「歌が上手い」って、何ですか?〜突然のバズツイと嵐、Plastic Tree、King Gnu、KEYTALKとか〜
■突然ツイートが史上最高にバズった
最近、人生で初めて猛烈な“バズ”というやつを味わった。
今月日テレ系で放映された、かの有名なホウソウジカン・チョウナガイ音楽番組『MUSIC DAY』の中で、泣く子も黙るアイドルグループNEWSの王子様担当・手越祐也さんがこれまた泣く子も黙る超有名ロックバンドXJAPANの名曲『紅』をカバーしているのを観た際のツイートが、異常な数のふぁぼりつ(はて、今は「らぶりつ」と言うのだったか)を集めたのである。
これがそのツイートだ。
どうやら手越くんによる件のカバーが一部で酷評だったと言う話をちらっと目にしたので、僕なりの雑感を書き綴っただけのツイートだ。もちろん全文に関して僕の主観的な感想でしかなく、ひとによってそれぞれ異論はあるだろうけれど、元々美声に定評があった手越くんがアイドルだてらにロックンロールする姿が僕の目や耳には普通に魅力的に映ったのだった。
そう、それだけだ。僕はたまたま目にしたアイドルの雄姿を「カッコいいなあ」とつぶやいただけ。それだけなのに異常にバズったので正直こちとらびっくりだ。普段絶対に縁がないようなジャニオタさんのフォロワーも増えた。
(※イガラシはいにしえの嵐担なので音楽ライターとして時々嵐関連のコラムやレビューなども執筆するが、その他のジャニーズグループに関しては楽曲を聴く程度しか造詣がないので嵐担の方以外にフォローされることはまずないのである。)
確かにジャニオタさんは母数も多く、客観的に見ていると“自担”が褒められたツイートをRTしたりいいねしたりするのが好きな「認められると嬉しい」性質を持っているひとが元々多い界隈のようには思えるが、それにしても不思議なぐらいにバズった。新しいフォロワーの皆さん、勘違いさせちゃってごめんなさいね。ここはマッシュベースヘアのバンドボーカルをミューズと崇めるサブカルクソ変態野郎のアカウントです。
でも多分これって、それだけ彼女たちが「手越くんの『紅』カバーを批判されたこと」に傷ついたからだと思う。何故なら、好きなひとの頑張りが、自分が美しいと思った対象が、世の中に認められなくて黙っていられるオタクはいないだろうから。たとえそれが自分の主観でしかなく、好き嫌いというものが存在してしまうのは仕方ない、と頭ではわかっていても、だ。
ところで、である。
結局、何故手越くんの『紅』カバーは一部で酷評されたんだろうか?
■たとえ井口理が藝大卒じゃなくても
ここに当該パフォーマンスの動画などを貼って読者諸君諸氏に聴いてほしいぐらい僕の耳には最高にロックンロールに聴こえた手越くんの『紅』カバーだけれど、たとえ某Tubeやニコニコ某画などにその動画がアップロードされていたとしてもここに貼ってしまうのは普通にやばいので(そもそもその動画が平然と違法なルートで世に放たれている時点でちょっとやばい)、思春期真っ只中の十四歳から邦楽・日本語ロックの潮流に産湯を浸かり育まれた僕のロックンロール・ウィドウな耳を通した、分析と言うのもおこがましいぐらいの雑感を綴らせて頂こうと思う。
“王子”の名に恥じぬスイートで艶やかなハイトーンが魅力の手越くん。NEWSだと仲良しのまっすー(増田貴久氏)に並ぶ歌唱力の持ち主だけれど、あの日のボーカルは確かにロングトーンやハイトーンがNEWSの音源よりも若干割れているような印象ではあった。ブレスも荒く、やや感情的すぎるきらいがあるようには聴こえる。いわゆる、“エモ”すぎる。
でも正直この荒々しさ、エモエモしさはロックボーカルとしてはよくある歌い方の範疇だ。寧ろこちらの世界では美徳とされても良いぐらいのボーカルスタイル。議題が逸れるので誰とは敢えて名前は挙げないが、数あるNEWSと同世代のロックバンドのボーカルと並べたとて、充分歌が上手い部類に入るだろう。
