「Whyとビジョン」から始める。「How」と「What」はみんなで取り組む。
皆さん、こんにちは。こんばんは。おはようございます。私は、人口30万人ぐらいの市の市職員です。
行政に身を置きながら、不勉強で新聞やニュースをきちんとチェックしていないからだと思うんですが、先日の東京都知事選の各候補者の公約をチラ見していも、例えば「出産にかかる費用を低減します」的な個別政策の羅列のように感じてしまっていて、「わたしたちはこういう社会を目指します」というビジョンのようなものを、個人的にはあまり感じることができませんでした。
得票上位3名の公約ページを見ても
「これからも、都民のために。都民とともに。」
「東京を動かそう」
「あなたと次の東京へ」
というスローガンはあっても、ビジョン的なものは見つけられませんでした。
そもそも、私たちはどんな社会を望み、どんな社会を目指すべきなのか。その根本に立ち返ることが、今あらためて大事なんじゃないかと思い、なんでもステキに壁打ち相手になってくれる人生のパイセンをつかまえて、居酒屋対談してみました。
対話形式でお送りするので、気軽にお読みくださると嬉しいです。
役所はどうして縦割りなの?
私: 突然ですが、先輩。俺はあまり勉強してこなかったので、公務員として恥ずかしい質問なんですが、憲法が法律の中で最も大事ですよね?憲法と民法だったら、憲法の方が上位というか、より大事な法律ですよね?
先輩: そうだよ。自分でも言ってるけど、かなり恥ずかしい質問だよ。憲法は日本の最高法規であり、すべての法律や規則は憲法に従わないといけない。憲法に反する法律は無効だ。
私: じゃあ、法律と自治体の条例の関係はどうですか?法律の方が上位ですよね?
先輩: そう。法律は国全体に適用されるもので、条例は地方自治体が制定するもの。法律が条例に優先され、条例は法律に従わないといけない。
私: で、条例と規則なら、条例の方が上位ということですね。
先輩: その通り。条例は地方議会で制定され、規則は地方公共団体の行政機関が定めるもの。規則は条例に従う必要がある。
私: ということは、省庁や私たち自治体は、憲法に書かれていることを最も重要視しなければならないということですね。でも、現実にはそうなっていない気がするんだよな?
先輩: どういうこと?
私:例えば、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」とかってありますよね?
先輩:憲法第25条な。
私:それです。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利があり、国はその向上と増進に努める」ことが目標じゃないですか。すげぇシンプルな目標なのに、福祉の領域だけでも、今や誰も全てを網羅できないんじゃないかぐらい、めっちゃ細分化されてるじゃないですか。
しかも、最近はなんとなく政策やサービスも場当たり的&つぎはぎな感じもするし、シンプルな目標なのに、かなり複雑多岐&縦割りになってません?あまりに細分化されすぎて、逆に全体として、目標である「健康で文化的な最低限度の生活」が達成されているのか分かりにくくなっているような気がするんですが、、、
なんでこんなにに細分化されていったんですか?
先輩: 細分化が進んだ理由はいくつかあるみたい。
まずは、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、さまざまな課題に対応するために省庁や部署が増設された。で、それぞれの省庁や部署が特定の分野に特化して対応することで、効率的な行政運営を目指した結果、細分化が進んでいった。
私: でも、戦後の復興期から高度経済成長期はとっくに過ぎて、今は逆に少子高齢化による人口減少局面じゃないですか。時代背景の変化に合わせるなら、戦後から高度経済成長のときは細分化でもいいですけど、今は逆に細分化を進めるのではなく、統合化や包括的アプローチに変えていかないといけないんじゃないですか?
先輩: 確かに、そう。時代背景に合わせて、組織や手段は変えていかないといけないが、実際には、お前の言うとおり、まだ変わっていない。
私: どうして変わってないんです?
先輩: 一つは、長年の慣性と惰性。行政組織は長い間、同じ方法で運営されてきた。既存のシステムを変えるには大きな決意と力が必要だろ。
私: ふむふむ。他には?
先輩: もう一つは、権限の維持なんかも言われる。各省庁や部署は、自分たちの権限を守りたいという動機がなぜか働く。だから「変える」ことは、それに影響を与えるから、抵抗が生まれる。
同じようなことだけど、専門分野の担当者は自分たちの知識やスキルが特定の分野に特化しているので、統合化や包括的アプローチに対して抵抗感を持ちがち。自分の専門性が失われる恐れを感じちゃうんだろうな。
私: それで、結局、変わらないと。で、現在の場当たり的なつぎはぎ対応、細分化や縦割りが変わらない状況のままだと、これからはどうなると思います?
