寄り添う〜決定権はどこにある?
昨日の続き、寄り添いのお話。
いろんなケースをみているけれど、「決定権」が曖昧になっていたり、子どもになっていたりすることが多いように思います。
決定権とは何か。最近、我が家でとても良い例があったのでご紹介しますね。
先日、下の子がチキンラーメン作ろうとして、ヤカンを触って火傷したんです。
皮膚科受診したら、針で水を抜きましょうってなったのね。そうしたら、簀巻きになって注射受けるレベルの注射嫌いのわが子が、
「絶対嫌だ!やらない!」って泣き叫んだんですよ。
そうしたら皮膚科の先生、
「あなたがどんなに泣き叫んでも、やります。やるかやらないかはあなたが決めることじゃないの。必要な治療は私が決めること。泣けばやるのやめようかって先生いるけど、私好きじゃないのよ。あれって違うと思うの。それに痛くないわよ。痛い時は痛いっていうから」
と言って、ブスーっと針刺したんですよね。結局全然痛くなくて「本当だ、痛くなかった」「でしょう!」って笑顔で終わったんです。
最高だなと思って。泣いたから可哀想ってやらないの、優しさじゃないと思うんですよね。だって本当に子どものこと考えてたら、泣き叫ばれようが嫌われようが、必要な治療はやった方がいいと思うから。治って元気になるのが、本人にとって幸せですよね。
…で。皮膚科の先生は、治療をするしないについて、「どの治療にするか、やるからないか私が決めます」って言って先生が決めていました。これが決定権です。
ところが子どもが「やらない」って言って治療しないのは、治療をするかどうかの決定権が子どもに渡ってしまうんです。
これを「決定権の誤学習」といいます。本当は先生が決めるべきことなのに、自分が決められると思ってしまうわけです。いろんなケースを見ていて、この決定権に、寄り添いと言いなりの境界線があるように私は思います。
世の中ぜーんぶ自分のいいように、するしないの決定権が自分にあるってことないですよね。学校もそう。楽しいことをしている時だってそうです。
決定権がいつも自分にあり、自分のしたいようにすることに、慣れていたらどうなるでしょうか……学校でも人間関係でもつまずくことが増えてしまいますよね。
これはぼくの仕事じゃない、私はやりたくない、で物事が全部解決できるのならいいんですけど、そうはいかないから、やっぱり練習が必要です。
なんか、うまくいかないなぁって思った時、決定権の誤学習が潜んでないか、観察してみてください。
遊んでいておうちに帰ろうって決めた時。
いやな病院に行かなくちゃいけない時。
など、たいてい何か行動の変化があってグズグズと言うときの行動が、決定権の誤学習につながっていることが多いです。