【3/18】Dannie May初自主企画『Welcone Home!』感想――この光さえ見えていればどこに行ったって帰れると思った【@渋谷o-nest】
「ライブハウスでしか呼吸が出来ない、ここが俺のホーム」なんて言う人種のひと達からしてみたら甘ちゃんなのかもしれないが、筆者にとっては何処までも、ライブハウスは非日常だ。非日常だからこそ、時々、定期的に帰りたい場所でもある。
この日筆者が約1年ぶりに帰ったのは初めて行ったライブハウスで、1年前では考えられない程の大観衆を前に威風堂々振る舞う3人の前だった。
螺旋の外階段をおっかなびっくり降りた場所にあるフロアには、既に前列2列を埋めつくした観客。シモテの2列目に陣取った筆者の背後にはみるみるひとの気配が増えていき、このご時世では少し心配になってしまう程だった。影アナに流れるメンバーのお喋りに癒されながら待機していると、少しだけ見上げる高さのステージの上が暗くなり、ショーが始まる。
■一部:YONA YONA WEEKENDERS
この日はDannie Mayにとって初めての自主企画。拍手に迎えられ、まず最初に姿を現したのはゲストのYONA YONA WEEKENDERSだ。これを読んでくれている音楽好きの方なら、ご存じだというひとも少なくないだろう。筆者もこの時ライブでは初めて拝見したのだが、曲はよく耳にしていたしかなりの実力派といったイメージだった。対バンが決定した時にはかなり驚いた事を覚えている。
実際に観た彼等の印象は「実力派」という薄っぺらい常套句を軽々と超え、彼等が掲げる「ツマミいらずのグッドミュージック」というキャッチフレーズの意味を正に見せつけられた気持ちだった。これこそが“グッドミュージック”ってやつだ、という感じ。
とにかくボーカルの磯野くんの歌がいい。元々パンクバンドだったという意外な経歴も知ったうえで観に行ったのだが、演奏の安定感と言い、ジャンルを超えていける懐の深さが身を任せているだけでよくわかる。
そう、彼等の音楽は「身を任せていたくなる」音楽だった。いわゆるシティポップのジャンルで“グッドミュージック”なんて言葉を提示するとどうしてもお洒落で耳触りの良い音楽、みたいなイメージになるかもしれないが、「耳触りの良さ」なんてもんじゃなく、喩えるならば、温泉のような、ずっと浸かっていたくなるような音楽だった。 矛盾するかもしれないが、“北風”と“太陽”なら北風の方。厳しいシャカイの荒波の中、肩肘張って火照った身体に心地好い風が吹き抜けていく歌やメロディ。
サポメンの方含めメンバー全員佇まいに華があり観ていて楽しいことこの上ないのだが、特に気になったのがギターのキイチの元気の良さだ。金髪のウルフマッシュを靡かせながらぴょんぴょん跳ね、軽快なギターラインを奏でていたかと思いきやロックンロールバンドのライブに来てしまったのかと錯覚する程パワフルに動き回る。磯野くんの貫禄ある佇まいとの対比が楽しくて、声は出せないまでもつられて自然と身体が動いてしまう。
夕陽色の照明が似合うのはDannie Mayと同じ。あたたかな人肌を感じる音楽をやるバンドの最大の特徴だと僕は思っているし、多分機会があれば、また彼等のライブを観に行くだろうと確信を持った。そんな気持ちになれる機会を与えてくれたDannie Mayにも感謝が止まらない。
因みに不思議なバンド名の由来が密かにずっと気になっていたのだが、中盤、MCで磯野くんが「自分普段サラリーマンやってて、今日も仕事帰りなんですけど」と話し出した瞬間に、一瞬で理解した。
■二部:Dannie May
後半はいよいよこの日の主役、Dannie May。今月で結成2周年、音源が全国流通になったり、活動の幅が広がってきた昨年初頭のタイミングでよりにもよってコロナ禍に見舞われてしまった彼等。巷のインディーズバンドよりも舞台経験がだいぶ限られてしまったはずなのだが、筆者は1曲目の『針よ墜とせぬ、暮夜の息』で早々に度肝を抜かれた。失礼を承知で正直に言う。こんなに貫禄、あったっけ!?
