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やっかいな問題こそ、異質なペア <アート×サイエンス>の力を

正月休みを利用して、厚生労働省の「令和6年度の同時報酬改定に向けた意見交換会(第1回)」の資料に目を通している。全部で306ページもある、とんでもない大作だ。

なんで、この資料に目を通してみようと思ったのかそのきっかけや動機はすでに思い出せないが、個人的にはとても勉強になる資料だと感じている。地方公務員のくせに、官公庁の資料がとにかく苦手なダメ職員の私でもそう感じているので、関係者や興味関心がある方は是非、どうぞ。

ご覧になられたい方は、↓こちらのページの「会議資料全体版」をご覧ください。


300ページ超の大作なので、毎日少しずつ進めているのだが、今日、「地域共生社会の実現」に関するページに行き着いた。このページだ。


その中の下線が引かれている箇所を↓抜粋する。

地域共生社会とは、高齢者介護、障害福祉、児童福祉、生活困窮者支援などの制度・分野の枠や、「支える側」「支えられる側」という従来の関係を超えて、人と人、人と社会がつながり、一人ひとりが生きがいや役割を持ち、助け合いながら暮らして行くことのできる包摂的な社会である。

厚生労働省「介護保険制度の見直しに関する意見」(令和元年12月27日社会保障審議会介護保険部会)



個人的には、とってもいいことが書かれていると思う。と同時に、専門化/細分化された制度と分野の縦割りを、さらには「支える側/支えられる側」の従来の関係をどう乗り越え、理想とする包括的な社会を全国で実現することができるんだろうかとも思った。

決してネガティブな思いではなく、なんなら本気で、こういう社会になったらいいなと思っているがゆえにだ。





アートからサイエンスという流れと展開(だったらいいな)

厚生労働省/国が掲げているのは、目指していくべきよりよいゴールだけど、到達するのが難しそうで、尚且つ、スポット的にうまくいけばいいというものではなく、全国各地で継続的に実現すべき社会のありようだ。

このかなり高難度のミッションは、こんな流れで展開していったらいいなと勝手に妄想する。図で示そう。


フェーズ1がアート、フェーズ2がサイエンス


当たり前と言えば当たり前だけど、要は全国で面白い取り組みや成功先行事例がポツポツと散見されてきたら、「先行事例集」として括って、発信するだけではうまく行かないんじゃないかなということだ。

後述するけど、多分、先行&成功プロジェクトの多くに「再現性はない」と思う。その意味において、アート的取り組みなのだ。

だから、事例集としてまとめて発信/配っても、そのエッセンスを理解し咀嚼し消化することが難しく、チャレンジに繋がらなかったり、仮にアクションを起こしても、うまくいかない可能性が高い。チャレンジの失敗によって、最悪、よりよい地域にしていこうという気持ちまで失われてしまっては元も子もない。

とはいえ、「再現性がないから参考にしてもしょうがないよね」「あのプロジェクトは特別なんだよ、うちとは違うよ」で終わらせてしまっては、社会はよりよい方へ進んでいかない。


「目利き」と「下ごしらえ」 | サイエンスの力

ここで、サイエンスの出番だ。文系の私はサイエンスのサの字も分かっていない。アートの対比としてサイエンスというワードを使っているだけで、事例を集め、調べ、分析し、複数の事例の中から共通点を見つけたり、他の地域で取り組む際のヒントのようなものを抽出する行為のことを指している。

再現性のないアート的プロジェクトの主体は、おそらく、他の事例などあまり意識していないかもしれない。きっと夢中になって面白がりプロジェクトを進めていることだろう。

それぞれが勝手夢中に突き進めているプロジェクトの中に、そうであっても通底するナニカを見つけ、そこからヒントを抽出する。生のまま素材を提供するのではなく、食べやすいよう、咀嚼し消化しやすいようにする「下ごしらえ」。それが、ここでいうサイエンスの役割だ。

