
今津景 ”Tanah Air”タナ・アイル 東京オペラシティアートギャラリー 初台
今津景 ”Tanah Air”タナ・アイル 東京オペラシティアートギャラリー 初台
前置き
母予備校、研究所での学派が同じ方で作家としてドクメンタに参加され、バーゼル、マイアミ、ロンドン市場等への更なる進出への期待がかけられている方の個展に行きました。
華麗なるAlternative Imagenary Art Familyの概念からみるとよく法事で長老群の中にいる自由そうな叔母さん(のような人)の「ところ」で遊んできた、という様な感じになります。
今回は、ある面で見て作品の生産コストが抑えられるインドネシアから来た作品ですが、彼の地で家族が増えて、新しい作品世界が展開している事が何より嬉しい事ですね。
私が10代の幼いころ研究所時代に彼女が2000年代後半によく人物モデルの仕事で訪れていて、講評でも特に東京造形大学の人物画対策について一言づつ「まだ救いようのある点」を掘り起こすようなニュアンスを持ったコメントを入れる場面もあったことで、よく憶えています。
この展覧会には、生活を切り詰めて美術展来訪をルーティンにしている現役美術予備校生の母と子供さんや、多摩美などを中心的に美術系大学や学芸員資格の取得過程の履修科目から展覧会来訪レポートを課題にされて何を書くか迷っている様な方も多そうなので、後半では美術専攻科と人文科学の学生が吸収できる学習ポイントをまとめた鑑賞方法を有料で提供します。
他人様は「美術の展覧会に行く」というと洒落のめして娯楽してついでに外食を楽しんでいるかのいるように見ますが、郊外から出向く様な美術館や展覧会は内容により1日拘束されますし、短くても2時間弱ほどは立ち放しになりますので遊びでも何でもなく単に復習や個人的な業務ルーティンの一環に含まれるため然程(さほど)楽しいことと限らないです。
私にとり初台はアクセスが楽な場所ではないです。
個人の個展であれば、出展者が特に費用をかけられない現役学生であれば搬入に付き合うこともありましたし、基本的には出展者の在廊日をめがけて行く予定調整やオープニングやプレ公開では望む望まないに限らない社交的な会食もありますし、個人の負担で賄われた個展会場がいつも行きやすい都心の上野・六本木・銀座・京橋・渋谷・原宿・清澄白河とは限らないのが実情です。
あの美術館やギャラリーに集まる人々は少しでもその負荷を行く甲斐のある楽しいものにするためにめぼしいと思われる靴を用意して防寒防暑し、中古市場を活用してでもブランド名と工夫のある衣服やバッグを装うのです。
厳しい山間気候にある相原、橋本、小平、取手、北関東の僻地などのコンクリ打ち放しの飯場や、放任の場の取り合いの寒いアトリエからその様な人々が出てきているのです。
2025年の春に美大に入学された方はこの過酷でもある振れ幅について体験してみて下さいね。
今津景 ”Tanah Air”タナ・アイル 東京オペラシティアートギャラリー 初台 考察
これらを、アート業界や大卒者ではないインドネシア人の一般国民が鑑賞するるとどの様な感想になるのか?産後に母親の胎盤を庭の地中に埋める風習やハイヌウェレ神話はイスラム信仰と海外移住が浸透した現代生活の中でどのくらい身近なのかなどという所は興味深いです。所蔵美術館を見ると好評なのだろうと思うのですが、本当にオランダ統治・日本統治と戦争を経験した高齢世代と、その当事者の証言を聞き続けてきた近い世代の人々がどう感じるのかを聞いてみたいものです。”When Facing the mud”からは、作家の地球環境の修復への願い、”Lost Fish”ではアーカイブとして生物の絶滅を伝える事の重さも見て取れます。 今の情勢では日本とインドネシアについては親しみを持った国交を優先した平和主義で、率直に身近な自然物が具象で描かれているので、観て楽しく良い感想になるだろうとも思います。