前回彼等を目にした1年と少し前は、とある小さなライブハウスでの投げ銭イベントだった。観客はほぼ彼等の友人や筆者より前から彼等を観ている常連のファンぐらいしかいない空間で、そこでの彼等は文字通り“Home”といった趣きで、大胆に舞台の上を動き回り、縦横無尽に場を盛り上げていた。正直その時はまだ、環境的にリラックスしてパフォーマンス出来そうだしなあ……とナメた感想を少し抱いていたのは否めない。そしてこの時筆者は、その実にナメた感想を心底反省する事になる。
まだまだ小規模なハコとはいえ、前回とは比べ物にならない大観衆だ。舞台の上に横並び1列に並んだ彼等は、前回と遜色ない、寧ろ前回以上に堂々とした振る舞いで観客の一挙手一投足をどんどんとハックしていった。
前回ライブを拝見した時は、ギタボでリーダーのマサのアジテーターっぷりに感激したものだった。彼は観客との距離の詰め方がとても上手で、彼を観ているだけで“Dannie Mayのライブ”の楽しみ方がわかるような存在になりうるな、と感じていたのだが、この日は既に三者三様、メンバー3人全員のパフォーマンススタイルが確立されつつあり、3人ともが立派なアジテーターであると言っても過言ではなかった。Dannie Mayはメンバー3人全員がフロントマンのバンドだったのだ。
カミテでどっしりと構えたサングラスがトレードマークのDJ・Yunoは一見するとバンドの土台を担う(サウンド的な面でもそうだし、実際に楽曲制作の理念的な側面でもそうなのだが、詳細を書くと長くなるのでここでは割愛する)落ち着きある雰囲気を感じられるが、彼を観ているととにかく踊り狂いたくなってくる。長身のスタイルを活かしたダイナミックな一挙一動は扇情的に動く指の先まで美学が貫かれているようで、繊細でキーの高いコーラスから流れるようにドスの効いた煽りフレーズが発せられるのがたまらない。
途中、YONA YONA WEEKENDERSの代表曲『誰もいないsea』を楽曲にマッシュアップしたりといった“ホスト役”らしいサービス精神も見せたりと、初見のお客さんの心もグッと掴みながら進行するパフォーマンス。リリースしてそれ程ライブで披露もされていないはずだが最早キラーチューンになりつつある『この曲が人生最後の僕の代表曲だったら』では、明るく快活なイメージのマサの黒い部分が出ているわけだが――それは歌詞の内容に則した部分でも、歌唱法における印象でも感じられるのだが――しかし、生で聴いてみて改めて、この曲や『暴食』などの曲で提示される彼の“黒い”側面は決して薄っぺらな「二面性」なんて言い回しでは表現出来ないものである事を意識するに至った。そもそもが「後ろ向きなようで前向きな曲(YouTubeにアップされているMVキャプション参照)」として世に放たれた楽曲であるわけだし、どんなタイプの楽曲だろうが、結局は彼の一本気な信念が現れているだけなのだろう。意味深なタイトル通り現状の彼等の代表曲になりうるし、だからこそ決して「最後の代表曲」になんてしちゃいけない曲だ。
メロの半ばの緩急を担うボーカル/キーボード・タリラの、ぐっと深い色気を増した歌声がとても印象的だ。赤黒い照明に包まれた不敵な佇まいが完全に板についているようで、頼もしく、また畏怖の念すら湧いてくる。
今回初めてサポートドラムの方が入ったパフォーマンスを拝見したのだが、それもまた良かった。彼等の奏でるメロディに気持ち良いぐらいフィットして、彼がずっとDannie Mayのサポートドラムを担当している理由がよくわかる。すっかりライブアンセムになった『ユートピア』のスキップするようなリズムが心地好く、観客はどんどんステージの上に吸い寄せられるように手を挙げる。「過去イチユートピアだね!!!」と煌めくような笑顔を見せるマサが少年のようで眩しい。
白眉だったのが、中盤で披露された『バブ28』の冒頭。音源では木琴やおもちゃのピアノを思わせる可愛らしいシンセサイザーのイントロが入っているのだが、この日はサビ始まりのアレンジに変更されていた。ほぼ楽器の音はなく、アカペラのような状態で歌う3人。三者三様の歌声が絶妙なバランスで重なり合い、まるでひとりの人間の声のように入り混じっていく。歌声が美しいのは当然だが、それだけでなく、表情がとにかく良かった。噛み締めるように感情を露わにするYuno、徐に眼鏡を外して目を閉じるマサ、そして、黄金色に照明の光を反射する長めの髪を風に揺蕩わせながら睫毛を伏せ、柔らかく白鍵に触れるタリラ。
あたたかな色味の、同じ光に包まれながら同じ方向を見て歌う3人の姿は聖歌隊のように神々しく、それでいて愛おしさすら感じさせる。歌の上手さというのは歌唱技術だけがものを言うわけではないのだと、彼等を観ているとつくづくと思い知らされる。結成2周年を迎えたこの日。この瞬間に筆者は心の底から、この3人が出会ってくれて本当に良かったと思った。