しかも目を見張るのが、原キーで感情込めまくりで歌い切った、という点。あのToshIさんの原キーだよ!?90年代伝説のバンドボーカルの中でも最強と言って差し支えない声域をお持ちの、あのToshIさんと同じキーで歌い切ったんだから、それだけでも100点あげたって良い。
べた褒め大絶賛すぎて邦ロックオタクとしては悔しいぐらいなんだが、何より手越くんのボーカルはピッチが正確だし地声が魅力的なのが強い。少なくとも僕の耳には、そんなに酷評する理由が見つからないんだけどな。
じゃあさ、結局歌の上手さってなんなんだろうね?ブラザー。
急に話は変わるけれど、僕はKing Gnuのキーボードボーカル・井口理くんが大好きだ。
(至上の斜め四十五度。)
今飛ぶ鳥を落とす勢いのKing Gnuの中でもアイコン的存在で、そのもっちゃりした長身とTwitterやラジオ番組での暴走具合から弄られキャラの飛び道具のような印象を持つ音楽ファンも少なくないだろうが、ご存知の通り、彼は藝大声楽科卒の音楽エリートだ。日本でも有数の音楽家を輩出しているかの有名な東京藝術大学で鍛えられた百戦錬磨の猛者たるその歌声は、当然だろうがピッチも安定しているしどんな曲調でも呼吸をするように歌いこなしているような印象がある。
彼の幼馴染みであり相棒でもあるギタボでメインコンポーザーの常田大希と並び、彼はその経歴で評価される事も少なくない。経歴を鑑みないとしても、「歌が上手い」という点が真っ先に評価される事が多いように思える。(現に、相棒である常田大希も色々なインタビューで「理は普通に歌うとアニソンみたいになっちゃう」などといった発言を残している。いわゆるツンデレなところのある彼らしい言い回しだ)
だけれど、少なくとも僕は“歌唱力が高い”から彼の歌に惚れたわけでは断じてないのだ。
まだKing Gnuのライブは一度しか拝見出来ていないのだが、ライブでの井口理はいわゆる“歌唱力”だけではなく、持ち前の音楽的センスと地声の良さを最大限に活かしたパフォーマンスに徹している。感情や演奏のグルーヴに合わせたアドリブや叩きつけるような荒っぽいフェイク、ファルセットが裏返ったり低音が割れたり、ロングトーンが伸びきらなかったり逆に肺活量有り余っちゃって伸びすぎちゃったり。
それでも、いやそれこそが彼の歌が最高にカッコよく、美しく、セクシーに聴こえる時なのだと僕は思っている。彼は自身の地声の魅力を熟知していて、それをどうすれば魅力的に聴かせられるか、というテクニックや歌い癖を体得しているのだ。それはきっと学校で習う技術だけではないだろうし、「歌声を魅力的に聴かせる」事と「上手く歌う」事は必ずしもイコールではない。
エリートの井口理が仮に「上手く歌う」事しか学んでこなければ、それこそ「アニソン」みたいになっちゃって、ロックバンドのボーカルとはちょっと違うスタイルだったのかもしれない。(勿論だが、いわゆるアニソンボーカルを否定するつもりは一切ない。寧ろそれはそれで好きではあるが、今の井口くんのロックバンドのボーカルとしての魅力はなかっただろう、と言う話である)
僕は井口理の天性の声の美しさが何よりも好きだし、井口理が自助努力で身に着けた“ロックバンドのボーカルとしての歌唱スタイル”を愛している。
たとえ彼が藝大声楽科卒のエリートでなくても、愛していたに違いない。
話はまた変わるけれど、僕がKing Gnuの他にも敬愛してやまないバンドボーカルにPlastic Treeの有村竜太朗氏がいる。
(アンニュイな美女ではない。)
結成二十年以上を誇るベテランロックバンドの部類に入るPlastic Treeで結成当時から作詞・作曲・ギターボーカルを務めるカリスマの彼だが、多分客観的に見れば決して歌唱力が高いタイプのボーカルとは言えないんじゃないかと思う。あくまで一般論ではあるが。
Plastic Treeはヴィジュアル系バンドでありながら音楽的ルーツにマイブラなどの“シューゲイザー”が存在するちょっと変わったバンドだ。シューゲイザーの説明はちょっとここで始めたら議題が脱線しまくって青函トンネルを抜けたらそこは沖縄でしたみたいになっちゃう可能性があるので割愛するが、シューゲイザーと言う音楽の特徴のひとつとして、「囁くようなふんわりとしたボーカルスタイル」が挙げられる。いわゆるウィスパーボイスだ。好きなひとにはたまらないやつだが、発音ははっきりしないし何歌ってんのかわかんねえ!!!!!!とお思いの方も少なくないだろう。わかるわかるよきみのきもち。
