【11/28】いつか生まれ出づる魂に寄せてーーDannie May、渋谷WWW初ワンマンを観た
新しい事を始める瞬間、人間は誰もが迷い、恐れる。“ファーストペンギン”という言葉もあるぐらいで、初めの一歩を踏み出す事は誰からも讃えられて然るべきだし、それだけ怖い事でもあるのだ。
新しい事を始める瞬間の人間は震えている。それには、武者震いだなんて勇ましい呼び名がつけられているが、気分としてはどちらかというと、生まれたての赤ん坊の心許なさに近い。母親が苦しみながら赤ん坊を産み落とすとき、赤ん坊もまた泣き叫ぶわけだが、もしかしたら生まれるときの怖さと産み落とすときの痛みは同等なのかもしれないな、などと感じたりもする。
新しい事を始める瞬間。それは、まるで暗い暗い産道を通ってこの世へ生まれ出づる瞬間のような、恐れと期待の入り混じる瞬間だ。
11月28日。Dannie Mayが初めてのワンマンライブを開催した。会場は渋谷WWW。数多の若手バンドがワンマンライブの舞台を飾り、その後躍進を果たした有名なライブハウスだ。
カラフルなネオンと喧騒が飾る夜の渋谷の路地の坂道を登った先にあるそこは、薄暗く深い階段を降り、闇の中を潜っていくようなハコだった。錆びた色味の壁や階段がスチームパンクを思わせ、その異界感が期待と、少しのハラハラしたような感慨を絶妙に煽る。この日初めて彼等のライブを観る友人を誘い、開演予定の30分前にフロアに待機した。
フロアには心音のようなSEが鳴り響いている。規則的な低い音が静かにこだまし、合間に水の中のような、泡が弾けるような音が挟まる。まるでバンドのライブが始まる前とは思えない演出に、“胎動”というライブのサブタイトルを思い出し、なるほどと頷いた。今からここは、Dannie Mayというまだ未知数の才能が生まれ出ずるための胎内になるのだ。
開演予定時刻より10分程遅れて、会場が暗転した。にわかに鼓膜を揺らし続けていた心音が大きく、速く変わり、水音も大きくなる。真っ暗な舞台の上にふたつだけ明かりが灯った。サポートドラムの成瀬太智に続き、手元の照明だけが点けられたPC・DJセットの前にYunoが立つ。続いてマサ、そしてタリラが姿を現し、それぞれセンター、下手のキーボードの前に立った。
夜明けを報せる陽の光が、40cm程見上げる舞台の上に差し込んだ、かのように錯覚する。橙色の照明に包まれた彼等が1曲目に選んだのは『アサヤケ』。柔らかなシンセサイザーと歩くような速さのビートがあたたかな、大舞台の始まりに相応しい曲だった。
いつもよりやや表情が硬く見える3人は、しかし音を鳴らすと同時に歌の世界にどんどんと入り込んでいく。いつもよりも広く、すべてのオーディエンスの視線が集まるフロアをYunoは静かに見渡し、タリラは1音1音噛み締めるかのように、足元を確認しながら、新しい道を踏みしめるように鍵盤を叩き、歌う。リードボーカルを執るマサは舞台の上から見える視界をすべて目に焼き付けようとするかのように身を乗り出し、ギターの合間に身振り手振りを交え、朗々とした歌声を響かせながら少しずつ少しずつ、フロアとの距離を縮めていく。その、まるでオーディエンスひとりひとりと目を合わせようとでもしているかのような素振りからは、彼が、そして彼等3人が今日という日にどれ程の想いを抱いて臨んだのかが暗黙のうちに、何よりも雄弁に伝わってくるようだった。
しかし、2曲目の『灰々』、3曲目の『針よ堕とせぬ、暮夜の息』と続けて、そんな感慨深い情景は一変する。近年の彼等の楽曲のなかでも特に攻撃力の高いジャジー/ロックなナンバーであるこの2曲が始まった瞬間、彼等の楽曲の持つ特有のハングリーな妖しさが一瞬にして爆発し、空気がピンと張りつめたように感じられた。タイトなトラックの上で控えめながら確実な存在感を示してくるタリラのピアノ、そして何よりもさっきまで温かな色味を帯びていたマサのボーカルが一気に刺すような鋭利さを持ち、その眼差しも観客ひとりひとりを鋭く射抜くようなものへと変わっていく。クールなYunoも大きな身振りを交えてフロアを煽る。トレードマークのサングラスにつけられたチェーンが鈍い光を放った。