繰り返しになるが、アート的プロジェクトは、例えれば鮮度は抜群だが素材のままだ。そのまま、全国各地に提供しても、そのまま食べ、咀嚼/消化し、自分たちの血肉とするには難しい。サイエンスという下ごしらえの一手間がとても重要なのだ。

サイエンス的役割にはもう一つ、「いい素材」を見つけるネットワークと行動力、そして「目利き」の力も求められる。えてして、ダイヤの原石となるようなアート的プロジェクトは、それらの分野におけるお利口さんな文脈に沿った発信をしていないことが多いかもしれない。

なんなら、お利口さんな文脈から遠く離れているからこそ、やっかいな問題を解く力を帯びるのかもしれない。文脈と目指すべき方向性をおさえた上で、でもその延長線上にない取り組みやプロジェクトにも耳目のアンテナを広げ/拾い上げる、収集力と目利きの力も求められる。

今回の文章でいうサイエンスとは、いい素材を目利きし、食べやすいように下ごしらえする。腕のいい料理人的な働きのことだ。


Adobe stock


やっかいな問題であればあるほど、アート的先行事例という素材のよさと、それを見つけ下ごしらえするサイエンスという名の料理人の腕のよさの組み合わせ/ケミストリがー、解決の成否を分けるんだろう。どっちも大事、そして両者のケミストリー/重なり合いが超大事ということ。

書いてみると、読んでくださった方になんの学びもない、当たり前のことを長々、くどくどと言っているだけの文だが、今回私が言いたかったことはここで終わりだ。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。



「アート的プロジェクト」についての補足

駄文ついでに、私のいう「アート的プロジェクト」についても少し補足しておこう。それは、次の5つのポイントを有していると考える。

●プロジェクトが「Why」から始まっていること。または中核にあること。
●プロジェクトの中心人物が「夢中」であること。
●その夢中を許容してくれる「環境/理解者」の存在
●タイミングに恵まれている(いた)こと。
●再現性があるわけではないこと。

この5つの要素は、記載の順番でなければならないというわけではない。はじめから「Why」を擁していないかもしれないし、はじめから「夢中」じゃないかもしれない。ひょんなことから始めてみたら、プロジェクト的なものになり、いつしか「夢中」になっていたということもあるだろう。それでも、最終的には、後から振り返ってみたら、この5つのポイントが揃っていたという感じだ。

簡単にそれぞれのポイントを説明しよう。


●「Why」が中核にあること。

サイモン・シネックの「ゴールデンサークル」 の話はご存知の方もいらっしゃるだろう。

「What(何を) → How(どうやって) → Why(なぜ)」 の順ではなく、 「Why(なぜ) → How(どうやって)→ What(何を)」 の順で考え、組み立てられ、伝えるプロジェクトや取り組みであること。

「Why(なぜ)」は、ミッションやビジョン、バリューなどの信念や意義を伝える部分。この「Why」の部分がプロジェクトの中核にあり、「Why」から伝えることで、相手の感情に直接働きかけ、共感が得られる。

「何」を「どう」やるかではなく、
「何のために/誰のために」といった思いから始まる取り組み、根っこ/中核に「Why」があるプロジェクトが人の心を動かすし、また次の「夢中であること」にもつながるんだと思う。

詳しくは、↓こちらの動画をご覧ください。



●「夢中」であること

「”夢中”は”頑張る”に勝つ」という言葉がある。
世界初の有人動力飛行に成功したライト兄弟も、南極点に到達したアムンセンも、ヒト/モノ/カネに圧倒的な競争相手がいた。

ライト兄弟の競争相手はサミュエル・ラングレー。ハーバード大に在籍し、スミソニアン博物館で働き、陸軍が5万ドルという当時では巨額の予算を投じた。一方、ライト兄弟は学歴も人脈もなく、家業である自転車店をやりながらで資金もない。でも、結果はご存知のとおりだ。

