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現世に残すものは、「ネバーエンディングノート」だけで良い。
終活が流行っている。旅立つ際の葬儀に対する希望、墓の準備、財産相続の取り決めなど、残される家族の負担を減らすために、まだ元気なうちから用意しておくことである。
人生の終末期を美しく迎えたいと願う人が増えているようだ。こうした自身に生じる万一のことに備えて、希望を書き留めておく「エンディングノート」も販売されている。
旅立ちに関しては、実にさまざまな希望がある。「大勢の仲間を呼んで賑やかに見送って欲しい」「家族だけで静かにやって欲しい」「葬儀などいらない」など、本人の希望が尊重されるようになってきた。
昔なら、できる限り盛大にやることが“常識”となっており、経済的な理由でできなければ、故人に申し訳ない思いに苛まれていた。葬儀というものは決まりきったもので、本人の希望もなければ、別の選択肢もなかった。
だが、時代の流れは高額な葬儀に疑問を呈し、人それぞれに見合った旅立ち方を提案してくれるようになった。
この動きに合わせて、墓に対する考え方も変わってきた。そもそも、「墓に入りたくない」という人まで出てきている。
地面に直接遺骨を埋め、樹木を墓標とする「樹木葬」が注目されている。これなら安く済む上、自然に還るという、生き物本来の終末が迎えられる。
また、お金の掛かる墓を不要だと考え、共同墓や納骨堂を希望する人も多い。墓の購入や永代供養料など、大きな負担が無駄なことに思えてきたのではないか。まったく負担のない散骨を選ぶ人もいる。
私は、自身の終末について、葬儀も墓も必要ないと考えている。家内には、「そんな金があるなら、旨いものでも食ってくれ。遺骨は海に捨ててくれ」と言ってある。
父親を見送った経験から、あんなに疲れる葬儀を家族にはやらせたくないと思うし、守り続けなければならない墓など、負担でしかないと考えている。
世の中には、家族のために葬儀や墓が必要だという意見もある。「ちゃんと見送った」「責任を果たせた」という、ある種の“癒し”なのだろう。
人それぞれだとは思うが、“癒し”のためなら、残る家族のために手紙を書いておくのはどうだろう。これまでの感謝、旅立ちへの思いを綴ったものを残しておけば、それが葬儀の代わり、墓の代わりとなるのではないか。手間や負担の大きなことはやめて、この手紙を想い出として、持ち続ければ良い。
「エンディングノート」に、家族への思いを綴るページを追加するのはどうか。そこに書かれた故人の思いは、家族の中で生き続ける。
ネバーエンディングストーリー。故人との大切な想い出は終わらない。
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