その堂々とした一見今までのライブと何ら変わりない立ち居振る舞いと相反する、まるで武者震いのような張りつめた空気を纏った彼等の佇まいからは、改めて初ワンマンという記念すべき瞬間を迎えたことへの少しの慄きと、そして何よりも喜びが痛い程に伝わってきたようだった。
赤と紫の照明を独占した彼等は三者三様それぞれに、全身で曲の世界を表現し、またそれぞれがオーディエンスの心を既にしっかりと掌握しているように思えた。この時点でこの場所は、既に彼等のものだと言っても過言ではなかった。グルグル回るミラーボール、ネオンサインのような光が炸裂する舞台の上、『針よ~』のオチサビの怒濤のようなシンセサイザーとコーラスが織りなす洪水のような音圧に押し流されていくうちに、すっかり3人の生み出したグルーヴの虜になってしまう。まるで眠る瞬間の穏やかな幻覚から一変、世にも美しい悪夢に叩き落とされたかのような衝撃に脳が揺れた。
ライブも中盤、暗転を経て椅子を持ち込みセットチェンジ。今回は日頃披露される事が少ない、アコースティックパートがあったのも新鮮だった。Yunoの「僕達は元々バラバラで(音楽を)やっていた頃から歌を大事にしていました。今まではツーマンなどが多く尺が足りなかったのだけれど、今日はワンマンなのでやりたいと思います」といった言葉通り、マサのギターと成瀬のドラムのみのシンプルな音をバックに披露された『異郷の地に咲かせる花は』では、彼等の歌声のバランスの良さとそれぞれの魅力を改めて感じる事が出来、このバンドのベースとなっているのは“歌”以外のなにものでもないのだと思わされた。
シンプルなメロディとメロウなテンポで描かれる青々とした青春の1ページは、しかしシンプルであるからこそ、意外とボーカルの入れ替わりが複雑に組まれている事がよくわかる。時折天を仰ぎながら歌い上げるYuno、やはりオーディエンスやメンバーの表情をしっかりと見つめながら言葉を紡いでいくマサ、そして少し肩を丸め、身体を揺らしながら全身で音楽に潜り込んでいくタリラ。ボーカルスタイルもさることながら佇まいすら全く違う3人によるハーモニーは、奇跡と言っても過言ではないと思う。
日頃披露される事が少ないという点では、タリラ作詞曲/メインボーカルによる『ナイサイシンシャ』『イフユー if you』そして初期曲『スクリーンセーバー』を一気に味わえたのも印象深かった。1曲ずつで考えればライブで披露されるのも珍しい曲ではないのだが、Dannie Mayの代表曲とも言えるマサ作詞曲による楽曲達の中で改めてまとめて披露されると、やはりその異質な存在感が際立つ。
歪みの強いシンセサイザーやふたりの浮遊感あるコーラスが、一瞬にして舞台の上を異世界のような幻想的な空気に染め上げる。ピンクや赤の照明の中時に髪を振り乱し、時に目を伏せて歌うタリラの歌声は音源以上に妖艶で、まるで異国の言葉のような独特な響きを持って聴こえた。特にリリース時から異彩を放っていた『スクリーンセーバー』では成瀬のドラムが強く入る事で生々しさが加わり、対してラジオボイスのようなエフェクトの加えられたタリラの歌声が無機質に浮き上がって、楽曲の持つ得体の知れない魅力がより強化されたように感じられた。
しかしやはりライブの一番のハイライトと言えるのは、昨年のリリース以来光の速さで彼等の代表曲となった『適切でいたい』『ええじゃないか』の2曲、そして初音源としてリリースされて以来彼等の歩みを彩り続けている不動の人気曲『暴食』だろう。これでもかとたっぷり設けられたインタールードのようなイントロから披露された『適切~』は原曲のクシコス・ポストをサンプリングした不気味な冒頭演出がより活かされ、楽曲の持つ絶望と隣り合わせの力強さが活き活きと感じられた。重層的なユニゾン、そしてマサがギターピックを掴んだ手を天に掲げて歌い上げた「ありがとう世界よまた明日」のフレーズは、まるで彼等自身がこれから立ち向かっていくであろう広い世界への宣戦布告のようだ。
