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「ルックバック」押山清高

どんな映画か(ネタバレなし)

本作は「チェンソーマン」などで知られる人気漫画家である藤本タツキ氏が、2021年にジャンプ+で配信した同名漫画の映画化作品である。
原作漫画の「ルックバック」も配信当時かなり話題になったので、覚えている方もいるかもしれない。
かく言う私も、同時期に友人から強く勧められたことを記憶している。
その作品を、エヴァやジブリ作品などにも関わっているアニメーターの押山清高氏がアニメ映画化
公開前からかなり話題になっており、公開後も高い評価を得ている。
58分と短い作品であり、映画鑑賞料金が1700円で一律(〇〇デーなどの割引は一切なし)という公開方法も一部で話題になった。
しかし、私としては、これはぜひ映画館で観るべき作品だと強く感じた。
詳細については、後半の感想で記載する。

映画の感想(ネタバレあり)

なぜ、本作を映画館で観るべきだと思ったか。
まずは、映像表現の素晴らしさである。
本作は原動画というスタイルが取られており、まさに漫画がそのままアニメとして動いているかのような表現、臨場感を味わえる。
とある専門家は、アニメ映画の革命という表現を使っていたが、その言葉にも頷ける。
この臨場感ある映像体験を、やはり家庭のテレビ画面ではなく、劇場のスクリーン、音響の中で味わうことに意味があると思う。

また、2つ目の理由としては、物語の繊細さだ。
作品の中で主人公の藤野は、学級新聞に漫画を載せていることによって同級生から受ける羨望の眼差しに得意げになっていたものの、あるとき同級生で不登校の京本の創る漫画に脅かされ自分の立場が揺るがされるような不安を感じ、しかしそんな京本が自分のファンだと知ったことで自信を取り戻す。
そして、京本と会った道の帰り、雨の中で踊り狂うかのような感情の爆発を見せる
(漫画の表現も素敵だが、アニメだと一層違う味わいになっているので注目ポイントだ!)

漫画「ルックバック」の一幕

私は、この一連の流れの中で、ずっと涙が止まらなかった
それは、自分の人生の中でも共感できるような、若い、いや幼き日の繊細でかつ煌めく感情たちが所々に散りばめられているからである。
この繊細な感情たちを丁寧に拾い上げるためには、他のものに意識を奪われない映画館の閉鎖空間の中で作品と向き合うべきだと感じる。

本作は、わずか58分の中でも、丁寧に物語が織りなされ、起承転結の起伏もある。
そのため、ストーリーとしてももちろん面白いのだが、やはり圧倒的な映像表現であったり、繊細な心理描写であったり、そこだけでも多分に魅力が含まれている。
その上で、ストーリーに目を向けるのであれば、これは徹底的に「創作」の持つ力に焦点を当てた作品である。

藤野は、ある日あまりにも不条理な事件により、親友の京本を失うことになる。
そして、この悲劇は自分が京本を「創作」に誘ったことによって起こったことだと自分を責める。
「創作」を恨み、「創作」の力の限界をこれでもかというくらい思い知るのである。
しかし、異次元とも言える世界から流れてきた「創作」で過去を回想し初心に立ち帰り(ルックバック!)、自分の「創作」を誰よりも愛し、楽しみにしていた一番のファンであった親友の姿に背中を押され、また「創作」を続ける暗い夜に入っていく

本作は一貫して、「創作」の持つ力とその限界、そしてその先にある可能性に焦点を当て続けている。
これは、原作者である藤本タツキ氏が創作を続ける中で、東日本大震災をはじめとした不幸に直面し、自身の創作の無力さを痛感し、それでも何か描けないかと吐き出す思いをぶつけたのが本作であるということからも読み取れる。

私は、映画が好きだ。創作物が好きだ。
それは、時に温かく人生の逃げ場になってくれ、その上で押し付けがましくなくそっと人生の教訓を教えてくれ、背中を押してくれるからだ。

それを現実逃避と言うこともできる。
所詮作り物だ、ということもできる。

しかし、私はかつてその創作に癒され、救われたことが確実にあった
皆さんもそのような体験が1つや2つあるのではないだろうか。
日々、世界に溢れ、大量に流れていくあらゆる「創作」。
それは、ほとんどのものは単なる消費であり、暇つぶしであり、娯楽でしかないのかもしれない。
けれど、それ以上の意味を持つときが、きっとある
京本の背中を見た、藤野のように。
私は、今日もそんな創作の可能性を信じてしまうのである。
「創作」を愛する全ての人に。ルックバック。

漫画「ルックバック」の一幕

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