有村さんも実際そんなシューゲイザーボーカルスタイルを貫くひとなので、耳慣れない限りは「歌が上手いなあ」と思われるようなタイプのボーカルではないのは確かだ。
だけど、それこそ武道館ライブを四回もやれちゃったりパシフィコ横浜満席に出来たり生演奏の管弦楽団をバックにライブ出来ちゃうぐらいの人気をコンスタントに二十年以上も保ち続けられるということは、その花が開くような華やかさと天性の淋しさを湛えた儚さを兼ね備えた有村さんのボーカルが世間でそれなりに評価され続けているという証明にもなるだろう。
因みに「歌が上手くはないけれどバンド映えするボーカル」と言うのも一定数は存在していて、その類のバンドボーカルはシンプルなアコギ一本やピアノだけとかの楽曲になるとちょっと物足りなくなってしまう場合が多いのだけれど、有村さんの場合はアコギ一本の弾き語りでも表現力の高さと齢四十ウン歳を迎えても衰える気配のない透明感を充分見せつけてこられる方なので、決してその類のボーカルでもないらしい。多分、一般的な「歌が上手い/上手くない」の世界で戦っているタイプの歌い手ではないのだ、彼は。
結局「歌の上手さ」なんてもんの基準は酷く曖昧で、聴く者の耳によって大きくグラグラ揺れてしまう儚い天秤でしかないのかもしれない。リスナーからしてみたらEXILEのATSUSHI氏もクリープハイプの尾崎世界観氏も同列に尊い歌い手でしかなく、誰にも彼等を悪く言う権利はないし、だからと言ってどちらを好きになり、どちらをあまり好きじゃないな、と思うのも自由なのだと思う。
■「嫌い」に情熱を燃やしがちなひと達
世の中には、嫌いなヤツを「嫌い」と言う事そのものに情熱を燃やしがちなひとが一定数いる。正直その心理は何も理解出来ないが、悪いインターネットにうっかり目を通してしまうと、どうしてもその“一定数”が目に飛び込んでくるものだ。
僕自身もそういう“一定数”の心無い書き込みで悲しんだ経験がある。数年前に放送された、日本を代表するホウソウジカン・チョウナガイ音楽番組のひとつ『FNS歌謡祭』で敬愛してやまない嵐がパフォーマンスした際、メインボーカルである大野智氏のマイクが不具合で音を拾わない状態になってしまい、ハモリが上手く聞こえなくなってしまった時だ。
主旋律を歌うはずだった、ジャニーズでも有数の歌唱力を誇る大野さんのボーカルが入らなくなってしまったことで、五人のハーモニーは調和が乱されなんだか得も言われぬ残念な感じになってしまったのだった。それでも彼等は全力でパフォーマンスを終え、僕はテレビの前でいつになく手に汗を握り、Twitterには「嵐、歌下手じゃない?」「やっぱり嵐大した事ねえな」といったような残念な書き込みが散見された。
他にも、KEYTALKのオタクになったばかりの時期に、初めて拝見するライブを来月に控えたタイミングでうっかり某掲示板を覗いてしまい、「ツインボーカルはライブで聴くと歌が下手、音源では相当“いじってる”」といった書き込みを見つけて憤慨&モヤモヤしたり、といった経験もある。
でも実際には、この事件によって嵐には「あれだけ激しく踊って歌っているのに音楽番組で口パクを使わないガチンコアイドル」という良いイメージも広まったようだし、KEYTALKは実際にライブで聴いたら「いじってる」どころかボーカルふたりともとんでもなく歌が上手くてちびりそうになったぐらいだった(汚い)。
寧ろKEYTALKのツインボーカルの歌声は音源よりもライブの方がよほどエモいし、吐息の使い方やロングトーン、ファルセットなんかもとんでもなくセクシーで、あの書き込みしたヤツ何処に耳つけてんだろうと発言の意図を疑ったぐらいだった。耳栓の代わりにワインのコルクでも耳に詰めてたんじゃないかな?