『暴食』では3人それぞれの佇まいのクールさがより際立ち、パフォーマンスに於いてもやはりキラーチューンであると強く感じさせられたが、フロアの盛り上がりに関しては『ええじゃないか』も負けてはいない。マサの緩急豊かな歌声と手拍子にフロアは大いに沸き立ち、茶目っ気たっぷりな表情でオーディエンスを見渡すタリラはぴょんぴょんと跳ね、くるくる回る。誰よりも本人達がその場を楽しんでいる事が伝わるパフォーマンスに胸が躍った。
ライブ中盤当たりのMCで、Yunoはワンマンライブについて「目指してはいたけれど、こんなに早く本当にこんな景色を見られるとは思わなかった」と語った。バンドを組む以前から音楽活動を続けてきた実力派の3人ではあるが、その言葉にはかなりの実感が込められているように聞こえた。
それもそうだろう。何故なら彼等の活動は、傍目から見ていても前途多難だったからだ。ライブ活動を本格化した傍からコロナ禍に見舞われ、これまでのライブシーンならインディーズバンドが当たり前に敢行していたはずの地方公演や全国ツアーもままならなかった。サーキットイベントなども軒並み潰れ、一時期はライブの機会を奪われ続けていた。きっと、我々リスナーが思い描く以上の困難が彼等の目の前に転がっていたのだろうと思う。そのときの葛藤や不安、手探りの未来への想いは想像に難くない。
しかし、彼等は転んでもただでは起きないバンドだった。ライブが出来ない分曲を作り続け、映像を撮り、オンラインイベントにも積極的に参加していた。そのワーカホリックなまでの躍進の速度からは「社会情勢如きに歩みを止められてたまるか」という底知れぬ意志が感じられる。世界が止まっているその間も、Dannie Mayの眼差しは常により広い世界へ向けられていたのだ。
我々人類を含め、すべての生命は海から生まれたと考えられていて、生まれる前の胎児はその名残として、母体の中で羊水に浮かんでいる。魚の大半は常に泳ぎ続ける事を求められ、泳げなくなる事はイコール死を意味した。
ライブハウスが休業を余儀なくされ、有名バンドのライブが幾つも延期や中止を繰り返される世界のただなかで、しかしDannie Mayが泳ぎを止める事はなかった。いつか今見えている景色とは比べ物にならない程に広い大海へ泳ぎ出る事を見据え、泳ぎ続けていた。
ライブが終わった先日12月1日にYouTubeで生配信されたアフタートークのなかで、バンドのリーダーであるマサが自分達の活動について「そういう星のもとに生まれたんよ」と形容していたのが印象的だった。その、ネガティブな諦念のようなものを一切感じさせないあっけらかんとした物言いからは、バンドの未来への希望と揺るぎない覚悟が感じられる。
「仲は良いんだけど、ぶつかり合って何度もバラバラになりそうになった」というのは、この日までのバンドの歩みを振り返りながらマサが口にした言葉だ。以前Yunoもnoteに「三つ巴でもあり、三本の矢でもある」と自身らの事を評し綴っていたが、ブレーンが3つ存在するバンドとしてのDannie Mayのあり方は正に、互いを尊重し合いながらも自我をぶつけ合う、綱渡りのような一面も持っていたのだろうと思う。
「今までの2年半、常に誰かと比べ続けた時間だった」と話すマサは、しかし他人と比べる事を「悪いことじゃないと思ってる」とも言う。個性や自分らしさを過剰に重視し、“自分らしさ”を見つけられない人間を否定せんばかりの巷の言説に対する抵抗を示しながらも、彼は瞳を輝かせて「ひとと比べる事」を「もっと自分を良い状態へ変えていくためのことだから」と肯定する。
「ひとと比べることで見えてくる自分の姿もある」というのは終演後の友人の言だが、正にそうだと思った。Dannie Mayがこれまで三つ巴の緩やかな闘いを通じて楽曲を生み出し続けてこられたのは、その闘いが常に己との対峙にも繋がり、互いに凌ぎを削り合う事でブラッシュアップを続ける事が出来たからに違いない。
