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民藝運動の父 柳宗悦から学ぶクリエイター・芸術家の生き方

皆様、いかがお過ごしでしょうか。イガなおです。

昨日、Prime videoで劇場版SHIROBAKOを見たのですが、色々な意味ですごいアニメだなあと思いました。

アニメ制作会社P.A.WORKSのお仕事アニメ(SHIROBAKOはアニメ制作会社を舞台にしたお仕事アニメ)に共通することでもあるのですが、言葉を選ばずに言うと、「え、業界の闇をこんな描いちゃうの?消費者に刺激強すぎない?」といった所で、作中で随所に見られる仕事の血生臭さが印象的でした。

ですが、リアルに描くからこそ、逆境の中で足掻く人々の姿が眩く光るのだし、視聴者が没入できるのだと思います。

最高ですね。みゃーもりは俺たち。


さて、今日は、「民藝運動の父 柳宗悦から学ぶクリエイター・芸術家の生き方」という話を書きたいと思います。

以前、僕のnote記事で「IT社会においては、情報共有が促進されて個人の同質化が起きるけど、その中で独自性や人間性を保つためには日本文化がヒントになりそう」という話を書きました。
今回の記事はそれに関連して、日本文化から気づいた内容です。


現在、東京国立近代美術館にて、「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」という企画展が行われている(2022.2.13まで予定)。
先日これに行ってきて、気づいたことがあったので共有したいと思う。

結論としては、
「やっぱり芸術家・クリエイターは自分のやってることの「説明」と「収益化」が大事だなあ」
といった所だ。


柳宗悦は、明治中期から昭和中期にかけて、日本の民藝を国内ひいては海外へ知らしめた男である。

民藝とは、各地の風土にて生まれた日常の生活工芸品のことであり、柳と美の認識を同じくする陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎らによってネーミングされたものだ。

柳は宗教哲学者であったが、朝鮮の工芸品を目にしたのをきっかけに、ローカルな工芸に魅了されていった。

柳が民藝品に目覚めたきっかけと言われる「染付秋草文面取壺」


日本は「鎖国国家」、「地域によって寒暖差の激しい気候」をもつため、生活に根ざした工芸品(民藝)の様式は多岐に渡るという寸法だ。
現在でも、日本の民藝はそのデザイン性と、自然の質感を残したSDGs的な文脈から海外から高い人気を得ている。

彼はこの民藝のプロモーション活動「民藝運動」に尽力し、下記のようなことを唱え、実践していた。

民藝運動の概要

◆民藝は美術品に負けない「用に即した健全な美」と、工業製品に負けない実用性がある
 ↑当時の「曖昧な美の基準」や「工業化による身体性や文化の低下」に対するアンチテーゼ

①上記を世に広めるために、次の3本柱を自前で作成した。
   ・出版(機関誌「月刊民藝」など)
   ・美術館(日本民藝館)
   ・流通(小売店「たくみ工芸店」)

②都市への人口流出から民藝を守るため、民藝の産業化を行い雇用創出をしようとした

柳は自分の『偏愛』を徹底的に社会へ『説明』している

展覧会に行って感じたのが、柳の民藝への『ヲタクっぷり』である。

彼は服から雑貨から、身の回りのモノの多くを民藝品で固めていた。

当時の日本人の服装なんてのは、和洋折衷の時代なので、着物やスーツ、現代服が主流だったはずで、周囲からは随分変わった風情に見えたらしい。

また、民藝品が好きすぎて、全国各地の地域の工芸品を研究、収集して周り、さらには朝鮮、北海道、沖縄まで脚を運んでいる。

現代で言うと「痛車」、「痛服」、「痛家具」で身を包んだような状態の半分くらいの異質感だろうか。

フェラーリの痛車

このように柳は自身の偏愛にフルコミットしてしまう重度のヲタクであったのだが、特筆すべきだと僕が感じたのは柳の「説明力」だ。
編集力と言ってもいい。

以前、noteに「天才 = 変態(偏愛) + 社会性」という記事を書いた。

自身の偏愛に特化する『変態』は、それが社会にどう寄与するのかを社会に説明することで、周囲に受け入れられ『天才』に昇華する、という内容だ。

柳はまさにこれを徹底して行っている。

前述の通り、民藝運動は「出版」、「美術館」、「流通」の3本柱を基軸として動いていた。


「出版」により、
民藝が既存の美術品と比べて美術的にどう優れているのか、
工業化社会において手仕事の身体性がどう重要なのかということを、
得意の学者的視点でもって大衆に解説している。

現代で言う所の、雑誌やSNSを使ったプロモーション活動である。

ここで、柳は機関誌「月刊民藝」の製本の仕方や活字のフォント、挿絵の魅せ方など、細部のデザインにも徹底的にこだわったという。

彼は学者、プロモーターであっただけではなく、優れたデザイナーでもあったというのだから驚きである。


「美術館」により、
出版で解説した民藝の、現品としての魅力を肌で感じさせる。
これはEC社会におけるオフライン店舗による体験価値、ブランド付与そのものだ。


こうして高めた民藝に対する顧客の期待感が
「流通」段階で店舗からの購買意欲に繋がった
のではないだろうか。

これで大衆が実際に自分の生活に民藝品を取り入れることが出来るようにし、まさに柳が論じている「生活に根ざした美」の体験の浸透に努めることができたといえる。
詳しくはわからないが、同時にこれが運動の収益源にもなっていただろう。

収益化関係で言うと、柳は民藝の産業化にも注力しており、上記のように構築した販路でもって民藝経済圏を確立しようとした。


現代の事業戦略として非常に有効であると言われている「ブランド戦略」、「経済圏戦略」を大正時代から地で行ってるのだ。天才すぎる。


このように、民藝(偏愛)の「説明」、「周知」、「収益化」のループを回していたからこそ、社会から受け入れられ、柳宗悦という男は現代まで語り継がれているのだと思う。

柳は経済から目を逸らさなかった

現代のクリエイターにも言えることだが、クリエイティブを続けるには、生活を守るための収益が欠かせない。

当たり前のことではあるが、ビジネスとクリエイティブの両立が出来るクリエイターは、特に日本では希少であるように思う。

そういう意味で、「社会への説明」と、そのもう一歩先の「産業化と収益化」までたどり着いた柳から、僕らが学べることは多いように思う。

改めて、背筋が伸びる思いである。

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