先輩: 現状だと、いくつかの課題が絡まり合ったものを、「包括的に解決する」っていうのが難しい。各部署がそれぞれの専門分野に特化しているから、全体的な視点からの調整や連携が不足し、複数の課題が絡み合った複雑な問題に対して統合的なアプローチを取ることができないよな。
複雑に絡んだ問題だけじゃなく、今別々に対応している高齢者福祉や障がい者支援、教育とヤングケアラーなども、それぞれの課題に対して個別に対応するんじゃなく、共通の目標を持ち、統合的に取り組むことで、より効果的でよりシンプルなアプローチが取れるかもしれない。
しかし、現状のままでは、各セクションが独立して動くことで効率が低下し、複雑な問題に対する解決が遅れる。役所だって、これからますます人手不足や人口減少による税収減が予想される中、わざわざ、各部署が別々に対応して、その上、効率が悪く、スピードも遅かったら、マジで最悪だろ。全ての課題、全ての部署とまでは言わなくても、我々は細分化を進めるのではなく、統合化や包括的アプローチへの転換を急いで試みていかないといけないんじゃないかな。
Appleを見習え!「Why」から始めよう!
私: じゃあ、どうすればいいと思います?
先輩: 具体な解決策ではないけど、重要なのは「Why」から始めるってことかもな。サイモン・シネックの「ゴールデンサークル」って知ってるか?「What」や「How」ではなく「Why」から考えたり、話をする。「Why」から始めることで、共通のビジョンや目的が明確になり、人々が共感しやすくなるんだ。
私: 全然知りません。教えてください。
先輩: 「ゴールデンサークル」は、内側から外側に向かって「Why」(なぜそれをするのか)、「How」(どうやってそれをするのか)、「What」(何をするのか)という順番で考えるべきというもの。多くの組織は「What」から始めてしまいがちだけど、「Why」から始めるが大事という理論だ。
ま、このYouTube動画を観てみろよ。
動画の中でも言ってるけど、アップルの事例が引き合いに出される。アップルは「What」(何を作るか)ではなく、「Why」(なぜそれを作るのか)から始めていただろ。アップルの「Why」は「人々の創造力を解放すること」。スタイリッシュなパソコンを作ること(What)が目的ではないし、アップルのCMは商品の説明をしないだろ。
この強力な「Why」をに基づいて製品を作り、「Why」だけを広告でも発信する。有名な「Think Different」ってCMなんて、まさにそうだ。それが多くの人に強い共感を生み出し、圧倒的なブランドになったと言われている。
性能がいいから買うんじゃない。アップルの「Why」に共感しているから買うんだ。
私: なるほど。「Why」を明確にすることで、組織や社会全体が共通の目標に向かって動きやすくなるってことですよね?共感や信頼を築き上げるためには、まず「なぜそれをするのか」をしっかりと考え、共有することが大切なんですね?
先輩: そう。組織の細分化や縦割りって「How」の部分だろ。組織という「How」や政策/取り組みの「What」を変えようとするのではなく、もっと根源的な、サークルの中心である「Why」を問い直してみる。もう一度、「何のために/誰のために、どんな社会を目指すのか」を見つめ直すことから始める。
目標やビジョンが設定され、共有され、多くの人が「そうだよな」と共感したら、そのビジョン(Why)に向かって、「How」や「What」も変わっていくかもしれないだろ。正しいかどうかも、どう変えらたらいいかも手探りな中、膨大な労力をかけながら、「How」や「What」をいじるのではなく、我々は何を目指すのかをみんなで考え、共有する。
私:確かに。どこに行くかがあやふやな状態だと、車がいいのか、電車がいいのか、飛行機がいいのかという「How(交通手段)」も決められないですよね。でも、アメリカに行くんだと目的地が決まれば、「How」は自ずと飛行機か船に絞れてくるって感じですね。
先輩:メッチャいい例えだな。あと、現在の日本では、「ねばならない」や「しなければならない」という側面が強すぎないか?
これを少し変えて、「こういう社会であったらいいな」という理想を持つことが大事なんだと思う。
私: かっこつけて英語で言い換えれば、「Have to(しなければ)」から「Want to(どうありたいか)」にそもそもの意識を変えるってことかぁ。
改めて、私たちは「誰のために、なんのために」日々仕事をしているのかを見つめ直さないとですね。
「Why」から始める社会にするために
私:でも個人的には、今の状況をただ嘆いたり、文句言うだけじゃなく、「ここが変じゃね」と指摘しつつ、「じゃあ、こうしたらいいんじゃね」というオルタナティブな提案を示すまでをセットでお送りしたいです。どんな提案が考えられますかね?
