キリスト教徒でも神学はちょっとという人がいる。 神学をやると本当の信仰から離れるという人もいる。要するに頭でっかちになると言うのだ。私はこれについて一理あるとしても、全体としては非常に懐疑的立場に立つのであるが、保守派の愚かな人の間ではまことしやかに語られている。 キリスト教徒でもそうなのだから、一般の人は神学など分からないだろう。興味もないだろう。神学論争と言えば不毛な議論の代表格として語られているものである。確かに、普通に生活していて偽ディオニュシウス・アレオパギタの否
最近、いついつまでに世の終わりが来るみたいな偽預言者が増えてますが、覚えておいて下さい。彼らは預言を外しても何ら責任は取りません。嘘つきです。
世の終わりが近づいているという人がたまにいますが、特に根拠はありません。聖書にある終末預言と思しき箇所に似ていると感じた人がそれっぽい事を言ってるだけです。彼らは預言を外しても責任は全く取りません。もし、本当に聖書を信じるのなら、終わりの日は誰にも分からない筈です。
特段、何もないですが生きています。仕事などが忙しい為、書き物をする余裕がありません。
福音派は、聖書無謬ないし無誤説を信じている訳ですが、仮に聖書が完全で誤りがなかったとしても、読み手である人間が間違える可能性は常にあるので、キリスト教徒が神の意図を理解できていない可能性はかなりあると思っています。
〇〇は宗教ではなく生き方って言う人がいるけど、宗教だよ。宗教とは神などを礼拝する行為を指す。 他の宗教とは異なり真の教えだとか、いかがわしいものでない自然なものであると主張したい人がこの言い方をするけど、逆に怪しく感じますね。個人的には。
普通の研究という文章を書こうとして、結局進まず今日まで来てしまいました。 完璧な「研究」レベルのものを書こうとすると絶対に仕上がらないので暫定的な自分の考えを書き記しておく事にしました。以前、こんな文章を書きました。これを踏まえて、自分なりの考えを展開していく事にします。 以前書いた文中にもあるように、普通とは異常ではない事を指します。ありふれている事を指す語です。しかし、時には理想的という意味を含む事があり、標準に近い意味を持つ場合もあります。 普通を定義するのは難しい
日ユ同祖論はトンデモなんですよねえ。
後、2記事書いて、このアカウントの活動を終わりにします。
確かに世の中には陰謀と呼べるものもあるかも知れない。悪い人間もいるだろう。研究不正もあり得るし、間違いもあるだろう。 今、常識とされる事が逆転する可能性もないとは言えない。 しかし、巷の陰謀論や疑似科学は稚拙である。 何故、あなたが世界を支配する程の闇の組織の陰謀を知り得たのか? そしてまた、それを発信するあなたが、組織から消されないのは何故か? 何故、あなたは科学者も見分けられない科学知識を持っているのか?本当にその判断は正しいのか?既存の科学が恣意的かも知れないという判
メンタルヘルス。精神的健康状態を指す言葉だ。病んでいる人をメンヘラと言ったりする事もある。メンタルヘルスに維持に関しての指針は様々な機関から出ている。できるだけ公的な機関の内容を参照するのが良いと思う。 又、素人の意見は、一意見としては参考になるかも知れないが、診断や治療は専門家を頼って欲しいと思う。中にはめちゃくちゃな倫理観で治療まがいの事を行って、状態を悪化させる人もいる。公的機関や医療機関の情報を参照し、良く内容を吟味して利用して頂きたい。 これを前提として、私なりに
実はnoteを更新するのが負担になっています。 仕事と、週末に予定が入っている事が多い為、時間が取れません。 今後も無期限に続けていく事は正直考えられません。 そういう訳で、この文章で言いたいと思っている事を書いて、一区切りをくけたいと思っています。 以前、Twitterで文章で社会に影響を与えようとする事をやめようと言いました。これには様々な意図があります。後で説明します。 まあ、私のような泡沫アカウントが社会に影響を与えられる訳がないのですが、微々たる影響はあるでしょう。
ちょっと吐き出したくなったので、書いています。特に真に受けないで下さい。 この世には様々な人がいます。善良な人もいれば、そうでない人もいますよね。私に友好的な人もいれば、敵対的な人もいます。ちょっと突っ込んだ事を言うと、客観的な善悪は存在せず、利害だけがあるなんて考え方の人もいますね。まあ、どちらにせよ、人は多かれ少なかれ自分の理想を持っていてその理想に反している人を敵ないし悪と考える訳です。 世の中の多数派は、自分の価値観なんて持っておらず、大衆が是とする事を模倣して反復
こんな話を聞いた事はないだろうか。 魔法使いは真の名を隠している。真の名を知られると魔法使いは殺されてしまう事がある。信用した人間にしか真の名は明かさない。 ファンタジー小説でお決まりの設定だが、これには何らかの寓意があると思われる。あるいは、こうした類いの事がかつては本当に信じられていた事があるようである。 大昔、人は魔法を「信じて」いた。聖書にも魔法使いは登場する。現代においては、魔法などないと思われているが「科学」で全てが明らかになった訳ではない。(私は現代科学を
今月中に一つ文章を投稿します。
最近、日本語が崩壊してる投稿をしばしば見るけど、文字をまともに読み書きできる人、減っているんだろうなあ。