「本音が言い難い世の中だけど、感情を伝えることは対話の始まりだから、ちゃんと伝えなくちゃいけない」
パフォーマンスの中頃に、徐に口を開いたのはタリラだ。以前「おれ鍵盤弾きながら喋れないの」と話していた、普段は飄々とした印象の強い彼が、いつになく真剣な表情で話す。
「今日はYONA YONAとおれたちがみんなに伝える番だけど、明日からはみんながそれぞれ、想いを伝えたいひとに伝えていってください」「『おれら対みんな』じゃないから。おれは、『おれら対ひとりひとり』に、タイマンで伝えるつもりでいるから」
時折長い腕を使って身振り手振りを交えながら、一生懸命に伝えようとする彼の言葉は信じられない程熱く、言葉以上の想いが感じられた。彼のその言葉と、銀河を宿したような真っ直ぐな目が、1週間以上経った今でも忘れられない。
それから続けて披露されたのは、4月にリリースされる新曲『メロディが浮かばなくても』。上手いメロディなんて浮かばなくても想いを伝える事に意味があると、ある意味ケ・セラ・セラの趣きを感じる歌詞のポップな曲調には、タリラの明朗で、どことなく達観したような部分がよく現れているように思えた。
終盤で、マサが「みんなは音楽に救われた経験がありますかって、聞きたいの」と、上京前の想い出話を始めた。彼はソロシンガーとして地元の広島で活動していた頃、かの有名な竹原ピストル御大の前座で演奏した経験があるらしい。夢を抱き、上京を控えた彼に御大は、『東京一年生』という曲を歌ってくれたのだという。その歌を聴いた彼はいたく感動し、今でもその時の気持ちが忘れられないのだと。
「俺達もそういう存在になりたい。なれると信じてる、なぜならいい曲が沢山生まれとるからね!」
最後に披露されたのは、マサが「バンドを何度も救ってくれた」と言う、タリラ作詞曲による『御蘇-Gosu-』。
個人的な話になるが、筆者がその存在を知った頃の彼等は、もうちょっとだけ戯画的だった。得体が知れず、ミステリアスで、ドラマチック。その分、きっと魅力的であろうメンバー個々の人間臭さがわかりそうでわからない、という印象があった。そんな中で、初めてライブで耳にした時、「ああ、このひと達はきっといつか人間賛歌を歌えるバンドになるな」と思った曲が『御蘇-Gosu-』だった。
その日から1年余り。今の彼等はそれぞれの抱く感情や、哲学をありのままに見せてくれる。情熱を叩きつけるようなボーカル、想いの溢れた幸せそうな表情。そこには泥臭さを着飾りエモぶるでもなく、照れ隠しでお洒落ぶるでもない、それぞれがそれぞれの等身大の物語を描く覚悟を抱いた、3人の私小説家が佇んでいるように思えた。
盛り上がった観客は当然のようにアンコールを求める。しかしこの時はまだ緊急事態宣言下、20時以降の活動が制限されていたため演奏はもう出来ない。好青年のDannie Mayはわざわざ舞台の上に舞い戻ってきて、丁寧な挨拶で締めてくれた。「皆様の健康と平和を心より祈っております」と、貴族のような所作で優雅に会釈をするYuno。今日はもう歌えない事が心底残念そうなマサ、おどけて鉄腕アトムのようなポーズで無邪気に去っていくタリラ。
1年前、彼等を知った頃には、オリンピックだって何事もなく東京にやってくると思っていたし、ライブにだってもっと行けると思っていた。Dannie Mayは当時サマソニへの出演権を賭けたコンペティションに参加していて、筆者は、彼等ならきっとレッドマーキーに連れて行ってくれると信じて疑わなかった。あ、レッドマーキーはフジロックか。
きっとこの1年余りで、居場所を失ったひとが沢山いるだろう。失う、とまではいかずとも自分がいるべき場所を、見失ってしまったひとは少なくないはずだ。何を隠そう筆者もそうだし、多分彼等もそうだった。
それでも彼等は諦めずに、自分達の居場所を守り続けた。信頼出来る仲間達と一緒に、何よりも自分の人生を賭けて。彼等の守り続ける居場所は、きっと彼等だけじゃなく、居場所を見失い今でも何処かを彷徨っている、沢山の誰かを掬い上げるに違いない。
ライブハウスはやっぱりどうしたって非日常だが、あの夜筆者は確かに、普段よりも深く、心地好く呼吸が出来ていたと思う。彼等の立つ舞台を包んだ眩い光。もっともっと広い広い晴れ舞台へと繋がっているはずのあの光さえこの目に見えていれば、彷徨い疲れてたとえ地球の反対側まで流されてしまったとしても、きっと帰れるような気さえしていた。
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