先輩: 社会全体が「Whyの重要性」を理解していないからな。まずは「Whyから考える」を少しずつでも浸透させていくのが大事なんじゃないか。
それには、小さな変化から始めることが重要だと思う。小さな成功例を積み重ねることで徐々に広げることだ。例えば、組織内の一部門や特定のチームで「Whyから始める」アプローチを試験的に導入し、その成果を見てみる。もしうまくいったら、その成功事例をトップ層や他の部門に共有することで、組織全体への導入を目指すとか。
あとは、組織が直面している具体的な課題と「Whyから始める」アプローチを関連付けてみる。実際に困った課題を「Whyから考える」アプローチで解決を試みてみる。それが課題解決にどう寄与したのかしなかったのか、スタッフのモチベーションや働き方にどう効果したのかしなかったのかを具体的なデータも含めてチェックしてみる。
外部の成功例を参考にすることもいいと思う。業界内外で「Whyから始める」アプローチを導入して成功している事例を共有するっていうのもやってみたいな。
その上、さらに組織の内部から提案があがってきたらサイコーだな。例えば、職員提案制度とかから、自主的に「Whyから始める」アプローチが提案されたら超いいな。
我々の組織だけでなく、全国各地の様々な組織で、今言ったようなアプローチが立ち上がり、それらが組み合わせることで、その組織だけでなく、ゆくゆくは社会全体が「Whyから考える」重要性を理解し、実践する感じになっていけばいいな。
「How」と「What」はみんなで考え、みんなでチャレンジ
私: なんか最近あった東京都知事選の公約や主張を見ていても、国政のニュースを見ていても、例えば「出産にかかる費用を低減します」的な個別政策の羅列のように感じてしまっていて、「わたしたちはこういう社会を目指します」というWhyやビジョンのようなものを、個人的にはあまり感じられなかったんですよね。
今日、先輩と飲みながらいろいろ教えてもらいました。
多くの人の心を動かし、共感を得るビジョンを掲げること。つまり、「Whyから始める」ことが超大事なんですよね。
で、「Whyから考える」には、無意識的に刷り込まれているかもしれない「⚪︎⚪︎でなければならない/しなければならない(Have to)」から「⚪︎⚪︎でありたい(Want to)」へ意識や思考を切り替えていく必要がある。
「⚪︎⚪︎でなければならない」から離れられないと、「Whyから考える」ことは難しいし、「What」や「How」から考えてきてしまったから、時代の流れとは無関係に、我々はずっと細分化と縦割りを突き進めてきてしまったのかもしれないです。
「私たちはどんな社会にしたいんだろう。そして、私たちは、毎日、誰のために/何のために仕事をしているんだろう」
やっぱり「Why」が大事で、その「Why」が掲げる理想のための「How」であり、具体的な「What」。その順番で考え、説明し、取り組みを展開していくこと。
リーダーをはじめ、現代の我々にに求められるのは、もしかしたら「Whyだけ」と言ってもいいのかもしれない。多くの人がその「Why」やビジョンに共感してくれたら、「HowやWhatは、みんなで考えていきましょう。小さくチャレンジして試行錯誤していきましょう。」と、HowとWhatをみんなで取り組むものとして、「ヒライテ」しまってもいいのではないだろうか。
役所が細分化し、自分の領域だけを、自分たちだけで取り組んでいくのではなく、「こういう社会にしたい」とビジョンを掲げ、共感してくださる市民や企業やプレーヤーと「How」と「What」は一緒に考え、一緒にチャレンジしていく。「包括的/統合的アプローチ」とは何も役所内の部署間の関係性だけではないはずだ。
「How」や「What」ごと、役所の外側へ開いていく。ともに考え、ともに取り組んでみる。
だって、社会は特定の誰かのものではなく、みんなのもので、みんなで築くもの。そして、みんなの問題はみんなで解くものだから。
ということで、先輩、いろいろ教えてくれた上に、恩を仇で返すようで悪いんですけど、今日の飲み代、奢ってください。
先輩:俺たちは今日、官僚的縦割りを脱却し、市民や民間の方とフラットな関係を築き、「How」や「What」をともにチャレンジしていくことが大事だとという結論に辿り着いたじゃないか。飲み代もフラットな関係で割り勘に決まってるだろw
お読みいただきありがとうございました。
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