本編最後に披露されたのは『ユウヤケ』。彼等が初めてMVに、後ろ姿ながら全編でその姿を現した曲だ。静かな夜明けを感じさせる『アサヤケ』で始まったライブは、3人それぞれの歌声の一番やわらかい部分を掻き集めたかのようなハーモニーによって幕を閉じていく。ライブの終演後Yunoはnoteにこれまでのバンドでの活動を「長い1日を過ごしているような感覚だった」 と記していたが、多分このときDannie Mayの長い長い1日はやっと終わりを迎え、そしてまた新たな1日が始まったのだろう。
まるで、“何かをつくる人間”の暮らしの苦悩と喜びを煮詰めて押し固めたようなバンドだと思う。特にこの日も披露された、マサの心底からの不安や迷いが吐露された曲だという『この曲が人生最後の僕の代表曲だったら』をリリースした以降の彼等の作品には、歌、音、映像それぞれすべてが特有の飄々としたポップさやスタイリッシュさは持ち合わせながらも、それまでよりもずっと生々しく、彼等それぞれの人生や生活がより色濃く息づくようになったように聴こえるのだ。
つくりつづける、表現し続ける事はとてもつらい。でもそれ以上に楽しく、痛快なものなのだという事をこの日のDannie Mayは全身全霊で示してくれているようだった。多幸感漂うミディアムナンバー『一生あなたと生きていくなら』を披露した際にシンガロング部分でオーディエンスにスマホライトを灯す事を促し、自分自身も私物のスマホを翳して自撮りをするマサの嬉しそうな笑顔が、今思い出しても愛おしく感じられてしまう。(終演後、撮影が難しく自撮り動画からYunoが見切れてしまった事をたいそう悔しがっていたのも含め。)
アンコールでの定番曲『バブ28』の冒頭で展開される、ほぼアカペラでのハーモニーの繊細に織られた更紗のような美しさもまた、3人の絶妙な関係性を表しているかのようだった。そして、アンコールの最後に演奏されたのは、かつてマサが「バンドの光になってくれた曲」と評していた『御蘇-Gosu-』。このときは「自分たちが迷ってしまいそうな時に軸になるような曲」であるとマサは言った。フロア全体が再びあたたかな朝の陽光に包まれるなか、アウトロの最後にピンスポットを浴びたタリラのピアノが、新しい朝へ向けた優しい祈りのように響いてライブの幕を落とした。
かつて、Web媒体での最初のインタビューで将来の目標を質問されたDannie Mayは、それぞれ「武道館でのワンマンライブ(マサ)」「シンプルに音楽で食っていくこと(タリラ)」「僕達の音楽を聴いて、自分の人生に落とし込んで、どう生きていくか、を考えてもらえたりしたら最高(Yuno)」と回答していた。全くもってバラバラの回答だが、しかし3人の向いている方角だけは一緒だという事がわかる。それぞれが優れたクリエイターであり歌い手でもある彼等が出会い、そしてバンドを結成した事自体は奇跡と言って過言ではないと今回のライブを観て改めて思わされたが、しかし彼等がこれまで残した、そしてこれから残していくであろう結果は決して奇跡などではない。彼等の闘いの記録が確かに花開き、そして実を結んだ結果なのだと言いきれる。
あの日の彼等の姿を見て、そして歌声を聴いて、胸が苦しくなったのは“初ワンマンライブ”という場の特殊性による個人的な情だけでは決してなかった。ともすれば埋もれてしまいかねなかった才能と才能と才能が出会い、支え合い、ぶつかり合い、そして萌芽を迎えて天高く舞い上がっていく様を見届けられることへの猛烈な喜びだった。
地下から外へと向かう薄暗い階段は、やはり外界へ続く産道のように思えた。まだ目の開かぬ赤子のような気分で街の灯を浴び、帰路へ就く。彼等が拠点に選んだこの大きな街は、いつか生まれ出ずる3つの魂の胎動を祝福するかのように、この夜も煌めいていた。
■関連情報
来年3月の結成日にもワンマンが決まったぞ〜!!!次は渋谷QUATTRO!すごい!!!
■参考文献
・Yuno氏(DJ/Kantoku)のnote。名文。
・彼等にとって初めてだったEggsでのインタビュー
・例のアフタートーク……charming