養生訓 巻第四 飲酒
一
酒は天の美禄なり。
少し飲めば陽氣を助け、血氣をやわらげ、食氣をめぐらし、愁を去り、興を發して、甚だ人に益あり。
多く飲めば、又、よく人を害する事、酒に過たる物なし。
水火の人をたすけて、又、よく人に災あるが如し。
邵尭夫の詩に、美酒飲教微醉後といえるは、酒を飲むの妙を得たりと、時珍いえり。
少し飲み、少し醉えるは、酒の禍なく、酒中の趣を得て楽多し。
人の病、酒によりて得るもの多し。
酒を多く飲んで、飯をすくなく食う人は、命短し。
かくの如く、多く飲めば、天の美禄を以て、却て身を滅ぼすなり。
悲しむべし。
二
酒を飲むには、各々人によりて、よき程の節あり。
少し飲めば益多く、多く飲めば損多し。
性謹厚なる人も、多飲を好めば、貪りて見苦しく、平生の心を失い、亂に及ぶ。
言行ともに狂せるが如し。
其の平生とは似ず、身を省み愼むべし。
若き時より早く省みて、自ら戒しめ、父兄もはやく子弟を戒しむべし。
久しくならえば性となる。
癖になりては一生改まりがたし。
生れつきて飲量すくなき人は、一、二盞飲めば、醉いて氣快く楽あり。
多く飲む人と其の楽同し。
多飲するは害多し。
白楽天が詩に、一飲一石の者。
徒に多を以て貴しと為す。
其の酩酊の時に及て。
我与亦異ること無し。
笑て謝す多飲の者。
酒銭徒に自ら費すといえるはうべなり。
三
凡そ、酒は、ただ朝夕の飯後に飲むべし。
昼と夜と空腹に飲むべからず。
皆害あり。
朝間空腹に飲むは、殊更、脾胃をやぶる。
四
凡そ、酒は、夏冬ともに、冷飲、熱飲に宣しからず。
温酒をのむべし。
熱飲は氣升る。
冷飲は痰をあつめ、胃をそこなう。
丹渓は、酒は冷飲に宣しといえり。
然れども多く飲む人、冷飲すれば脾胃を損す。
少し飲む人も、冷飲すれば、食氣を滞らしむ。
凡そ酒を飲むは、其の温氣をかりて、陽氣を助け、食滞をめぐらさんがためなり。
冷飲すれば二の益なし。
温酒の陽を助け、氣をめぐらすにしかず。
五
酒をあたため過して飪を失えると、或は、温めて時過ぎ冷えたると、二たび温めて味の変じたると、皆、脾胃を損なう。
飲むべからず。
六
酒を人にすすめるに、すぐれて多く飲む人も、よき程の節をすごせば、苦しむ。
若し其の人の酒量をしらずんば、すこししいて飲ましむべし。
其の人辭してのまずんば、其の人にまかせて、妄りにしいずして早くやむべし。
量にみたず、すくなくて無興なるは害なし。
すぎては必人に害あり。
客に美膳を饗しても、みだりに酒をしいて苦しましむるは情なし。
大に醉はしむべからず。
客は、主人しいずとも、つねよりは少し多く飲みて醉うべし。
主人は酒を妄にしいず。
客は、酒を辭せず。
よき程にのみ醉いて、よろこびを合せて楽しめるこそ、是れ宣しかるべけれ。
七
市にかう酒に、灰を入れたるは毒あり。
酸味あるも、飲むべからず。
酒久しくなりて味變じたるは毒あり、飲むべからず。
濁酒の濃きは脾胃に滞り、氣をふさぐ、飲むべからず。
醇酒の美なるを、朝夕飯後に少し飲んで、微酔すべし。
醴酒は、製法の精しきを熱飲すれば、胃を厚くす。
悪しきを冷飲すべからず。
八
五湖漫聞といえる書に、多く長寿の人の姓名と年数を載せて、
其人皆、老に至て衰ず、之問う、皆酒を飲まずといえり。
今、わが里の人を試みるに、すぐれて長命の人、十人に九人は、皆、酒を飲ぬ人なり。
酒を多く飲む人の長命なるはまれなり。
酒は半酔に飲めば長生の薬となる。
九
酒を飲むに、甘き物をいむ。
又、酒後、辛き物をいむ。
人の筋骨をゆるくす。
酒後、焼酒を飲むべからず。
或は、一時に合わせ飲めば、筋骨をゆるくし、煩悶す。
十
焼酒は大毒あり、多く飲むべからず。
火を付けてもえやすきを見て、大熱なる事を知るべし。
夏月は、伏陰内にあり、又、表ひらきて、酒毒肌に早くもれやすき故、少し飲みては害なし。
他月は飲むべからず。
焼酒にて造れる薬酒多く飲むべからず。
毒にあてらる。
薩摩のあわもり、肥前の火の酒、猶、辛熱甚だし。
異国より来る酒、飲むべからず、性しれず、いぶかし。
焼酒を飲む時も、飲んで後にも、熱物を食すべからず。
辛き物、焼味噌など食うべからず。
熱湯飲むべからず。
大寒の時も焼酒をあたため飲むべからず。
大に害あり。
京都の南蛮酒も焼酒にて作る。
焼酒の禁と同じ。
焼酒の毒にあたらば、菉豆粉、砂糖、葛粉、鹽、紫雪など、皆冷水にて飲むべし。
温湯をいむ。