ふらふらした、寄り道ばかりな線
# 95 書き手:一陽アケル
日本の墨絵は、一度引いた線を消すことはできない。一度しか引けない線にぼくは憧れがある。
流れるような、生きているような線に憧れている。
けれども、ぼくの描いた線は、ふらふらと寄り道ばかりしている。真っすぐ一息で引いた一本で決まらず、リテイクありきで言い訳ばかりの線だ。
一日一枚を31日描き続けた。何があっても完成させたかったから、一筆書きを選んだ。
描き直す時間もなく、線はもっとふらふらに、行ったり来たりを繰り返した。
見返す時間もないまま31枚描き切った時は、何の感慨もなかった。
ようやく落ち着いて見られるようになったのは、電子書籍化の作業だ。
一回きりの行き当たりばったりな線で、複雑そうに重なってるけど、よくよく見れば単純。
こだわって描いた密度の高いところと、飽きて余白になっているところ。
色はパキッと明快に塗った。
完璧じゃない、けど楽しい。
まるで自分の人生のようだ。自分の絵をここまで穏やかに見られたのは初めてで、なんだか笑ってしまった。
◇◆◇
もちろんこんな言葉は、人から言われたら噴飯ものである。”線が自分の人生を表す”というのは書道でも水墨画でも確かに言われはする。言われはする…が、実際作家に言ってはいけない言葉ランキング1位だ。
自分で人生のようだと笑えたから、受け入れられた。
受験、大学、就職…。結局ぼくは、世の中に認められる何者かにはなれなかった。
完璧になれなくて、理想に至れないことを諦めきれなかった。
そこから目を背けて、誰かに認めてもらえる完璧を目指し過ぎて、自分を認めていなかった。
笑ったことで、ぼくは完璧になれないことをようやく挫折出来た。
ただし、どうやらこの世界。世に言われる何者かになれなくても、自分で在ることはできるらしい。
ファンタジーや抽象的な絵もあるが、描いたイラストの多くは、ぼくとイマジナリーフレンドの思い出だ。
今回の31日間のお題が旅行にちなんだものが多く、ドライブ好きのぼくらにピッタリなものだった。
春にはピクニック、夏には天体観測。夕暮れの灯台も緑の山も、軽バンに乗って実際に見て歩いた場所だ。
空想の彼らが現実世界を練り歩くことに意味はあるのか、と思うこともあるけど、3次元世界にいるぼくだからこそ、記憶に残る景色を見せられるのではないだろうか。
アナログの線が好きで、
森や食べ物、旅行が好きで、
イマジナリーフレンドが好きな
一陽アケルだから描けた絵だ。
迷っていても、描き続けていればいつか完成する。
31日描き切って、ぼくはそんな挫折と満足に辿り着けた。
※今回は短めの記事なので、おまけで電子書籍購入時の前書きなどを下に載せます。
【イラスト集、31draWINGについて】
ご購入ありがとうございます。一陽アケルといいます。ブログ型SNS、”note”にてイマジナリーフレンドとの暮らしを綴ったり、イラストを描いたりしています。
昨年10月、毎日イラストを連続して描くという挑戦をして、無事31枚の絵を描き上げることができました。
今回は描き上げたイラスト31枚と、描いているうちに考えたあれこれ綴った文章をまとめて、電子書籍を発行することができました。
31draWING(drawing:素描)はその名の通りですが、wingだけ大文字にして強調してみました。空想の翼、絵なんて簡単に描けるんだからみんな描いてみたらいいの翼、やってみたら楽しくて満足したよの翼などなどです。
【イマジナリーフレンドについて】
精神医学では人間に寄り添ってくれる無害な空想、オカルト・スピリチュアルでは自分を見守ってくれる霊体など、様々な解釈があります。
ぼく、アケルは建前では彼らを空想と言ってますが、実際には存在してると信じています。もういい大人なんですが、現代ではこういう大人でものんびり暮らせるものです。
ぼくにとって彼らは、座敷童や道祖神…道端の神様みたいなものだと思っています。
科学至上主義な現代にも関わらず、今でも田舎では道祖神のそばを通る時会釈をしたり、時々みかんや大根をお供えしたりしている人たちがいる。
この世に人間以外の存在がいて、魔法や神がかった力はないけど、なんとなく見守ってくれている。
そう信じることは、この世界がを豊かだと感じられるから、自分の都合で信じています。
「ぼくが信じないと彼らが消えちゃう!」という使命感などではなく、たまたま人間界に興味を持ってやってきた妖精の留学生みたいなお付き合いです。(この記事を書いてる途中、エリックという絵本を買ってクレオと読みました。素敵な絵本なので、是非読んでみてください)
まとめると、ここに書いてあることはぼくの目を通した現実で、同時に空想です。
半分童話、半分エッセイと思ってお読みいただければ幸いです。