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ロックバンドの“ファンサービス”って、要らない?〜LACCO TOWERのハロウィン全力仮装が今年も既に楽しみ〜

■ロックバンド・LACCO TOWERのハロウィン仮装が、毎年全力すぎる

LACCO TOWER(ラッコタワー)と言うバンドがいる。


前身バンドの活動から数えれば今年で十八年目、既にベテラン中堅バンドと言っても充分なキャリアを有し、でありながらそんな事どうでも良くなるぐらいの強烈なインパクトを持つメタルロックサウンドと歌謡曲の融合を見事すぎるぐらいにキメた楽曲が最大の魅力であるバンドだ。

既にシーンでは圧倒的な支持を集め、“みんなご存知!”と言うタイプのバンドでは決してないが、コアな音楽ファンからは“定番”と言った認識で間違いない、いわゆる実力派と言う感じのバンドである。因みに音楽フェスの主催とかも毎年やってる。所属プロダクションもメンバー自身が経営していて、ベーシストが社長さんだ。なんか、色々すごい。

アー写見て頂いてもわかる通りメンバーのヴィジュアルも申し分なく、イケメンバンド通り越して時たまビジュアル系バンドと間違われる事も(※当社調べ)。実際ライブパフォーマンスもパワフルすぎてV盤かメタルバンドのライブに来ちまったんじゃねえかと疑う程の迫力満点具合だが、実は今回はそんなLACCO TOWERの真髄について語りたいわけではない。

いや正直皆さんにはLACCO TOWERの超絶COOL&DOPEな楽曲や全曲の作詞を担当するボーカル松川ケイスケ氏によるライブ中のジャケットプレイやネクタイプレイのセクシーダイナマイト具合について知って頂いた方が、より深く豊かな邦ロックライフをエンジョイして頂けるのではないかなとも思う。

(オーバーサイズの黒パーカ姿がこんなにセクシーなバンド、他にいる?)


しかし、なんとも贅沢な話だが、今回はそれが本題ではない。

今回の本題、それは、LACCO TOWERによる毎年恒例のハロウィン全力仮装である。

まずは次の画像を見て頂きたい。

いかがだろうか、このやたら絵面力(えづらぢから)の強いカオス。

右からおにぎり(ベース塩﨑社長)、『進撃の巨人』よりミカサちゃん(ギター大介さん)、『銀魂』より高杉晋助(ボーカルケイスケ先生)、井上〇水(ドラム“ゴリさん”こと重田氏)、そしてきかんしゃトーマス(キーボード真一ジェット氏)なのだが、もうなんか自分でここまで勢いで書いといて1センテンス毎の情報量が多すぎて皆さんついてこれているか些か不安だ。メンバーのお名前等詳細に関しては各自サラッとwikiっといてでも頂ければと思うが、もうしょっぱなからベーシスト(兼事務所社長)がおにぎりって何よおにぎりって。しかもこのひと毎回おにぎりだからね。おにぎりって何よおにぎりって。


ね。おにぎりでしょ。

しかも見て頂いておわかりかと思うが、毎回やたらクオリティが高い。冒頭に挙げたアー写と見比べてみるとよくわかるかと思うけれど、最早どれが誰だか言われないとわからないレベル。しかもいわゆる“綺麗どころ”であるケイスケ先生と大介さんのルックスとメイクのポテンシャルの高さったらない。ジョーカーなんか本家越えレベルのエロさだし高杉ケイスケは銀魂を通ってきたオタク且つLACCO TOWERをよく知らない友人数名より「もう実写化このひとで良くない!?」との称賛を賜った程だ。

中堅バンドの財力とこころの余裕を駆使しまくって実施される、毎年恒例のハロウィン全力仮装。SNS全盛期の昨今ではハロウィンの度に仮装に精を出し、写真をアップするロックバンドも決して珍しくはなくなったが、これ程のクオリティのものを毎年繰り出してしかも年々その完成度を高めているバンドはLACCO TOWERと、あとPlasticTreeぐらいしか知らない。

(プラは毎年ファンクラブ限定のハロウィンライブを開催しているのだけれど、ここぞとばかりにヴィジュアル系っぽさ全開にぶちかましてきて困る。最早動く芸術品と言っても過言じゃないし最早ちょっとしたホラー。)

そんな、世間のご多分に漏れずバンドマン達も毎年張り切るハロウィンだが、このような取り組みが注目を集める度に様々な意見が錯綜する。

具体的に言うと、「それ、音楽とどう関係あんの?」って話だ。

世間のパリピみたいにここぞとばかりに着飾って、仲良さげな自撮りSNSに載せて、それで喜ぶのって結局ミーハーないわゆる“顔ファン”だけなんじゃねえか、なんて言われたりするのだ。

ただでさえ、ミュージシャンの音楽以外での目立つ活動――例えば、ネット配信や地上波のバラエティ番組出演や握手会・お渡し会等のイベント開催など――は、「芸人かよ」「ユーチューバーじゃねえんだよ」「アイドル気取りかよwwwwww」なんて揶揄される事もある。ライブMCでの内輪ノリの雑談すら「くそつまんねえ」と“無駄なモノ”扱いされる事もある始末だ。

(「くそつまんねえ」と言われかねない内輪ノリの雑談動画の例(※僕は個人的に大好きだし多分実際問題好きなひとの方が多いだろうとは思う)(と言うかこのような動画が受け入れられる世界であってほしい))


でもそのいわゆる“ファンサービス”、本当に無駄なんだろうか?


