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血の通った人が好き。


元明石市の市長、泉房穂さんの著書を読んだ。


率直な感想。

「血の通った人だなぁ」

と思った。



以前から、
「政治家の人って、血が通ってない感じがするな」と思っていた。


泉さんは、それを感じさせない、血の通った政治家のような気がした。



そこで浮かんだ疑問。

・なんで政治家って血が通っていない感じがするんだろう?

・血が通ってる人と通ってない人の違いってなんだろう?

・どうすれば血が通った人になれるのだろう?

ということ。



まず、僕が血が通っていないと感じた人を挙げる。

・政治家
・大学の学務の人
・役所の人

など。



次に、血が通っていると感じた人

・泉さん
・自分の親
・中学校の時の担任の先生

など。



整理して思ったことだが、もしかすると、「血が通っているか否か?」は、「組織を見ているか?個人を見ているか?」ではないかと思った。



政治家は、組織やお金の動きを見ていて、個人を見ていない。

学務の人は、大学の運営を見ていて、学生を見ていない。

役所の人も、役所の運営を見ていて、市民を見ていない。



一方で、


泉さんは、市民の方を見ていた。

自分の親は、自分を一個人と見てくれていた。

中学校の担任も、自分を一個人として見てくれていた。



人が、その人に対して、「血が通っている」と感じるか否かは、その人が自分を個人として見てくれているかで決まる。



逆に、血が通った人になるには、相手を一個人として見ることだ。



僕はやっぱり、血の通った人が好きだなと思う。



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