出て来るものを尊重する
「聴く」×「よさカード」
「聴く」をテーマに「よさカード」を引いて、様々なことを語るシリーズ。
今回のよさカードはこちら。
お話を聴いているとき、
たまに「この質問したら、こんな風に答えが来るかな」と想像することがある。
そういうとき
「いま想像しているのは、わたしの方の出来事だ」という意識を持つようにしている。
出てきた言葉、表情が何であれ、
わたしの想像と違っていても、もちろん合っていてもそれはわたしの側で起こっている出来事だ。
という意識だ。
その上で
目の前の人が発する何か(大抵は言葉なのだけど、沈黙があったり、時に「うまく言葉で表現できないから」ということで絵を描かれたりすることもある)を受けとめる。
相手から出て「来」るものを、そのままに。
わたしは、
その人が
その人の言葉で(または表現で)
感じたことをそのまま出す
ことが、とても素晴らしいと思っている。
出て「来」たものを、その人とわたしで受けとめ合う。
そこが「聴く」の土台にあるような気がする。
土台が感じられたら、わたしも自分の感じたことを伝えたり
内から出てきたものを一緒に話して楽しむこともある。
でも、まずは出て「来」たものをそのままに。
そして、自分の感じたものと相手の感じたことを混ぜないように。
* * *
随分前の話。
わたしはそのとき、友達の話を聴いていた。
彼女がわたしを思って言った言葉に対して
「それって、根っこのところではわたしのことを〇〇と思っているから言ってるんでしょ。実際は真逆なんじゃないの?」
と返した。
〇〇について、何を言ったのかはもう覚えていないのだが、
それは「わたしが考えたわたしの中のこと」だったことは覚えている。
彼女は
「え?そんなことないよ。本当にそう思ったからだよ」と言った。
わたしはそれまで
「あなたには心の中が見透かされるような気がする」とか
「自分でも気づかなかったことを言われた」
と言われることが多かった。
自分でも
「人の本当に思っていることがわかってしまう」と思っていた。
ある意味それは真実だったのかもしれないけれど、だからといって相手が話したことを「違う。本心はこうだと思う」と言っていい理由にはならない。
そのときの友だちの悲しそうな顔と、話をしていた電車の座席の位置と、窓から見えた風景だけが、今でも色濃く記憶の中に残っている。
何を話したか覚えていないのに、後悔だけは覚えている。
きっかけはそれだけではないけれど、
その人が
その人の言葉で(または表現で)
感じたことをそのまま出し
受けとめ合う
ことを大切にしようと思った出来事のひとつだ。
何が真実か真実でないか、の前に
その人から出て「来」たものを尊重する。
そこから始まるのだ。
と、わたしは思う。
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