発達障害の私が編み出した無理をしない世渡りの仕方
人の気持ちが分からないという人がいる。
私は、それが重いタイプの人間だ。
私は対人関係に障害があると医師に診断された
私の場合は自閉症スペクトラム障害(ASD)という立派な病名までついて、医師に診断されている。
最初は完全に受け止めきれなかったが、二人目の医者にもそう診断されたとき、やっとそれを受け入れた。
医師に診断された日、まずは自分の診断されている障害のことを知ろうと専門家の書いた本を読んで、ある一文を目にした。
すべての自閉症スペクトラムに共通して見られる特徴は、「臨機応変な対人関係が苦手であること」「自分の関心、やりかた、ペースの維持を最優先させたいという本能的欲求が強いこと」です。
憑き物が落ちた気分だった。
この文だけではピンとこない人も多いと思うので、具体例で言うと、私は新しい学校や職場に馴染むまでに他人より極端に時間が掛かってしまう。
そもそも人への関心が少ないからである。そんなことを考えているくらいなら、プログラミングや好きなゲームのことでも考えたほうがマシであるという思考の人間だ。
世の中の価値観に馴染むことができず、人が当たり前だと言っていることになんでだろうと反発を持ってしまう。
芸能人のスキャンダルの報道が下らないと思ったことのある人は多いじゃないんだろうか。
大なり小なり、周囲の反応と自分の感覚が合わないと感じた経験はあると思うが、私は周りで普通に生きている人と、自分の感覚が度を越して一致しないという気分だった。
俗に言う、空気が読めない人間である。
過去の私はその症状に「困っていた」
新しい環境に入っても馴染めないし、周りから浮いてしまう。
しょうがないから、自分がちょっとでも目立たないようにビクビクしながら生きていた。
だが歳を重ねるごとに、それなりに対処方法がわかってきて楽になったので私なりに得たコツを、この記事に書こうと思う。
実は歳を取るのも悪いことばかりじゃないのだ。
そして、私なりに得たものが少しでも近い悩みを持っている人の助けになればいいと思っている。
他人に好感を持たれる法則
「犬や猫が人に好かれる理由」ということを聞いたことがあるだろうか。
犬や猫が人に好かれ愛されるのは、全力で自分の感情を表現しているからだという。
お腹が減ったときは大きな声で鳴いたりするし、構ってほしいときはすり寄ってくる。
そんな我儘な彼らを私達は可愛いと思ってしまう。なぜだろうか。
誰しも人は他人を本能で恐れている
そもそも大前提として「人は他者の考えていることがわからない」
これは障害を抱えてようが抱えてまいが一緒である。
大雑把に表現すると、健常者は「直感で他人の考えていることが50%わかる」、障害を抱えている人は「直感で他人の考えていることが20%わかる」くらいの違いはある。
だが程度の差こそあれど、他人の気持ちなんて誰もわからないのである。
もし人が他人の心のことがわかったら、日常で人を怒らせる人なんてないし、無駄に気を遣う必要もない。
破局するカップルなんてものもない。人が他人のことを完全に理解することなんてあり得ないことだ。だから本能的に人は他人を恐れている。
人は、新しい学校や職場に行くと緊張する。その場にいる「他人」がどんな性格でどんなことを考えているかわからないからだ。
加えて、道端で知らない人に話しかけられると、緊張してしまう。それは目の前の人間が善意を持って話しかけてきているのか、悪意で話しかけてきているのか、どんな意図で話しかけてきたのか分からないからである。
自分のキャラを作る戦略が有効な理由
新しい環境でキャラを作るという戦略は人と仲良くなるのに有効である。
なぜなら「私はこういう特徴を持つわかりやすい人間ですよー」と周りに示す行為だからである。
多かれ少なかれ、相手から自分の性格を認知されるという戦略は役に立つ。「この人はこういう人なんだ」「この人ならこれを言っても怒らないな」「この話題なら大丈夫」。そうやって距離感を測りながら少しずつ安心感を持っていき、人は他者と仲良くなっていく。
こうやって人は話していくうちに他人をわかった気になる。
