『父が娘に語る経済の話』 経済は人間の営みの表出部分 vol.563
経済の話というと、どうしても難しいという思い込みが発生して、なかなか学ぶ気にもなれません。
今回は読書会のテーマ本であったために半強制的に読むことができました。
この本、『父が娘に語る経済の話』というタイトルですが、そのタイトルの間にはこんな言葉が添えられています。
『父が娘に語る(美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい)経済の話』
最初はどういうこっちゃといった具合でしたが、読み終えてみてなるほど。
経済はお金の話ではあるけれども、そのお金を作り上げたのは誰か。
人間の営みそのものに着眼点を当てている面白い本でした。
時代の変わり目こそ、経済の生まれの時
この本を読んで「なるほど」と最初に感じたのは、余剰の話。
余剰を管理するために言葉や文字が生まれた。
そしてそこから物々交換による対価交換という考えが生まれ、銀行のような貸付システムが生まれていった。
つまり、何かしらの変化の時にこそ経済が動きそこに皆が一喜一憂するという流れは、狩猟時代の遠い昔から行われてきた所作だったということ。
我々人間にそもそも備わっている能力というか、癖だったのかもしれません。
しかしこれは、経済に関わらずのような気がします。
当然、お金や物に対しての価値観もこのタイミングで変化し確立してきたかもしれませんが、それ以外の価値観も同様に変化してきているはずでしょう。
そういった変化の部分に改めて考えさせるきっかけを与えてくれているのかもしれません。
結局は人
そして難しく数字の中の話で解決しようとする経済も結局のところは人が作り上げてきた幻想であることが分かります。
経済の始まり、余剰を作ってしまったのも結局のところ、明日の狩猟を楽したいとか、これを使って何か別のものをもらいたいとか、そういった欲が出てきてしまったからこそ。
これは人間としての営みであれば当然なのでしょうが、そういったプラスαの感情のせいで問題が起きてしまっているのもまた事実。
朝起きて、その日の分の食糧を手に入れて、そしてまた明日同じように過ごしていく。
この生活から豊かさを手に入れようとした結果、あらゆる地域で凸凹が生まれてしまった。
そう考えると筆者が問題視していた、「世の中には裕福な人がいて、貧しい人がいる」といった問題も、何かしらの制度を変えれば良くなるというのは幻想で、個々の思想を変えない限りは無理なのだろうと思います。
経済と共に生き続ける
とはいっても、人間であるからこそこういった凸凹が生まれてしまうのはどうしようもないこと。
そして、この凸凹は自分の人生の中でも行われてきたことだと実感するのが、経済を知る一歩めなのかもしれません。
幼少期はただ与えられるだけのお金、そこで運用の仕方を肌感覚で学び、高校大学と進学して自分で稼ぐということを知り、使い方の幅が広がる。
大人になって経済力がついてくると、今度は生活という視点からお金と向き合う。
お金の上下はその時々で起こりますが、お金に対しての印象はどんどんと確立していきます。
そうして、そう確立したお金に対する意識の集合体が、私たちの社会のお金の動きなのでしょう。
「世の中には裕福な人がいて、貧しい人がいる」
それは周知の事実。
でも、私たちがこれを変えられる、もしくは全力で変えていこうとする。
これって、私たちがすべきことなのでしょうか。
改めて疑問が浮かび上がりました。