少しだけ濃度を上げた感想 「シン・仮面ライダー」
まだまだ核心部分はオープンにされないまま、既に鑑賞した者には賛否両論のある「シン・仮面ライダー」。2023年3月23日19:00にオープンにされた作品情報までを含めて、
「面白かった。だが不満がないわけではない」
とした前回より濃度を上げてみよう。
シン・仮面ライダーは、まだ市井の人たちが脅威を認識していない「秘密結社」と「個の戦い」だ。秘密結社ショッカーも必ずしも統制された組織ではなく、本作に登場するオーグメントは好き勝手に自分の考える幸福だけを追求しているように見える。唯一クモオーグだけが秘密漏洩の阻止、離脱者の粛清という組織の利益のために動く。
原典作品では心ならずも教え子を改造人間の被験者とした緑川博士は、本作ではショッカーの脅威が顕在化する前に本郷猛を対抗力とすべく積極的に肉体強化、オーグメンテーションを施す。
ショッカーに身を置きながらの変心は語られることなく博士は退場するが、そのあたりは、こちらを読めということか。
ショッカーは創設者亡き後、目標を示した人工知能アイの存在は語られるが統制者ではない。その端末ケイも傍観者だ。
一部の感想ではラスボスとの表現も見られる緑川イチローも大がかりな計画を推進するが、ショッカーの総意ではなかろう。
改良強化型のバッタオーグ2号を仮面ライダー・本郷猛に差し向けたり、離反したその2号・一文字隼人と本郷のダブルライダーの襲撃にはバッタオーグを大量発生させて反撃する。ショッカー内部では高い地位にはあるようだが、あくまで個別の計画の執行責任者に留まる。
ここで気づけば、シン・仮面ライダーという作品へのモヤモヤ感はだいたい晴れる。本作は
緑川家の家庭内紛争なのだ。
親子喧嘩であり、兄妹の喧嘩に本郷も一文字も巻き込まれただけに過ぎない。
そして、監督・脚本の庵野秀明が見たいラストから逆算して集められたパーツやマテリアルを繋ぎ合わせて仕立てた映画だと極論できる。
私自身は庵野秀明をカリスマとして持ち上げることもなく、レベルの差はあれ「同類」と見なしているので、そういった作劇には不満はない。だからそこを面白いと感じた。
あえて不満を挙げるならば、多くの人と同様にCGで描かれたのが明らかな戦闘シーンだ。
コンビナートでの本郷対一文字、ダブルライダー対大量発生バッタオーグとの戦闘には等身大の生身(・・・ではないか)の、殴り合い蹴り合いの重みが伝わってはこなかった。
もっとも、そんな不満も出ることは庵野秀明は織り込み済みなのだと思う。私にしても不満には感じたが些細なことだ。彼が描きたかったのは、まだまだショッカーとの戦いは続くとした、あの終劇だったのだろうから。