実用上はこれで問題ない。しかし残念ながら、それは錯覚なのだ。わかっているようでわかっていない。だから人は喧嘩をしたり、別れてしまったり、いつの間にか疎遠になってしまうということが起こるのだ。
他人とそれなりに仲良くやっていくコツ
私が他人とそれなりに上手くやっていくコツは「自分の感情をなるべく公開する」ということである。
他人とズレている人間にありがちなことが、「こいつなに考えているかわかんねぇぞ」と周りの人に思われてしまうということである。
これはズレている人が普通の人と感情が重なる部分が少ないのだから当たり前だ。怖がられるのも無理はない。
こういうとき私は、自分の本音を言うようにした方が、人に好かれた。
「楽しい」ときは「楽しいです!」と正直に
「面倒くさい」ときは「ちょっと面倒くさいですね!」とやんわりめに言ってしまうのだ。
ただ、これをそのまま実践しても失敗するケースが多い。なぜなら本音を言うのにもいくつか注意点があるからだ。
「言いたいことを言おう」という言葉は自己啓発書にも溢れているが、その注意点を教えてくれる本はそう多くない。
上手い本音の出し方
コミュニケーションはスポーツのようなもので反則点というものがある。
例に上げるとこういったようなものだ。
・他人が善意を行ったことを否定する
・悪口を言う
・他人の誤りを訂正する
・悲観的な考えや否定的な考えを人に明かす
逆に加点要素もある。
・楽しいときは楽しいという。
・人が好意をもってやってくれたときは感謝の気持ちを伝える。
・他人や他人がやっていることに興味を持ち、話を聞く。
・他人の得意なところを素直に褒める。
普通の人には当たり前のことに見えるかもしれないが、こういった当たり前を守っていくことがズレた人間には重要だ。
ただ、こういったルールを全部守ろうとするのはしんどい。
一個これならできるかもというものをピックアップして、「今日はこれだけでも守ろう」と意識することが大事である。
加えて、何にでも言えることだがこのルールはこういう場面には役立つが、こういう場面には役立たないということもある。
ルールも完全ではないけど、これらをなるべく守るように心がけていくだけで少しずつ良くなっていくという類のものだ。
できる範囲で自分を改善していく
障害があるとわかった日から、少しずつ自分のできる範囲で直してきた。
・人と話すときは目を合わせる
・ずっと見つめていても、適宜視線をそらす
・目をそらすときは左右より上下の方がいい
・挨拶は欠かさず元気に
私はこんな当たり前のこともできなかったのだ。
なんなら今でも苦手だし完全にはできていないかもしれない。
人が当たり前にできていることを、一から身につけるのはアホらしいと思ったこともある。「そんなことをやっても普通の人にも追いつけないよ」という心のささやきもあった。
しかし、私は他人と比較しないことに決めた。
そんなことをしても、自己肯定感が低くなるだけだ。
だいたい最初から世渡りがうまいやつはうまくやっているし、ここまで考え込んだりしない。そういう人は感覚でやる。
私はあくまで私であり、そういう人と私は「違う生き物だ」とまで大げさに意識している。
私は、他人を理解することを「経験値を貯める」感覚でやっている。自分がなにか失敗したとしても、経験値は減らない。
失敗した分、溜まっていくだけだ。
失敗経験は、必ず次の失敗を避けるのに役立つ。
そう考えてみると人生はぐんと楽になった。
他人のことを考えるのに疲れた人へ
こうやって自分の改善サイクルを回すようにした私だが、考えすぎて疲れることもある。
自分の不得意な部分を治すのにやっきになってしまい、空回りしてしまうこともある。
このように、人は他人の感情を気にしている限り、絶対に自由になれない。
無理して人の感情を読もうとするくらいなら、それがしんどくなるんだったら、疲れが取れるまで考えるのをやめてみることにした。
時おり休憩を取ることにしたのである。他人の感情を読もうとすることが、あなたを苦しめているならやめてしまった方がいい。別のことを考えよう。
なんでもいい。心が小さく踊るようなことであれば。
疲れた日には、今日の夕飯のことでも考えよう。