私が思うには、オランダのWereld Museumによる所蔵を狙うには”Anda Disini” ,”Bandiengsche Kinine Fabriek” はポストコロニアリズムの観点・意見提示・インドネシアの民族主義に完全に根差した現状の日本政府の歴史解釈観に対する批判的姿勢は全然弱いのではないかな?”When Facing the mud””Lost Fish”ももう少し環境破壊に対するジャーナリズム・ドキュメンタリーとして当事者感情ないしは、作家が思う人災による環境破壊や起こった絶滅に対する考えをより劇的に強く押し出された方が更に有効なのかな?と思いました。美術作品としての普遍性、距離感を守る雰囲気が強過ぎ、作家がイデオロギー色を強くしたくない感じがありましたので、こちらはそれ以上は考え過ぎないことにしました。
物体として、Wereldに置かれるとこじんまりするだろうかなと感じましたが、”When Facing the mud”と”Heinuwele”シリーズの主要作はWereld Museumの一角に入る事は不可能でもなさそうにも思えました。Wereld が投げかける議論と問題提起は、もっと強く国際社会で強い立場にある先進国の植民地主義によって残った構造的な差別や不平等、行き過ぎた経済活動による環境破壊に対する責任を問う内容です。
私がWereld Museumにて見たインドネシア人の手による主工芸品や反植民地統治、民族アイデンティティーを主旨とした作品はより根源的な本能からの声というのか聞こえてくるものでした。
オランダのWereld Museumにある所蔵品から見て旧日本軍がインドネシアに行った事は、第二次世界大戦中当時の植民地開放を訴える政党のプロパガンダポスターを見ると良いと思いますが強烈なインパクトでありました。
例として「Japan」と刻印された巨大な岩の錘と鎖にインドネシアの民族衣装を着た男が苦悩の表情で縛り付けられ抵抗している図像など、当時の当地の人々が被った屈辱感や痛恨の念をダイレクトに伝えるものが多いです。
”Roumusha”に関する描写や文章表現も、現地には多く残されている事と推察します。
当然、作家はインドネシア史の知見を深められている事と思われるので、見る側としては植民地解放運動の記述をより視覚的に直接的代弁・再演する作品が生まれればいいのではないか、しかし穏健でありたく西欧市場の顧客の要求に合わせていかなければならないバランスを取られている所が枷でもある雰囲気も見受けられました。
そして女性作家としての処世術として女性性、フェミニズムにおける従軍慰安婦問題など、特にオンライン内で賛否の割れる議論への作中言及を迫られることを避け、よりポジティブで持続が可能な制作活動としていくためには、この方を推する批評との折衝では宇宙の中にある地球の位置付けから「エコフェミニズム」:環境保護主義的フェミニズムを選択し、完全に自然科学、解剖学、博物学を土台にした解釈として女性の人体を取り扱いせざるを得ないという取捨選択があった事も良くわかります。
短期的で大まか過ぎる捉え方ではありますが、今世紀の第二次世界大戦後の女性作家Marina Abramović、小野洋子、シンディ・シャーマン、ルイーズ・ブルジョワ、マルレーネ・デュマス、Nan Goldin、草間彌生、塩田千春、イケムラレイコ、やなぎみわ、岡田裕子、ジョン・カリン、Cecily BrownほかVitamin P (PHAIDON)に紹介された近年の女性作家の作例と比較照応した場合、彼女たちはより自然言語を介したやりとりを通じた人間同士の関係性やウェットな心理現象、女性の人体像・身体性・動く事による視覚的パフォーマティヴィティのインパクト、自我と記憶的個人史のナラティブを軸に創作を展開したという違いがあります。
ここ30年ほどのアウトサイダー作家を除く、多様性と言うも結果的に健常者前提から抜け出ない学術世界におけるアカデミー主義の女性作家の傾向として、自然科学、工学、サイバネティクス、非自然言語、認知美学の取り入れを行い人間中心に据えた表現を回避しつつ肉体性は自然言語で語らず、出さないように、ないしは間接的に表出させることが多く、デザイン至上主義の価値観に寄った作風で理工・自然科学系のリサーチコンセプトを持つ理系出身者が有利な現状が続いています。
特にファインアート専攻単独の出身者はサイエンスなしにスポンサーを得ることと経済的に制作費を捻出することは難しい事と思います。