ひとつだけ言えるのは、わざわざ貴重な体力と時間を削って「嫌い」を放出するひと達は、毎日の仕事だか家族だか勉強だかなんだかよく知らんが何かに対して疲れていて、簡単に摂取出来る快楽を求めているんじゃなかろうかという事だ。
多分誰しもが経験だけはあるかと思うけれど、サンドバッグを叩いたり、壊れた時計やシャープペンを解体したり、プチプチを潰したり、シューティングゲームでゾンビを殺しまくったりしている時って、めちゃめちゃ気持ちが良い。なにかを攻撃していると脳内で麻薬物質が出てきて、インスタントに快感を得る事が出来る。
「嫌い」に脳細胞を使いがちなひとって、多分叩く対象を人間と認識していないんだと思う。僕達の“推し”以上に名の知れた芸能人や有名人はもっともっと日常的に叩かれていて、それは有名人には“実体”感がないからだ。「嫌い」に脳細胞を使いがちなひと達にとって、シューティングゲームのゾンビも、モブおじさんにひどい目に遭わされるエロ漫画の女の子達も、日々バッシングに耐えている有名人も、みんな等しく感情を持った生き物ではないのかもしれない。
■インターネットの片隅で愛を叫べ
ゲームではゾンビに負けてゲームオーバーになる場合もある。サンドバッグを叩けばグローブをつけていても自分の拳も痛くなる。でも、インターネットの片隅で「嫌い」を誰かにぶつける事はローリスクのストレス発散法だ。どんなに口汚く罵ろうと、やべえと思ったらアカウント消すなりトンズラこけばいい。それがそのひとの精神衛生を保つための唯一の手段だった場合、それを止める権利は僕達には正直ない。何故なら、「好き」という気持ち、愛が人間の中に存在する限り、「嫌い」という気持ちも当然存在し続けるからだ。
インターネットの片隅で愛を叫び続ける限り、うっかり「嫌い」を叫んでしまう可能性だってある。自分の「嫌い」な対象が、誰かの「好き」かもしれないにも関わらず。ロックバンドを愛する僕にだって、正直嫌いなバンドもいるんだから。言わないけど。
そう、言わなければいいのだ。「嫌い」を取り立てて言わなければ、誰ひとりとして傷つける事もない。それでも言ってしまうひとが後を絶たないのは、やっぱりそれが“快楽”だからなんだろうな。ここまで長々と書き連ねてきたけれど、こればかりは、もうどうしようもない。文化の違いだと思って、その存在をあきらめるしかないんだ。
だからと言って、その「嫌い」に魂を燃やす人々、つまりはいわゆるアンチだ。それを見て見ぬふりするとか、逆にいちいち反論したり悲しんだりする必要はない。くだらねえシャドーボクシングに日々燃えている輩から、学び取ればいいのだ。
誰か/何かを「嫌い」と思っても言わない。
反論・攻撃・モヤモヤし続ける事は脳細胞の無駄。
誰かの「嫌い」をかき消す勢いで「好き」を発信する。
僕がアンチを反面教師として学んだのはこんなところだ。「絶対にこうはなるか」と、せいぜい反面教師にしてやればいいのだ。
大丈夫、あなたが推しに一日一回「好き」といえば、奴等の通る信号が全部赤に変わって三分は青にならない呪いがかかるはずだから。軽率にハッピー呪文で呪いをかけてやればいいのだ。人を呪わば穴二つとか知るかよ、そこに負の感情がなければ良し。
他人の心を変える事は残念ながら出来ないけれど、自分の気持ちならいくらでも革命出来る。自分自身の「好き」「素敵だと思う」という気持ちに嘘や疑いがなければ、僕なんかのツイートをRTする必要なんか、元々手越担の皆さんにはなかったはず。言いたいヤツには言わせておけばいいんだから。
それでも、僕の何気ないツイートが少しでも多くのひとの慰めになったなら本望だ。ところでだけど、ツイートがバズっても人生って変わらないんですね。僕、実は音楽ライターで自称小説家なんですよ。お仕事ください。
イガラシ