アムンセンも、人類初の南極点の到達を競うライバルがいた。イギリスの海軍エリートのスコットだ。アムンセンのノルウェーとスコットのイギリスの国の威信をかけた争い。アムンセンはアマチュア冒険家、スコットは海軍のエリート。しかし、結果は対照的だった。南極点に到達し隊員全員が生きて帰ってきたアムンセン隊に対し、スコット隊は本人も含め隊員全員が命を落とした。

報酬や昇進、国家の威信を動機に「頑張った」ラングレーとスコット。誰かに命じられたわけでもなく、見返りがあったわけでもなく、ただただ「夢中」に取り組んだライト兄弟とアムンセン。

動機の内発性と外発性。夢中がゆえの365日24時間考え続ける、思考の量と質。

プロジェクトの主体が「夢中」であることも、大きなポイントの一つではないだろうか。



●夢中を許容してくれる環境と理解者

夢中が大事とはいえ、夢中に熱狂している人だけではプロジェクトは進んでいかない。プロジェクトが運営され展開されていくには、仲間が必要。それも、主体者の熱狂を理解し、時に傷つけられたとしても伴走してくれる理解者でなければいけない。主体者の足りない部分を補ってくれる、主体者とは異質であり、かつ何があっても伴走してくれる理解者。

こんな人、そうそう巡り会えません。だからこそ、巡り会えたプロジェクトはアート的に成功するんだと思います。

野中郁次郎先生の言葉に「異質なペア/クリエイティブペア」というものがあります。以下、対談記事を抜粋させていただきます。

何か考えていくときには、まずは「一人称」が出発点になるんです。
ただ「一人称」の思いは、そのままでは普遍的にならないわけですね。
社会的に価値を生むものにするには、組織的な「三人称」の知、組織の集合知にしなければならない。
とはいえ、主観の「一人称」の思いを一気に客観の「三人称」の知にするのはハードルが高いんです。
そのとき重要なのが「二人称」ですね。
“私とあなた”の関係で、相互作用を通じて共感しあって「我々の主観」を醸成することですね。
この「二人称」が媒介になって、「一人称」の思いが「三人称」の知へと変化を遂げることができるわけです。
ですから、組織の原点というのは「二人称」なんですね。ペア。

こういった「異質のペア」を、グローバルには「クリエイティブペア」と言うんですけどね。

元ソニー会長の平井一夫さんもそうですね。
平井さん自身はアーティストで、副社長だった吉田さん(ソニー現社長)は財務畑出身ですから。

本田宗一郎さんと藤沢武夫さんもそう。
「本田は技術開発、藤沢は経営」という二人三脚。

ほぼ日「異質なペアが未来を作る」


野中先生のお言葉が全てです。夢中に熱狂している者と、その人と全く異質でありながら、知的にコンバットし、深く共鳴する仲間。そんな相手と出会えるのか、深く結びつけるのか、ペアやチームを組めるのか。やはり、これもアート的プロジェクトの大きなポイントの一つだと思います。


詳しくは、↓こちらをお読みください。



●タイミングに恵まれていること

これはもはや説明のしようがない。夢中にやっていたことと、時代の風潮やニーズがたまたま合ってしまう/合ってしまったという結果論的なこともあると思う。

世の発明やイノベーションも、一番最初に発明/発見/イノベーションだったプロジェクトや人が脚光を浴びたわけではない事例はたくさんある。

天下のGoogleも世界で初の検索エンジンだったわけではないし、動画共有プラットフォームもYoutubeより前にもたくさんあった。

他にも色々要素はあるんだろうけど、GoogleもYoutubeもタイミングがよかったということも成功の大きなポイントだと言えるのではないだろうか。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
江戸の剣術家:松浦静山の言葉です。

たまたまタイミングが合ってうまくいった。
次の「再現性の不確実さ」にもつながる、アート的要素の一つだと思う。



●再現性があるわけではないこと

ここまでアート的プロジェクトの私的4つのポイントを述べてきた。この時点で「再現性」なんてあるわけないと理解いただけでしょうか。「Why」から始まり「夢中」になることまでは出来たとして、異質な相手が「ペア」を組んでくれたり、ましてや運よく「タイミング」がよかったとういのは、Out of Controlだ。