■ロックバンドの「お渡し会」は“売れないからやらされる”?

最近、邦ロック界隈でもよく見かける字面、「特典お渡し会」。
新譜のリリースに際して、レコード店などではよく“早期予約特典”と称して予約購入者にだけオリジナルグッズを配布する事がある。よくあるのがアー写の絵柄をどデカくお部屋に飾れるポスターやCDジャケットと同じデザインを施したクリアファイル、バンドのマスコットキャラクターなんかのデザインが施されたステッカーやチケットホルダーなどなど。それらをファンの皆さんと対面し、メンバー手ずから手渡してくれると言うファンとしては最高に贅沢なイベント、それが「特典お渡し会」なのだ。

ファンからしてみたら一見「嬉しい」以外の感想が浮かばないであろうイベント。そもそもはアイドルの現場から派生したものだが、それ故ロックバンドのファンからは“手放しで喜べない”的な声も浮上している。

「きっと音源が売れないから開催されるんだ、たくさんCD買ってメンバーの負担を減らさなきゃ」みたいな。

正直、とても優しい、ご尤もな言葉だと思う。確かに、定額配信サービスが一般的になりつつある昨今ではCDが売れないバンドなんてたくさんいるだろう。シーンではそれなりに有名でも、CDの売り上げはイマイチ、みたいなバンドなんて掃いて捨てる程いるだろうと思う。捨てないけど。
だから、少しでも好きなバンドの経済に協力しないと!と言うファンの切なる気持ちはとても理解出来るし、心底優しい言葉だな、と僕は思う。
正直僕なんか、好きなバンドが特典お渡し会や握手会を開催する、と聞いたって「わーいメンバーに直接会って日頃の感謝を伝えられる!」ぐらいにしか思ってなかった。なんて自己中心的な感動なんだ、己の浅はかさに悲しくなっちゃう。

でも、その反面「音源が売れないからイベントが開催されるんだ、CDたくさん買って参加しなきゃ」と言うファン心理には、ほんのりとした“哀れみ”の匂いをどうしても感じてしまう。

ロックバンドが新譜をリリースした時によく行うイベントとして、特典お渡し会や握手会に並んで挙げられるのに「インストアライブ」がある。多分開催意図としては特典お渡し会や握手会とほとんど変わらないんじゃないかと思うが、こちらに関しては「音源が売れないからイベントが開催されるんだ、CDたくさん買って参加しなきゃ」的な意見は何故かほとんど見かけない気がする(※当社調べ)。

よく考えたら、ファンへの求心力としてはインストアライブも特典お渡し会も大差ないんじゃないかと思う。メンバーの意思やレーベルの偉いひとの意向、あとバンドのテイスト(雰囲気)やなんかによって変わるだけで、結局全部「CDを売るための特典」である事に変わりはないのだ。なのに、何故ファンの間のリアクションは違うんだろう?

結局のところ、握手会や特典お渡し会は“アイドル的”なるイベントとみなされるものなのだろう。ロックバンドの本質である音楽で勝負をしない、あくまでおまけである。

一方、インストアライブはあくまで“ライブ”である。ロックバンドの本質である音楽を披露する場であるから、そこに哀れみが向けられる可能性は少ない。

確かに、CDを売るために忙しい中頑張る若手バンドの負担を思うと、むやみやたらな“アイドル的”なるファンサイベントの開催は手放しには喜べない気持ちも正直わかる。
でも、じゃあそのバンドが、CDが申し分ない程売れるようなレベルにまで売れたなら、“ファンサ”は要らないんだろうか?


