。どうすれば克服できるのか分からないけど、早く克服してこれから人に迷惑をかけないようにしたい。この文章にもアダルトチルドレンらしさが出てしまっているのだろうか、もう15年アダルトチルドレンとして生きてしまったので、何が人と違うのかもう分からなくなってしまったなぁ。
最後に、私が覚えてて、「迷惑をかけてごめんなさい」と本気で思ってる方々を残しておきます
小学時代
Kさん、Aさん、Kさん、Nさん
中学時代
Yさん、Tさん、Aさん、Kさん
高校時代
Hさん、Tさん、Uさん、Yさん、Nさん、Kさん、Nさん、Kさん、Kさん、Aさん
大学時代
Nさん、Yさん、Sさん
今まで私が生きているから私と関わることになってしまった方々、たくさん迷惑かけてごめんなさい。私なんかの相手をするために貴重な人生の一部を使って下さって本当にありがとうございます。それを無駄にしないように、これから精一杯がんばります。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
これから私と接する時は、「そこはいいところだよ」「それは不快に感じた」などと意見をいただけると嬉しいです。
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