たまたま巡り会えた、たまたまタイミングがよかったという要素に再現性なんてあるわけない。

私は市役所の職員だが、業務で立ち上げた「igoku(いごく)」というプロジェクトが2019年にグッドデザインの金賞を受賞した。全くの偶然であり、運に恵まれただけだ。

サイコーのigokuメンバー


「igoku」は同じ街に暮らす、フリーランスのデザイナーやライターとチームを組み、「老いや死のタブーを乗り越え、人生の最期について考え、話し合える地域を作る」という役所らしからぬプロジェクト。

人生の「最期の1%」をよりよいものにするという「Why」から始まり、「夢中」になり、自分にないものを補って余りあるサイコーのみんなと「ペア/チーム」も組め、「タイミング」よく、グッドデザイン賞も受賞できた。自分で言うのもなんだが、アート的プロジェクトだ。

でも、このメンバーでまた別のプロジェクトを取り組んだとしても、「igoku」と同じような成功やアート的プロジェクトになれるかは全く自信がない。同じメンバーだとしても「再現性」があるかどうかは分からないのだ。

考えてみれば当たり前ですよね。「こうやれば成功する/上手くいく」なんて分かっていたら、世の中はもっと成功だらけだし、とっくにもっとよりよい世界になっているはずだもの。

人生は一度きり、一期一会なんだから、「再現性」なんて求めること自体ズレているのかもしれません。


詳しくはこちらの動画を。(4分〜28分ぐらいがigokuについて話しています)


最後は身も蓋もない話になってしまいましたが、私がアート的プロジェクトだなぁと感じる5つのポイントについて述べてきました。

それでも、このnoteの前段に戻りますが、「じゃあ、参考にならないじゃん」で終わらせるのはもったいないし、福祉的には超高齢化/超人手不足/多死社会というフェーズが本格化し、これから更に大変になる社会をよりよくしていくことができないので、目利きと腕のいいサイエンスという料理人に活躍してもらいたいと考えています。

そして、それは料理人一人で完結しなくてもいいとも思います。活きのいい素材(プロジェクト)を見つけたら発信してくれる人がいる。それを見て面白いな/ステキだなと思ったら、拡散したり応援したりする。そんな風に目利きの部分をみんなが楽しみながら取り組んでいく。そして、いつか腕のいい料理人に素材が届くなんていう流れの方が、より大きな力になっていくんじゃないかな。

特定の誰かのプロジェクト/特定の誰かの成功ではなく、多くの皆さんが関わる/力を合わせる/集合知のような取り組みこそが、「やっかいな問題」を解きほぐすには求められると思います。

さ、思いと力を笑顔を合わせていきましょう。




夢中と熱狂と『偏愛』を求めて

最後に、一つ朗報です。
茨城県に、自身でアート的プロジェクトを展開させながら、なおかつ目利きの力も一級品という、とんでもないチームが存在する。その名も「いばふく」。「城から祉で世界を元気にする」プロジェクトだ。

そのいばふくが年に一度お送りする祭典が「いばふくケアデザインサミット」。今年のテーマは「偏愛力」。そう、夢中→熱狂→偏愛、夢中の最上級でである「偏愛」がテーマだw。

全国の偏愛モンスターが一堂に会する場が、今月の18-19日に茨城県水戸市で開催される。私も分不相応ながら末席で参加させてもらう予定だ。

そして、全国各地のアート的プロジェクトと、それらを生み出した「偏愛」と出会えるのが今から超楽しみだ。アーカイブ視聴もあるようですが、是非、会場でお会いできたら嬉しいです。

登壇される皆さんの「偏愛/突き抜けた好き」のパワーを全身で浴び、刺激を受け、出会い、語り合い、アイデアを交換し合いましょう。アートとサイエンスも、人と人も、「異質」なもの同士の出会いとつながりから、社会を面白く、よりよくするナニカが生まれんだと信じています。






お読みいただきありがとうございました。
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