■ロック=独りよがりの音楽

中田裕二氏は椿屋四重奏のボーカル時代、ブログに「俺は器用に誰彼の要望にこたえられない、押し付ける事しか出来ない、だからロックと言う表現方法を選んだ」と言ったような事を書いていた。なにもロックに限った事じゃない、いわゆる芸術、表現と言うものは、どうしても一方的な、受け手に押し付けがちなかたちになってしまいやすいものだ。

表現者、アーティストと呼ばれるようなひと達は、そりゃもう孤独だ。どんなに大勢のファンが、オーディエンスが舞台の向こうに待っていたとしても、その姿は舞台の向こうにいるその他大勢の観客としてしか見えない。彼等は「みんなの顔、思ってる以上に良く見えてるんですよ!」なんて優しく笑いかけてくれるが、当然ながらそこには一定の距離が必ず発生する。売れれば売れる程、その距離は遠くなるものだ。

そうなると、ファンから見た表現者の姿も当然ながらどんどん遠くなり、ファンもまた”押し付けがち”になってしまうことが少なくない。たとえ実物をライブハウスの舞台の上に観ようとも、結局僕達に見えているのは自分の中にいる“推し”の虚像であり、偶像であり、時に神格化も厭わないし実在感なんてもんはどんどん薄くなる。皆さんもないだろうか、三次元の“推し”がまるで二次元の、アニメキャラや物語の登場人物のように思えてしまうこと。
だからこそライブに行ったり、Twitterで返信が来たりすると「○○さん、実在してたんだ……!」なんて感動出来るわけだが、反面、ちょっとでも失望してしまうような出来事が起こると、あろう事か本人に向かって軽率に「ライブ行けない」「ファンやめます」なんてメッセージ送っちゃう不届き者も現れてしまったりする。

完全に僕個人の意見だが、特典お渡し会や握手会や、Twitterでの自撮り画像やハロウィンの全力仮装のような“ファンサ”はあった方がいい。それは決して無駄なものなんかではなく、ロックバンドが「自分と地続きの存在である」と再認識するきっかけになるからだ。


■楽しそうな姿が何よりのファンサービスです

ハロウィン仮装の話に戻ろう。

LACCO TOWERはファンをすごく大事にするバンドだ。毎年地元群馬で主催フェスを開催し、リクエストライブも毎年演っている。“知る人ぞ知る”と言う印象が強い知名度の割にライブや主催フェスの動員が多いのは、それだけ「熱のあるファン」を育てる土壌があるからだ。群馬の豊かな土壌が育んだ、“記録よりも記憶に残る”タイプの愛されるバンドなのだろうと思う。

多分、件のハロウィン全力仮装もそのサービス精神の現れなのだろう。楽曲制作と同様に、確実に需要があるから毎年あれだけのクオリティのものを頑張って提供してくれるのだ。

一方で、あのクオリティの高さは、需要にこたえるためもあるかもしれないが寧ろロックバンドらしい「独りよがり」なこだわりの表れなのかもしれないな、とも思う。いつも全力で音楽に打ち込む彼等なのだから、たとえコスプレ写真であっても“作品”としての完成度にこだわるのは当然なのかもしれない。

でもここで重要なのは、「ハロウィンに仮装をする」と言う行為そのものだ。

ハロウィンの仮装と、それに伴うメンバー同士の絡みに滲み出す、“推し”の人間味。ライブ中の絡みなんかよりももっと私的な、友達同士、仕事仲間同士の日常が垣間見えるその瞬間。それを見ると、ファンはとても安心するし興奮もするのだ。変な意味じゃないよ、「このひとたちも同じ空の下生きているんだ!」と言う、至極ピュアで切実な興奮だ。

特典お渡し会や握手会だって同じだ。“神格化”しかけた大好きなあのひとを実際に目の前にして、直接言葉を交わし、相手が「生きている」実感を得る、と言う点では非常に意味があるイベントなんじゃないかと僕は考える。

その圧倒的な歌声と真っ白ふわふわなルックスから“天使”と渾名されるGOOD ON THE REELの千野隆尋氏も、『REM』で「刻んだ像をつくっちゃならない」と歌っている。彼もまた天使ではなくひとであり、偶像崇拝の対象ではない。

だから、僕にはライブMCのくそつまんねえ内輪ノリも、ハロウィンに全力で仮装する姿も、全て愛おしい。何より彼等本人が楽しそうに、僕達観客の前で“人間らしく”生きている姿を隠さず見せてくれるのが、一番のファンサービスだと思っている。

だから、ロックバンドを取り巻く大きいオトナの皆さん、たとえ彼等が今後ベテランの大物になったとしても、SNSはある程度自由を許してあげてほしいしファンサイベント的なものも可能な限りで続けてほしいな、と思います。
でも、本人達がその時間を楽しめないぐらい強行スケジュールでのイベント開催ははくれぐれもやめてあげてくださいね。全国ツアーの合間に握手会とか、マジで鬼だから。

イガラシ


《参考文献》
・『群青』椿屋四重奏(2011年4月12日刊・音楽と人社)
・REM/GOOD ON THE REEL 歌詞(J-Lyric.netより)
http://j-lyric.net/artist/a05a115/l038a82.html
・LACCO TOWER公式Twitter
@LACCO_TOWER

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イガラシ/五十嵐文章
かねてより構想しておりました本やZINEの制作、そして日々のおやつ代などに活かしたいと思います。ライターとしてのお仕事の依頼などもTwitterのDMより頂けますと、光の魔法であなたを照らします。 →https://twitter.com/igaigausagi

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