美術の高等教育機関に教員として巣食う研究者のうち科学研究単独のみで立ち行かない人々がファインアートとデザインという「ブラックボックス」を拠り所にし、生存戦略としてリベラルアーツを基盤とした美術制作研究の中で寄り合う様子であれば散々見てきました。
私から見ると
・インターネット以前の様なウェットな実存主義の私文学的な叫びを持つ当事者主権主義に基づかれた女性美術史の文脈に限定された語られ方をされ、
「恣意的でヒステリックである」という月並みな女性作家批評に取り扱われたくない
・日本からは女性作家はKusamaだけがマーケット最高額をマークしている現状や、ブルジョワの様な女性作家の作品が前澤コレクションに所蔵され再評価された事で生じた「トラウマ」と女性性の結びつけに対する新しいアンコンシャスバイアスに絡めとられたくない
・気候変動や政治での東西同じ覇権主義と私物化の台頭を反映してジェンダーロールから解放されたニュートラルな脱人間中心主権でありたい
・とにかく純粋な物質的追求でありたい
といった創作心理で起きる意向要求の推論が引き出される選択肢の例になっています。
美術史の文脈の中でのポジショントークも描画言語でのアプロプリエーション等の手法中から読み取れますので、美術史知識を持つ人や作品をコレクションしている人々に対しての有効なギミックとなっています。
長谷川裕子氏、片岡真実氏、笠原美智子氏などの女性の博物館学芸員やギャラリストの批評がビエンナーレや国際市場にアウトバウンドした日本の70年代後半から80年代生世代の女性作家を見るときこの「デザイン快楽嗜好・理系偏重・文化人類学・リベラルアーツ病の分厚い壁」の花がもつ生存戦略や慣習と客観性の主訴の鎧について、考えますが、
今津さんの作品からも、非常に良くも「微妙」にも、その優等生的な壁の影を色濃く感じます。
作家によるテキストは、彼の地の衣食住や日本にない気候・生態系に触れる日常を送る作家の素直な感動、驚き、想いを伝えるものになっています。
当然、インドネシアのリサーチだけに縛られないより広い世界の自然と共感覚の中を冒険されていかれる事だろうとも思います。
今津景 ”Tanah Air”タナ・アイル 東京オペラシティアートギャラリー 既出の感想レビュー
私より詳しく丁寧に写真や感想を書かれた記事の例はこちら
素直に純粋に従順に「現代アート」「デザイン的要素」「アカデミック」を楽しむ態度、「アート思考」「散歩」行かないけどおしゃれな観光を楽しむのを見たい意味では他の方が優れていますのでそういうのが読みたい方はどうぞ↓。
画面がどれほど大型になっても、ミクスドメディアで手法がアプリケーションを用いられても、
描画と視覚効果操作の基礎は基礎で講評で戒めの引き合いに出された技法に対する忠言が思い出されます。
お喋りな彼らの批評議論や彼らが行う美術史上の彼ら自身の作品のポジショントーク、時に批判しあう場面が今日のように引き出されてくるものです。
3Dプリンタでの立体や彫金の造作物、現地の伝統手工芸品を模した作品、あるいはそれをそのまま持ち込まれた作品群が空間全体に配置されることで、鑑賞者の視線・動線にも遊びの余地が生まれ、お子様でも見飽きない楽しさも演出されていると思います。
一般向けの感想・考察は一旦終えます。ここまで読まれた方お疲れ様。
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Note : JULLIE.I https://note.com/igarashi_garash4/
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ここでは絵画の技術・技法の面に絞ったことだけを書きますので、必要な方だけどうぞ。
私が油画で師事したセザンヌの描画における膠着しない身体運動の再現追求を作画の主要手段として続ける画家(現在は教授)と岡崎乾二郎門下が含まれた学派において口酸っぱく言われたメソードの核心です。
以下を習慣づけ、毎回 絵画・あなたが作っている画面を見る時に常時この様なフレームワークで観る状態を得てください。
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